ネイチャーセンターとコミュニティデザイン
地域に根ざしたネイチャーセンターの活かし方・育て方
京都ワークショップ『ネイチャーセンターとコミュニティデザイン』
(2013年5月18日開催)
《ゲスト》
キャロリン・チップマン・エヴァンスさん (シボロネイチャーセンター・エグゼクティブディレクター)
ブレント・エヴァンスさん (公認ソーシャルワーカー/心理療法士)
山崎 亮さん (株式会社Studio-L代表/京都造形芸術大学芸術学部空間演出デザイン学科教授)
梶田 真章さん (法然院貫主)
山本 幹彦(当別エコロジカルコミュニティー代表)
《進行》
山口 洋典さん (立命館大学共通教育推進機構准教授/浄土宗應典院主幹)
《通訳》
桑名 恵さん (立命館大学共通教育推進機構准教授)
《会場》
法然院(京都市左京区)
*肩書きは2013年当時のもの
「地域に根ざしたネイチャーセンター」とは、どのようなものでしょうか。
国立公園や森林公園といった場所に行くと、多くの場合そこには「ビジターセンター」と呼ばれる施設があり、ナチュラリストや自然の専門家がいて、展示や剥製や標本などを用いて、そこで見られる花の名前や鳥の名前、自然の特徴など、周囲の環境のことが詳しく紹介されています。それはとても大切なことですが、しかし一般の人たち、それもいわゆる「自然派」のナチュラリストではなく、ちょっと行楽に、のんびり森を歩きに、リラックスしながら自然のリズムを感じたいといった人たちにとって、そういった場所はどこか敷居が高く感じられるかもしれません。また、そこで半ば一方的に伝えられる自然の知識は、訪れたビジターの興味や関心と結びついているとは限らず、自分自身の生活ともどこか切り離された印象を抱いてしまうこともあるでしょう。
アメリカ・テキサス州、サンアントニオ郊外で「シボロネイチャーセンター」を運営しているキャロリンさん、ブレントさんのエヴァンス夫妻は、地域の人たちを巻き込んだ草の根の活動として、自然が好きな人もそうでない人も一緒になって楽しめる場づくりを行なっています。森や川に囲まれた空間でコンサートをしたり、野菜を育てたり、コミュニティのミーティングをしたり。そしてふと周りに目を向けると「自然が気持ちいいね」と感じられるような、地域のコミュニティセンターとしての役割がネイチャーセンターにはあるのです。
夫であるブレントは、『ネイチャーセンター あなたのまちの自然を守り楽しむために』(山本幹彦監訳、人文書院、2012年)の背表紙で次のように書いています。
レイチェル・カーソンは、有名な『センス・オブ・ワンダー』の中で、「知ることは感じることの半分も重要ではない」と記しました。そして、「自然の不思議さや神秘さに目をみはる感性」を育むには、一緒に自然の時間を共有し、感動を分かち合える人が近くにいることが大切だと述べています。
そういう意味では、ネイチャーセンターのような場が地域のコミュニティにとって、自然の豊かな時間を共に分かち合うための拠点となり、身近な自然を中心にさまざまな人たちが集まるセンターとして機能しているのだと捉えることができるでしょう。自然に関する豊富な知識を持ったナチュラリストでなくても、空を赤く照らす夕日に、人間とは異なる時間が流れる自然の営みに、そうしたつながりに感動する気持ちは、誰でも共感でき共有できる普遍的なものだという思いが、そこにはあるのかもしれません。
そのような地域に根ざしたネイチャーセンターの役割や可能性を、ゲストの方々のお話しを通じて、地域のコミュニティの視点から見つめていきます。会場となった京都のお寺、法然院の方丈には、鹿威しの静謐な音が響きます。
地域に根ざした「場」としてのネイチャーセンター
山口 洋典 ワークショップが始まるまでの時間、皆さんにインスタントカメラをお渡しして、この場所の気に入った風景を写真に撮ってきてもらいました。なぜこんなことをしたかというと、日常と非日常を結び合わせるための、その間の空間と時間を過ごして頂きたいなと思ったからです。普段何気なく思っていることを、もう一度感じてもらうこと。「センス・オブ・ワンダー」という言葉がありますが、そんなようなことが出来ればと思いました。それぞれが同じ風景を切り取っても、違う物語がそこにはあると思います。同じ風景であっても、あるいは同じ空間にいても、どういう場を切り取ってきたのか、是非ご関心を向けていただければと思います。
