第7話「対抗策の萌芽」
第7話「対抗策の萌芽」
Q-Guardが正式に動き出してから、すでに数日が経過していた。
世界各地で依然として仮想通貨市場の混乱は続いているものの、その規模は徐々に収束の兆しを見せ始めていた。しかし、攻撃者の意図はまだ完全に解明できていない。量子鍵への改ざんは散発的に行われ、いくつかのサーバーから得たログは攻撃コードの断片を示唆しているが、その核となるロジックは一向に掴めない。
Q-Labの特別解析ルームでは、Q-Guardメンバーが連日詰めて対策案を議論していた。
ホワイトボードには複雑なフローチャートや暗号手順が書きなぐられ、ディスプレイには通信ログやキー配布プロトコルの抜粋が並ぶ。そこで佐藤は、静かに次の一手を模索していた。
「敵の狙いは量子鍵配布プロセスの中に割り込み、偽のトランザクションを挿入することです。現状、我々は通信ログを監視して、不自然な位相変動やタイミングズレをキャッチしていますが、それは事後検知に過ぎない。」
水野は腕を組みながら言う。
「本質的な対抗策として、攻撃者が改変しても、それが無意味になるような仕組みが必要よ。」
政府サイバー対策本部の担当官は額に手を当て、
「つまり、攻撃者が例え偽の鍵を作り込んでも、その偽鍵自体が無力化されるようなプロトコル再設計が必要ということか。」
「はい。」
佐藤はターミナル画面に視線を落としながら応じる。
「以前、世界的なサイバー危機を回避したとき、私は“誤誘導スクリプト”という手法を用いました。攻撃コードに対して偽の環境情報を与え、自己崩壊させるトリックです。今回はそれを発展させて、量子鍵配布プロトコルそのものに“偽りの共通鍵”を仕込みたいと思います。」
その言葉に、室内がざわつく。
学術系の研究者が眉をひそめる。
「偽りの共通鍵とは? それは受信者側で混乱を招かないのか?」
佐藤はホワイトボードへ歩み寄り、ペンを取り出す。
「通常、量子鍵配布では、送信側と受信側が量子状態で鍵を共有し、観測による干渉があれば盗聴や改変が検出できるのが基本です。しかし今回の攻撃者は、その検出プロセスすら欺くほど巧妙な手口を使っている可能性があります。そこで、我々は敢えて“ダミーの鍵空間”を作り出し、攻撃者が介入した場合、彼らが掴む鍵情報は『本物に見えるが実は無意味』なものにするのです。」
「具体的には?」
ICDFの女性担当者がモニター越しに尋ねる。
「配布プロトコルを二重構造にします。表向きはこれまでと同じ手順で量子鍵が交換されますが、裏では受信側と送信側が事前共有した“シード情報”に基づいて鍵を再構成し、本物の共通鍵を生成します。攻撃者が見るのは、歪めたつもりの『表の鍵』だけ。彼らは正しいトランザクションを改変したと信じ込むでしょうが、実際には裏側で本物の共通鍵による認証が走っており、偽トランザクションは拒否または隔離されます。」
水野は目を輝かせる。
「なるほど。つまり攻撃者がいくら表の鍵を歪めても、裏で再構成された本物の鍵がなければ有効な取引は成立しない。彼らはまやかしの鍵に踊らされ、気づかぬうちに偽データを吐き出しては無意味化することになるのね。」
「そうです。」
佐藤はペンを置く。
「ただし、これを実装するには時間と調整が必要です。各国の認証局や金融機関、NextGen Marketなどの主要プラットフォームにも協力を求めないといけません。加えて、攻撃者が再設計に即座に対応しようとした場合にも備えて、定期的にこの偽鍵生成ロジックを変化させることが望ましい。」
政府担当官は頷く。
「確かに短期間での全面切り替えは難しいが、部分的なロールアウトで攻撃者を惑わせることができるかもしれない。少なくとも、現行のまま放置するより格段に安全性が増すだろう。」
ICDFの担当者も同意する。
「Q-Guardには国際的権限と連携ルートがある。各国の金融当局や通信キャリアに働きかけ、段階的に新プロトコルを導入できるかもしれない。攻撃者はまだ我々が対抗策を見出していないと思っているはず。今が好機です。」
佐藤は深呼吸をする。
また大きなプロジェクトが動き出そうとしている。
自分の提案が採用されれば、再び世界規模のシステム改変に関わることになる。SESエンジニアとしての分を超えた重責だ。しかし、周囲を見渡すと、Q-Guardのメンバーたちが一筋の希望を見出したかのように前向きな表情を浮かべている。
彼はもう一度、覚悟を決めるしかなかった。
「やりましょう。」
佐藤は短く告げる。
「誤誘導スクリプトを進化させた量子鍵再設計プロトコル――『偽りの共通鍵』戦略で、攻撃者を翻弄します。」
こうしてQ-Guardは、混乱の中から一条の光を見つけ出した。
攻撃者が本物と思い込む鍵は偽物、そして本物の鍵は攻撃者の目の届かない別領域で静かに生み出される――この斬新な戦略が、量子時代のサイバー戦に新たな局面をもたらすことになるだろう。
対抗策の萌芽は、今まさに花開きつつあった。