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アイヌの自然観 あるいは、世界観

ゲスト:計良光範 さん(ヤイユーカラの森代表*2012年当時)

ゲスト:計良光範 さん(ヤイユーカラの森代表*2012年当時)

はじめに

 こんばんは。ヤイユーカラの森という団体を作って21年になります。キャンプを年に3回ないし、4回。春は日高とかサロベツの方で山菜を採って食べるんですよ。夏はなにもない川で3日間子どもと遊ぼうと。秋はキノコですね。冬はシカを狩ります。キャンプ以外では、アイヌ刺繍の講習会とか花ござ、チタラペを作るという技術の講習会をやったり、そんなことをやっております。

「こんばんは」って言いましたけれども、「こんばんは」どうしたんでしょうね? ”こんばんは、ようこそいらっしゃいました”ですね。おはよう、こんにちは、こんばんはと言っているのは明治になってからだと言われています。各地から兵隊として集まってきますよね。いろんな言葉でしゃべる。それを統一しなくちゃいかんという事で、標準語ができてきた。挨拶言葉にしても官制ですね。そういう風になってから定着したんだと言われています。

 アイヌ語の場合も、別に朝だとか昼だとか、夜だとか同じです。皆さんも聞いたことがあるかもわかりませんが、イランカラプテという言葉がアイヌ語の挨拶だよって聞かれたかと思いますが、意味でいうと”あなたの心にそっと触れさせていただきます”っていう、とっても美しい中身のある言葉なんですけれども、本当に毎日そんな挨拶をしてたのかというと、そんなことないです。村の人と出会う度にね、あなたの心に触れたいって言えないですよね。でも、アイヌというのは挨拶言葉一つにしても、心の美しい民族だったみたいな、ある意味先入観なり、こういうことは疑ってみないといけないのかなあと思います。

 今日の本題です、チラシの文章ではないんですが、「北海道に古くから住んでいるアイヌ民族は自然の恵みに感謝し、人間を深く愛し、平和な暮らしを送っていた民族です。」そうじゃない民族いますか? 世界中に。アイヌ民族もこういう風にひとくくりに表現されているんです。ある意味では閉じ込められている。ちょっとそれは外して考えた方が良いんじゃないか。

 『自然の恵みに感謝』してないかっていったら、感謝してますよね。でも、怒ることもあります。私なんか15段の階段の雪かきをする度に怒っていますよ。それでも、恵みですよね。『人間を深く愛し』、人を愛するというのは基本的に持ってるものですよね。そして、『平和な暮らしを送ってきた』。送ってきたのかアイヌは? そんなことないですよ。戦争もやってきました。アイヌ同士の紛争もありました。トミッパって言いますけれども、食料がなくなったら、山越えして隣の地域にまで食料を盗みにいくという、そんなことがありました。ですから、平和だけでは暮らせないというのもありながら、それでも平和で暮らしたいっていうのがそれはもう共通なんですね。すべての人にとって。それが、なぜ世界の先住民を表現する言葉として使われるようになったのか。それは、そこからかけ離れてしまったという自覚が多くの人にあるからなんだろうと思います。ちょっと戻そうよっていうのが、今晩のテーマになればいいかなあと思います。

 何か表紙が必要だろうからということで、「アイヌの自然観」。これはピッタリだろうと思ったんですね。今みたいに自然保護とか、自然を大切にだとか、自然と共にという自然という言葉が使われるようになったのは、日本では非常に最近ですね。古くから長く使われていたのは、仏教用語としてのジネン(自然)ですね。ジネン(自然)がいつから自然になったのかっていうと、これは人間が自然から離れてしまったから、離れようとし始めたときからだと私は思います。だから、アイヌの自然観と言ったときに、その自然の中に人間が入ってないんですね。外の世界を見て、そこについて考える。自然の中に入っていないという自覚が生まれた時に、自然という言葉が使われるようになったんじゃないかと思います。最近のことです。それじゃあアイヌは世界をどう考えてたんだ。その中で、人間ていうのをどう考えてたのか。あるいは、天変地異と言われるもの、すべての出来事、現象をどう考えていたのか、というのが世界観だろうと。その世界観を少し今日は―皆さんご存じのことも多いと思いますが―、考えていければいいのかなあと思います。

アイヌとは? アイヌ文化とは?