エヴァンスご夫妻の著書『The Nature Center Book』が訴えかけているものは、施設としてのネイチャーセンターではなく、「場」としての、つまりは単に「箱」だけじゃなくて、そこにある「モノや出来事」を含めたネイチャーセンターという概念についてまとめられています。今日のこのワークショップは、遠いアメリカ・テキサスのことを話しているのではなく、あくまで私たちの日常の暮らしや仕事を通じて何かを生み出していくような、気づきの場になってほしいと願っています。
それでは、さっそくお二人の話に移りたいと思います。
ブレント・エヴァンス 25年前、キャロリンと私は公園を散歩していました。その公園は長い間放置されていましたが、そのかわりツバメが休む小川や、大きな杉の木がとても美しく、そのたびに私たちは感動していました。そしてそのことが同時に、ネイチャーセンターの始まりでもあったのです。
最初は小さなトレイルを作るところから始め、同時に全米各地のネイチャーセンターの事例を学びました。アメリカには大小合わせて100以上のネイチャーセンターがあって、一つひとつどれも違いますが、調べていくうちに、大きく分けて二つのことをしていることがわかりました。一つは、自然について教えること。もう一つは、ネイチャーセンターという「場」としての体験を提供することです。ネイチャーセンターの多くは野外での様々なプログラムを提供し、環境倫理について教えています。「倫理」とは、未来を考えることです。
私は心理療法を学び、心にダメージを抱えた人の精神的なケアを行ってきました。鬱病や自閉症などの子どもたちを看てきましたが、自然の中に来ると、彼らの不安は和らぐのです。どうも自然というのは、ポジティブな雰囲気を与えてくれるものだということを目の当たりにしてきました。そのため、もっと多くの人たちを自然の中に招待して、自然を感じてもらうような活動を続けています。そう思うと、必ずしも建物を建てる必要はないでしょう? ネイチャーセンターという考え方は、私たちの思いにぴったりと当てはまるものだったのです。
25年経った今ではネイチャーセンターも大きく成長し、地域のたくさんの人たちが賛同してくれています。私たちは、地元の住民、ボランティア、行政関係者、政治家などと協力しています。ネイチャーセンターの取り組みは、共感を呼び寄せるということです。それは自然への共感、人と人がつながるための共感なんですね。そしてそれは、一人のリーダーがいたから実現したのかもしれません。ねえ、キャロリン。
キャロリン・エヴァンス 法然院は、私たちに「静けさ」を思い起こさせてくれますね。ネイチャーセンターについて話すのに、これほど感情豊かになれる場所はないと思います。日本の人たちはすでにすばらしい自然を持っていて、私から何かを説得する気はありません。ネイチャーセンターを始めるための必要なアクションについて話したいと思います。
ネイチャーセンターを始めるためにはどうすればいいでしょうか。まず最初は、アイデアと希望を持った友人を見つけることです。そして、おしゃべりし、コーヒーを飲みながら、一緒に楽しむこと。「楽しい」ということはとても大切なんですね。そうやって少しずつ、たくさんの人たちを招き入れていきます。先生や学生、ボランティア、生物学者、地域の人びと、コミュニティデザイナー、ランドスケープデザイナーなどと関わりながら、その人たちと話を進めていく。木を植え、小川をきれいにし、さまざまなプログラムを一緒に活動していくこと。そして自然に再び息を吹き込んでいくことです。そのためには、人々を感情豊かにさせ、まとめていく素質を持ったリーダーが必要です。そうして初めて、具体的な計画づくりが始まるんですね。秘訣は、どんなにわからないことや知らないことでも、知っている人に聞くことです。いいプロジェクトには、多くの人たちも協力したいのです。そしてそれが一息つけば、楽しむことを忘れないで。音楽を聴いたり、ピクニックをしたり…。
ネイチャーセンターの取り組みが与えた影響は、コミュニティをつくり、環境への意識をつくるお手伝いをしたことだと思っています。このことは私たちのコミュニティにとっての希望であり、幸せなコミュニティをつくっていくことでもあると思います。なぜなら誰もが自然を愛しているし、子どもたちを愛しているからです。人びとがどの政治家を支持しているか、どの宗教に属しているかは問題ではありません。私たちは同じ自然の中で生活をしていて、そしてそれは私たちを幸せにしてくれます。
現在は新しいプロジェクトが進行中です。新しく土地を買い、持続可能な農園をつくろうとみんなで取り組んでいるところです。また最初から、始めたいと思っています。
自然と人を分けない
山口 ではここで、山崎さんからコメントと問題提起をお願いしたいと思います。
山崎 亮 とっても興味深いお話をお聞きしました。最初に整理をしておくと、僕の軸足はコミュニティをつくる側ですね。エヴァンス夫妻は、自然をつくったりコミュニティの人たちに理解してもらう立場。それぞれ軸足は違うんだけれども、非常に近いことをやろうとしているなという気がします。
僕のバックグラウンドはランドスケープデザインという仕事です。公園や庭を設計するような仕事ですが、ただただハードウェアとしての公園をデザインするだけでは、あんまりいい公園ができない。そこに住んでる人たちの参加がないと、でき上がった公園はみんなに使われないし、愛されないっていうことに気づくようになりました。そうして、公園をデザインすることからコミュニティを組織化していくことに興味が向いていったんですね。
そうやって最初に取り組んだのが、ユニセフパークプロジェクトでした。ユニセフと、日本の公園を作っている国土交通省が一緒になって進めたものなんですが、海外の子どもたちが日本に来て、日本の子どもたちと一緒に里山や森の中で遊び場を作っていくというプロジェクトです。遊び場を里山の中に作ること自体が遊びだという考え方でした。だから、その時僕がデザインしたものは何もないんですね。単に里山があるだけ。プレイリーダーと呼ばれる人たちを組織化して、そのプレイリーダーが子どもたちと一緒に森の木を切ったり、草を刈ったりしながら遊び場を作りました。
アメリカではパークマネジメントが非常に進んでいます。日本は公園を作ったらそれで終わりなんだけど、アメリカでは街の公園でも国立公園でも、マネジメントがうまく機能しているんですね。美術館や博物館に館長がいるように、公園にも園長のようなディレクターがいてもいいんじゃないかということ。サンフランシスコの国立公園には「Crissy Field」という公園があるんですが、そこでは公園のディレクターがいろんなプログラムをどんどん開発して、無料のものから15ドルぐらいのプログラム、それから3日間のキャンプなど、今では300種類ぐらいのプログラムを行っています。お金をみんなから集めて公園のマネジメントをしながら、自然を身近なものにしていこうとしているんですね。
そういうプロジェクトを日本でもやっていかないといけないと思います。コミュニティを集めたり、組織化したり、活性化していかないといけない。それをデザインでやっていこうとした時に、公園以外のいろんな場所でも、コミュニティデザインっていうものができるんじゃないかって思ったんですね。例えばデパートや大学、商店街なんかでも、そういうことが必要になってくると思います。
だから僕がいろいろやってきたことのルーツにはネイチャーセンター的な考え方がやっぱりあって、街にある公園にちゃんと自然を取り戻して、そのなかで地域の人たちがいろんなことを学んでいくような場は、コミュニティをオーガナイズするためにもすごくいい場なんですね。
日本はこれから人口が減っていって、街の中に空いた空間がいっぱいできてきます。その時にその空間を、みんなが集まって自然のことを理解して、自然と人、人と人が相互に共感するような場所をつくっていくことは、もちろんできることだと思っています。
山口 今日は、法然院というとても素晴らしい場所を提供していただきましたが、こちらの貫主の梶田さんからもお話しいただきたいと思います。