 そもそも、アイヌとは何なのか。人間ですね。その人間っていうのは神に対する人間です。神がいるんですね、そこで人間がここにいる。その神に対してアイヌという。今、北海道をアイヌモシリって言いますけれど、ちょっと狭く縛り付けすぎ。人間が住んでいる世界は、アイヌがいようといまいが、それはアイヌモシリなんですね。それは、神の世界、天上世界があるという考え方。それと別の世界なんだよ、人間のいる世界はという意味でアイヌモシリは使われるべきだろうと思うんですね。

 あるいは、女性に対する男のことを、アイヌと呼んでいます。子どもに対して、父親のことをアイヌと呼びます。妻に対して、アイヌって言います。これは、他の人が言うんですね。子どもに他の人が、「あんたのお父さんの名前は?」って言った時に、「光範アイヌって言うんだよ」って答えたら、子どもにとってはアイヌをつけるっていう事は父親が誇らしいわけですよね。アイヌという名前をつけても、恥ずかしくないようなおとっちゃんなんだよっていうことなんですよね。奥さんにしてもそうです。旦那さん、ウチの旦那はアイヌという名前をつけるほど愛する男なんだという意味ですね。そういう気持ちの表れが、アイヌ衣装とかに、綺麗に刺繍を施した着物を仕上げて、夫に着せる。夫が人前で堂々と見えるように。その事が妻の誇りであるということになるわけですよね。

 そこで、アイヌを自分の事、自称として解釈するようになったのはいつからかわかんないですね。アイヌというようになったのは、最近のことだと思います。ウタリというのは聞いたことがあると思うんですが、仲間ということですね。

 その、言葉も含めてアイヌ文化っていうのは生活と一体のものです。だから、歴史と一体のものです。ですから、歴史が変わってくるに従って育まれ、できた文化っていうのはどんどん変化していきますね。そうやって今日に残されている、伝わっている。

 アイヌとして形成されたのは、せいぜい800年ぐらい前だろうと言われています。縄文だ、続縄文だ、擦文だ、オホーツク文化だと呼ばれている土器文化がずっと北海道でも変遷してきますけれども、その擦文の時代にオホーツク文化が大陸から渡ってきて加わってできてきたのがアイヌ文化だろうといわれています。オホーツク文化人ってどうなったのかというと、わからないです。消滅したのか、それまで住んでいた人に同化しちゃったのか。痕跡は残っています。遺跡に。骨がちょっと小さいんですよね。それまでの住んでいた人に比べてね。また、家畜を飼っていたという事が遺跡からわかりますね。豚を大陸から連れてきて飼っていた。すぐに途絶えましたけどね。豚飼いは大変だったんでしょう。それと、豚ではなくても動物はいますからね。もう一つ、今日まで残っているオホーツク文化の名残っていうのは、クマの霊送りです。イオマンテ。それまでなかったんです。オホーツク文化が入ってくるまでは、霊送りはしなかった。オホーツク文化人がそれを持ち込んで、定着したわけですね。それで、今日までアイヌ文化として、ある意味ではスピリッツの象徴みたいなものとしておこなわれています。

 それで、1400年代、原型が成立した。これは何をもってかというと、主に考古学者、文化人類学者で考古をやっていた人が、チャシですね。チャシコツ、砦跡が全道にあります。砦っていうのは闘いのために作られたのもありますし、生活の場でありました。儀礼を行う場所でもありました。あるいは集まってチャランケチャシ。これは話し合いのチャシですね。周辺の人々が何かあった時に、集まってそこで話し合いをするために使ったところですね。いろんな使われ方をしていましたが、それが全道にあります。同時にそのころユーカラ。いわゆる口承文芸。カムイユーカラとかね。人間の英雄ユーカラ。そういうものがチャシの成立すると同時に、各地に伝えられ、出来上がって伝承されはじめた。この2つを持ってアイヌ文化が出来たと考えようよって。それは、連綿と変化しながら今日に伝えられています。

 また、物質的な変化もありました。いろんなものが入って来て、それから、力関係の変化。対人関係の変化ですね。これからもどんどん変わっていくんだろうと思います。変化しなかったら文化とはいえない。それは文化遺跡だ。もう死んだもんなんです。生きてるっていう事は、変化し続ける。時間にもよりますが、30年だ、50年だ、100年だと。でも、確実に変化しながら、おそらくアイヌ文化っていうのも生きていくんだと思うんですね。