梶田 真章 今日はご参加いただきましてありがとうございます。元々この法然院の方丈は、今から四百年前に京都の伏見にあった天皇のお嬢さんのお住まいを、三百年前にこちらに頂いたものです。その間、いろんな方の思いで守られてきた建物だと思います。この場に来ていただくだけでも、ネイチャーセンターということの意味は少しでも感じられるんじゃないかと思います。
私がこの20年間ずっと言い続けてきたことは、日本語の「自然」という言葉の不思議さです。「自然」とは一体何を意味してるのかが、人によって違っているんじゃないかと思っています。さっきも「自然と人」っていう言い方がありましたけど、私はこの言い方を好んでおりません。「自然」と言ったときに、そこに人間も入ってるのか、人間は入ってないのか。人間も生き物も除いた空間のことを「自然」と呼んでいるのか。だからその時その時で、人は「自然」という言葉を自分の好みで便利に使ってきたと思うんです。
私の中では、「自然」っていう言葉は何かモノを意味するんではなくて、生き物どうしの支え合いの仕組みのことを言うんじゃないかと思ってます。だから私も、その仕組みをうまく動かしていくひとつの存在として生きていければいいなと思っています。
そしてそういう仕組みを感じるところ、それがネイチャーセンターなんだと思います。人が自然を感じていく中で、それぞれがネイチャーセンターになって、この世界の中でどう生きていくのかってことを感じていける。そんな「場」がいろんなところにあったらいいなと思います。それが、「場」としてのネイチャーセンターなんだと思います。いきなり難しいことを言うつもりではないんですが。
日本人が普通に持っている感覚
山口 会場の皆さんから、たくさんの感想や質問が来ています。いくつか紹介します。「住宅街を歩いていても、たまに植物や花の良い匂いに嬉しい気持ちになります。ネイチャーセンターというのは切り取られたファシリティではなくて、日頃の風景の中に自分もまた溶け込んでいる何かであるということなのかなと思いました。」
「博物館や美術館がネイチャーセンターになったらいいと思います。人工物だけが切り取られて陳列されるだけではなくて、多くの人たちが集い、何かを大切にし、残していく。そういうことが大切なのかなと思いました。」
しかし逆に、「現在あるネイチャーセンターの敷居が高いという部分に共感しました。」という感想がありました。特別なモノや場所、施設ではなくて、常々生きている私たちの空間がそもそも、ネイチャーセンターと言えるようにするにはどうしたらいいんだろうか。そういうことが皆さんのご感想だったかもしれません。
ブレント ネイチャーセンターは地域のコミュニティに根ざしていることが大切です。コミュニティによって決定し続けることが必要なのです。その中から、幸運にも資金や建物を提供してくれる人が出てくるかもしれない。そういう意味では、エコツーリズムは経済的な効果しか与えないものかもしれません。観光客は緑を踏みつけて帰ってしまうだけなのですから。
地域に根ざすということは、すべての文化によって異なっています。ソーシャルワーカーの役割は、それぞれのコミュニティのニーズとリソースをつなげることでもあると思います。
もしお腹をすかせた人がいれば、ネイチャーセンターは食べ物を与えるのではなく、食べ物を育てるための土地を提供します。そして地域のエキスパートを呼んで育て方を教えるというやり方をするんです。また、何らかの問題を抱えている子どもでも、地域の取り組みに手を貸すことができるのです。
キャロリン 私たちのネイチャーセンターは寄付によって運営していますが、「人と人とをつなげるということが大事」という話で言えば、私は、人が人に対して何かを贈るという「贈与」の関係を信じています。私は自分のプロジェクトに対して熱意を持って伝えることが出来るし、協力してくれる人が何に興味を持っているのかについて真剣に耳を傾けます。どの協力者に対しても大事に関係性を築いていくと、その関係はずっと続いていくものになるからです。そして、彼らに対する感謝の気持ちを忘れてはいけません。
山口 「アメリカのプロジェクトをそのまま日本に持ってきてもうまくいかないんじゃないか。単にひとつの方法を輸入するのではなくて、そこでの関係性や目的が大事なのではないか」という意見もいただきました。
キャロリン 私がこの数日間の滞在で感じていることは、日本の人たちは自然に対して大きな理解を持っているということです。そして、環境問題に対して大切な気づきを持っています。日本の文化は、未来に対して長い目で見ていくものだと思います。日本人は、アメリカよりもいいネイチャーセンターが作れるのではないでしょうか。
山口 「ネイチャーセンターのような取り組みは先進国を中心としたものではないのか」という投げかけも出ています。
特に山崎さんには、「コミュニティデザインとネイチャーセンターはとても共鳴するところがあるというお話がありましたが、震災以降、世界の動きの中でネイチャーセンターも含めた日本のコミュニティデザインのありようは、どう位置づけられていくのだろうか」という問いが寄せられています。
そのことも踏まえて、日本の「場」のあり方や人びとの暮らしについて、また地域内のつながりや地域間のつながりも含めて、今後どう動いていくのかを教えていただければと思います。
山崎 「アメリカの事例がそのまま日本には当てはまらなそうだ」ということと、「自然と人を分けない」ということは、どちらもすごくピンと来るなという気がしました。
アメリカと日本の違いに関しては、一つは寄付の文化が日本にはない、税制がそうなっていないということがあります。シボロネイチャーセンターは寄付によって運営しているそうですが、アメリカでは寄付が納税の代わりになるんですね。
もうひとつは、日本人は神様の存在を至る所に感じる能力というか、文化みたいなものを持っていますよね。ゴッドが一人いるという感じではなく、もう八百万ぐらいいたりする。その辺の木にも葉っぱにもいる。そういう意味では、日本人のコミュニティというのは、僕らはどこまでをコミュニティとするかっていうことを自由に決められる文化の中に住んでる気がするんですよ。おおむねアメリカやヨーロッパの社会は、コミュニティという意味でも一旦人間と自然との間に区切りをつけようとするんですけど、僕らは細かく考えるとそれは非常にグラデーションで、自分たちだけではないところもコミュニティとして捉えることができる「技」を持ってる気がします。
1970年代のアメリカのエコロジーに対する批評のひとつに、「エコロジーという概念の中に人間は入っているのか」っていうクリティカルな議論があったんですけど、これは日本人から考えれば当たり前な話で、「人間が入っていないエコロジーなんて考えられないんじゃない?」って普通に思える。だから僕たちが普通に持っている感覚って結構大事なんじゃないかなっていうことを思いました。自然の中に人間がいることと同時に、人間中心に考えたとしても、その感覚をどこまで広げるかはあなた次第ですよ、という感覚でコミュニティデザインを進めることができますから、そこに日本のコミュニティデザインの可能性を感じています。
僕らはもう気づいてしまった
山崎 あのホワイトボードって書けるのかな。ちょっと書きますね。
世界の国々の関係性でいうと、ここに「開発途上国」があると。この国の人たちは、将来あんなふうになれたらいいなっていう国として「先進国」を見てるわけですね。アメリカも日本も「先進国」にいるとすれば、この人たちは今、「先進」の先に未来があるわけではないなっていうことがもうわかってきたわけです。原発のことを見ても、日本の都市化の問題を見ても、コミュニティの問題を見ても、今まで拡大成長していった先に未来があるとはもう思ってない。僕らはもうなんとなく気づいちゃったわけですね。ネイチャーセンターも大事だ、コミュニティデザインも大事だ、もっと大事なものがあるっていうことに。今ようやく方向転換しなきゃいけないと思ってるんです。「違う方向だったら?」って思ってる。自然と人間の関係もそうかもしれないですね。