アイヌの地名

 最も古いアイヌ文化がわかるのは地名だと言われています。ニセコから岩内に抜ける途中に看板があります。あの山がチセヌプリです。チセっていうのは家ですから、今考える家と全然違いますよね。これ、屋根しかないじゃないかということですが、それをチセヌプリと家の山と名付けた人々がいた。多分、擦文やオホーツク文化人だろうと言われておりますけれども、この時代の彼らの住んでいた家は、半地下だったんですね。アイヌ語でいうトイチセと言います。半分というのかな、四角あるいは丸く土を掘ってですね、半地下にして、それに屋根をドンと乗せる。そこに住んでいたんです。だから、その時代にすでにアイヌ語が使われていたんです。チセヌプリっていうのはアイヌ語ですから。家の山っていう意味ですから、おそらく地名って言うのが今日残っている一番古いものです。北海道の地名は皆さんも興味を持って訪ね歩いたりされたことがあると思うんですけれども、いろいろ面白いですね。

 地名を地図に落とすということが始まるのがどういうことか。それは、土地を支配する力がはじめたことですね。領土、領地という事で、地図にその地名を書き記す。アイヌは領土や領有という考え方がなくてね、便利に生活をするために地名が必要だったんです。地名を聞くと、この川を行ってもダメなんだとか、ここは冬は通れない道なんだ。あるいは、冬しか通れない道なんだと。サックルていうのは道内の各地にあります。字は少しづつ変わりますが、これは完全にお役人がつけたんですね。サック=夏、ル=道、夏は通れるんですよ。冬は通れないんです。吹きっさらしだったり、雪が深かったり、だから夏しか通れない。夏は近道として通れる。冬は回り道をしなければ行けない。マタルっていう地名があります。これは冬の道っていうことですから、冬凍っちゃうとまっすぐ行ける。湖でも何でもそうです。夏は行けないよ、湿地だよということです。早来という地名がありますね、元々はサックルと読みます。この字でサックルと読ませたんですね。ところが、時間が経つと誰もサックルって読めなくなったんですね。それだったらとハヤキタになってしまったんです。元々はサックルというアイヌ語だったんですが、そういう地名がいっぱいあります。だから、知里真志保さんも書いているように、元々の音っていうのが伝聞で伝わっているので変わってしまうんですね。ですから、意味がわからないのがいっぱいあるんです。山田秀三さんが優れていたのが、その地名のところに行ってみて確かめながら記録に残されたんですね。萱野茂さんが書いています幕末期アイヌ語地名、松浦武四郎という人が北海道の地図にアイヌ語をカタカナで書いています。萱野さんは非常に穏やかな人で、あまり声高には言わなかったんですけれども、北海道という土地がアイヌのものでない根拠を示せって、地名をつけた人 間のものなのかって。そういうことを時々おっしゃられていました。私もまったくその通りだと思います。

アイヌの生活

 現代アイヌの生活ではないですよ。いわゆるコタンというものを作って生活していたんですね。生業としては狩猟、漁労、採集ですね。狩猟民族だといわれますが狩猟の割合はわりと少なかったです。漁労が多かったですね。魚ですね。あるいは海での海産物。それから採集ですね。これは女性の仕事ですね。夏に採って蓄える。それと、家の周りに小さい畑を作って農耕をしていた。雑穀類ですね。

 それから、忘れてならないのが交易です。北方民族っていうのはサハリン経由で、大陸とロシア人や少数民族や千島列島の民族と交易を通じて古くから物流がありました。それから、南方民族っていうのが日本人ですね。津軽海峡を越えて、海を行ったり来たりしていました。ないものを生活の中に獲得して、それによって食生活を変化しながら文化というものがどんどん豊になっていった。布が入る、それから針が入る、縫い針が入る。そんなことで、今日あるようなアイヌの華やかな衣装文化、衣服文化が生まれて来ました。

 アイヌ文化っていうのがどういう風に変わってきたかというと、長い間蝦夷地を支配してきたのが松前藩で、「異化政策」と私がつけたんですけれども、アイヌはアイヌ、和人は和人、決して一緒にはしないっていうのがはじめっからの方針です。なぜならば、松前藩としては、特に交易の独占権てものを確保しなければならないので、アイヌが日本人と交渉できるようになると独占ができなくなる。それから、アイヌ語を覚えてアイヌ社会に入っていくと、これもまた破綻するわけです。蝦夷地、北海道は明治の前半ぐらいまでは米が取れなかったです。松前藩は名目1万石って言っています。極端な言い方をすれば、一粒の米も取れない1万石なんです。松前藩は一生懸命米を作らせるんです。だけれども、やっとできても食えない、まずくて。ですから、松前藩ていうのは、商業藩なんですね。その利権を守るためには、アイヌはアイヌ、和人は和人にしなくてはならなかったのです。

 幕末期に幕府が2回北海道を直轄しています。ロシアがどんどん来るから、その時に2回直轄にします。その時に幕府がやった方針が「同化政策」なんです。これは、幕府は蝦夷地に住んでいる人間は皆日本人なんだという風にしなければ対ロシアにものが言えない。1回直轄にしますが、すぐに松前藩に還すんです。金かかりますからね。蝦夷地を支配し、管理するために。北からロシアが来なくなったら還しちゃうんです。還しちゃったらまた来るようになったんです。そしてまた、2回目の直轄をするんです。で、大政奉還になって終わるんですね。

 1回直轄にして、松前藩に還した。2回目にまた直轄にした。その間いったい何があったのか、世界史の中で。おわかりだと思うんですが、ナポレオン戦争です。蝦夷地でアイヌが和人に対して武装蜂起した最後の闘いが1789年です。この年に何がありましたかって聞くと、大学生は「フランス革命」って言いますよ。フランス革命が起こってナポレオンが世界制覇を目指してロシアまで行くわけですよね。ロシアとしては余裕が無くなるわけですね。その内、ナポレオンが敗れた。落ち着いた。ロシアが船を下ろし始めるわけです。凍らない港が欲しかった。最大の外資を獲得する手段が毛皮ですから、それを冬でも運びたいわけですよ。ロシアには凍らない港がないんで、蝦夷地の港を開けと。ペリーが来ますね、浦賀に。幕府に対して港を開けと。ペリーは捕鯨船に燃料と水を補給する、そのために港を開けというのが一番の動機だったんですね。

 明治政府は当然、同化政策をとります。北海道という名前がついたのは明治2年ですね。大政奉還、明治元年ていうのは、北海道はまだ北海道ではないんですね。蝦夷地なんです。五稜郭でまだ戦争をやっていましたからね。それが完璧に破れた。明治2年になって北海道ていう名前をつけて、開拓史を置いて、道庁の前身ですね、北海道を日本の領土に組み込んだ。それまでは日本の領土じゃなかったんです。

 同化政策の中で日本人化ということをやっていきます。もう一つ大きかったのは、アイヌ自身が明治になって、同化志向が強くなっていきます。これからの時代は日本人にならなければ生きていけないんだ。日本人化っていうことを意識的にやるんです。それで、明治になって何が起こったのか。共同体が徹底的に崩壊していきます。狩猟ができなくなります。鮭を捕ることができなくなります。山に入って木を切ることができなくなります。生業が成り立たなくなります。共同体としてまとまったものがバラバラになります。それによって、文化っていうものが変化していく、壊されていく。明治以降、急速に、あるいは緩やかに失われていきます。何が急速にかというと、言葉だとかね、儀礼だとか儀式だとか、そういうものがなくなっていきます。それから、一番はじめに法律で禁止されたのが女性の入れ墨です ね。男の耳輪。それから、死人が出た家を焼くこと。そういうアイヌの生活にとっては、アイデンティティーにとって非常に大切なもの、それを法律で禁止してしまうわけです。

アイヌの精神文化

 文化っていうのはスピリッツ、精神ですよ。自然と共生してきた北海道、あるいは日本の先住民族アイヌ。これは、何の抵抗もなく受け入れていますね。それからもう一つ、自然界のすべてを神とし、神々と共に生きてきた民族ということをいわれます。自然界のすべてを神とし、というのは間違いです。自然界のすべてが神だとすれば、名前のないものはこの世にはないですね。神であれば必ず名前を持っているんです。アイヌの世界の中では名前のないものはいっぱいあります。だから、自然界のすべてを神としていたわけではないんです。神は多いです。でも、神が多いのは八百万っていうぐらい、日本人だって神さまをたくさん持っています。

 カムイ・モシリ、天上世界です。それが神の世界です。アイヌ・モシリ、これはここです。大地ですね。これが人間の地、アイヌ・モシリですね。そこには、コタンという村があり、イオルというのは生活空間だと思ってください。その村、コタンを取り囲む生活空間。そのイオルの中で自給自足が基本的にできるだけのスペースをを持った。あるいは、資源を持ったところをイオルと称するというように理解してください。それが、人間の世界です。それから、地下にはポクナ・モシリ、ポクナというのは下ですね、下の世界。ここは死者の地だとされています。死んだら一回ここへ行くんですね。それから、いわゆる魑魅魍魎という妖怪、化け物、魔物というのがこの地下には住んでいる。どこの世界の人々においても、天上世界に神がいて、ここには人がいて、地獄があるんだよとかね。