日本やアメリカの役割はきっと、この開発途上国の人たちに、自分たちと同じような遠回りの道を見せるんじゃなくて、もう僕らはこっちを狙って方向転換していこうとしてますよっていうことを、きっちり示していくことが大事な気がするんですね。我々は経験したからこそ見えているこの先のビジョンを、しっかりと世界に対して示していかなきゃいけないし、実践していかなきゃいけないんじゃないかなという気がします。その実践の中にネイチャーセンターのいう取り組みがあるんだと思いますね。
梶田 中国を見ていてもわかるように、やっぱりそこまで行かないとこっちに行けないっていうのが人類じゃないのかなって私は思います。これは自分たちで経験しないと、よその国のことをなんぼ言われても、自分たちの国がそうならなかったら真っ当に行けないのが、悲しいけど人類なんじゃないのかなと思います。
山崎 もうひとつ加えると、「開発途上地域」というものもやっぱり日本の中に現前としてあるような気がしています。いわゆる中山間離島地域は、東京や大阪みたいにならないと新しい方向に向かえないかっていうと、今僕がずっと見ている限りでは、いけそうなんですよね。東京にならなくても、新しいライフスタイルを生み出している人たちがたくさんいる。ものすごくきれいな風景のところに、のびのびとした椅子と机の空間で、田舎の人たちがすごくいいお茶飲んでたりするんです。でも、彼らは10年前ぐらいまでは地元にスターバックスが欲しかったんですよ。その中の何人かは実際に東京のスターバックス行って、椅子下げたら後ろの人にゴンって当たって「すんません」とか言う経験もしてるんだと思うんですね。それでこれじゃないなってことがわかったっていうのもあると思うんですが、自分たちの街にスターバックスがなくても、東京よりも全然おしゃれな文化を自分たちで作っちゃってるんですよ。僕はそれが可能性だと思ってるんですよね。
梶田 同じ国の中だったらある程度それができるものだと思うんですが、違う国で出来るかっていうと難しいと思います。だからこそ我々の中にある「国」という枠をどう崩していくのかが、グローバルという本当の意味では大事だと思います。でもなかなかそうはいかない。
いつも言ってるのは、「愛は地球を救わない」ということ。コミュニティは大事なんだけど、コミュニティを大事にする人が他のコミュニティとどういう関係をつくっていくのかということです。自分たちのコミュニティを愛するがあまり、周囲とのいさかいが起きてしまうということを我々はきちんと考えないといけない。コミュニティどうしの関係をどうデザインしていくのかが大事だと思うんです。
山崎 そこが大事ですよね。多分そこを、今僕らが知らないところで乗り越えちゃってるのがインターネットだと思いますね。国が違ったらわからないかっていうと、僕らより知ってるんですよ。同じ国じゃなくても、新しい情報をどんどん知っちゃってるのが今のボーダレスな社会なので、可能性はあるなと僕は思います。
「人の自然」を思い出す場所
山口 それでは、あっという間に時間になりました。最後にお一人ずつコメントを頂ければと思います。ご質問の中に、「人と自然を分けないと言いながら、手の付いていない守られた自然と、人の手によって維持された自然とはまた違うだろう。どこまで人が関わって自然を維持し発展させていくのか」というものがありましたが、いかがでしょうか。
山本 幹彦 じゃあ一言だけ。自然と人とを分けないっていうことと、もうひとつは、この自然と一緒に、共にしていくんだっていう覚悟みたいなものがもう少し必要なんじゃないかなと思ってます。
山口 山崎さんにはこんな質問が来ています。「いろんな人たちが、思いはあっても傍観者になってしまうんじゃないか。いかにしていろんな人たちが積極的に関わっていけるのか。思いがあるはずの人たちを傍観者にしないためになにが必要だろうか。」
山崎 キャロリンさんもおっしゃってましたけど、やっぱり楽しいことがすごく大事だと思います。これは、僕らがプロジェクトをやるときも必ず意識するようにしています。
たくさんの人に伝えていく部分は、フェイスブックやツイッターなどのツールがいっぱいある。だけどその中身の部分が、やっぱり楽しそうだなって思わないと、そこに行くとワクワクしてくるとかポジティブな話が出来るとかでないと、ネガティブで批判的な話ばかりでは、人はまた座って見てるだけになってしまうと思います。何が楽しいのか、希望があるのかっていうような話をしたり、楽しい場を作っていくようなことを僕らは心がけています。
山口 ブレントさんには、「シボロネイチャーセンターに来る人が、そこが自分の場所だという実感が駆り立てられていくためのプロセスがどうやって形成されるのか」という質問です。
ブレント 今ではたくさんの人たちが、インターネットなどの情報を通じて私たちの街にやって来ています。この街には美しい自然があり、巨大なショッピングセンターも町中の至る所に貼られた広告などもありません。一度訪れた人にとって、それは1時間ぐらいの短い時間であっても、そのことが何かしらの影響を与えているはずです。帰り道には何かが変わっているんです。
私たちのコミュニティでは、人びとがそうやって少しずつ変わっていって、いろんなものにインスピレーションを受けながら、ここで暮らしていくことができるということを学んでいきます。そうやって、自然との距離を縮めているんですね。
山口 最後はお二人に共通の疑問を投げかけて終わりにしたいと思います。「何々をしなければならないと誰かが強い規制を作っていくことだけが、ネイチャーセンターの良い関係性を保つことではないだろう」という提案をいただきました。良いネイチャーセンターをつくっていくための課題と、同時にその中で何をどう評価していくのか、コメントをいただきたいと思います。
キャロリン 良いネイチャーセンターの一番のしるしは、子どもたちが自然の中で楽しそうに遊んでいることです。シボロでは毎日その光景を目にします。自然の中で遊ぶことによって、子どもたちは健康で穏やかに成長していきます。ネイチャーセンターの活動を進めていくと毎日たくさんの問題が起こりますが、大切なのはあきらめないこと。代わりに人や自然とのつながりの中から貰うものはとても大きなものです。生き生きとした仕事をしていると、それらの障害はどんどん小さくなっていきます。ネイチャーセンターの活動は、あなたの中に何らかの変化をもたらしてくれます。
今日では、すべてのコミュニティが素晴らしい自然と子どもたちに恵まれているとは限りません。混沌とした都市の中で暮らす人たちもいます。しかし都会の中でも、野菜を育てたりしながら自然とつながることはできます。食べ物を育てることは自然とつながることと同じです。もしあなたが自然とつながっているのなら、その暮らしはスマートで、健康で、幸せなものになるでしょう。
梶田 私はネイチャーセンターが「人と自然」ではなくて、「人の自然」を思い出す場所になればいいんじゃないかと思っています。
29年前にここの住職になって森の教室を始めて、20年前に「森のセンター」ができました。そのころ法然院はずいぶん目立っていて、今でもまだちょっと目立っているんですが、私は普通のお寺になっていったらいいと思っています。20年経ってもなかなか変わっていかないのが日本だとも思いますが。ネイチャーセンターは敷居が高いっておっしゃいましたけど、お寺の敷居も高い。だけどちょっとずつ集える場所になって、ネイチャーセンターというかヒューマンセンターになって、アートセンターでもあり宗教センターでもあり、いろんなセンターとして、人が集って、学び、遊び、楽しんでいくところ。そういうところが日本中に増えていって、そのつながりの中で生きている私というものを思い出していく場所になったら嬉しいです。
山口 今日はどうもありがとうございました。梶田真章さん、キャロリン・チップマン・エヴァンスさん、ブレント・エヴァンスさん、そして山崎亮さんでした。
ワークショップの後、エクスカーションとして、法然院の裏山で実施されている「観察の森」づくりのフィールド見学を行いました。皆さんがそれぞれ今日のお話しを通して感じたイメージを、実際に自然の中に出てみることで、改めて実感することができたのではないかと思います。
主催:NPO法人 当別エコロジカルコミュニティー
協力:法然院
文・編集:山本風音
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