 この矢印です。人間がアイヌ・モシリで生まれます。ここで生まれた人間が、死んだらどうするか。このカムイ・モシリへ行きます。ところがですね、真っ直ぐに行けないんです。1回下に行くんです。暗い、ジメジメしたところです。テイネ・ポクナ・モシリという場合もあります。テイネっていうのは札幌の地名の手稲です。あそこはすごい谷地だったんですね。湿地だったんですね。ジメジメした、いやあな所だったんですね。ジメジメした地下の世界、ここへ一回行かなくちゃ行けないんです。そして、ここに行って、ここを出て、神の国へ行くんです。そこでは先祖が待っているんです。そして、神の国で死者は生活するようになるんです。神の国から人間世界に降りてくる場合はありません。一方通行です。これが人間の一生というか、死生観ですね。カムイノミっていう神さまへの祈りがありますが、その中にイチャルパという先祖供養をやります。穀物を供えて、死んだ先祖にそのごちそうを振る舞うんですね。まあ、お墓参りです。死んでから1年たたないと、届かんからダメだってそのおばあちゃんが言ったんですよ。そのおばあちゃんにとっては、1年経てばこっちに来てるべと。もちろん、善行を積んだ良い人間であればここにいる時間は短くなるし、ここにずっといる人間もいるだろうし。ここにずっといるぐらい悪いことばっかりしていた人間は、フラフラこの世に出て来たりするわけですよ。魂が。これは一番嫌がってますね。死者の霊というやつですよ。上から来るんじゃなくて、下から来るんですよ。妖怪の類ですね。

 それから、ここの矢印なんです、人間世界からいきなり神さまになる。これは、赤ん坊です。赤ん坊は人間じゃありません。名前をつける前の赤ん坊、幼児っていうのは神から預かった神の子です。だから、死んだら神の国へ行っちゃうんです。で、この子は神ですから、また降りてくることもできるわけです。行ったり来たりするのがいますね。これが、神さま、カムイです。普段は神の国で暮らしています。人間世界の様子を見てたら、どうも面白そうだというので人間世界に降りてくる。人間世界ではすべての神が人間と同じ姿をしているんです。ギリシャ神話の物語を考えてみてください。アポロンなど天上世界の人もみんな人間の姿をしてるでしょ。あんな感じです。人間世界に降りてくる時に、クマの神さまであればクマの毛皮を着て、肉を中に詰めて降りてくるんです、クマの姿で。人間世界で時間を過ごして、死ぬわけですね。それは、いろんな死に方があります。人間に獲物として採られてということがあります。そうすると、神さまだけではなく、人間もそうですし、ものもそうですけれども、これには魂があると考えるんですね。その魂が、クマの神の魂だけが天国に戻っていくんです。そして、毛皮だとか肉だとか、全てのものは人間世界にお土産というか、置いていくわけですね。で、それを人間はありがたくいただく。こういう風に考えたんです。非常に都合の良い考えですけれどもね。だけれども、これが基本です。いかに人間というのは、厳しい状況の中で暮らしていたら、どんなことでも都合の良いように考えますよね。合理的に考えますよね。そんな複雑になんか考えないですよ。これが、アイヌの考える世界だと。

 人間が死んで、こっちへ行くときに迷わないように案内してくれるのがこれです。これはクワって言います。クワ、墓標ですね。木でできた墓標です。クワっていうのは杖なんです。その杖を頼りに、この頭が光るというんですよ。暗いところでも、それについて行けば、死者の魂は迷わずに暗いところでも通り抜けることができ、それについて行けばいつの間にか天上世界に着いていたという役割ですね。ですから、これは天上世界に人間の魂が辿り着いたときに、役割が終わりますから、これが倒れても立て直したりとかはしません。土に帰ったきりそのままです。

神と人間

 アイヌは神と人間とモノがこの世の中にあると考えました。神っていうのは人間が素手で立ち向かってもかなわないものですね。ですから、その神が人間にとって有益であるのか、有害であるのか。ですから、有害なもの、毒もそうですし、病気もそうですし、それもみんな神さまです。自然現象もそうです。動物、植物、病気、死者。死者も人間にとって有害なものですから、魂がフラフラフラフラ出てくるんです。

 仏教でもそうでしょう。死者の霊をお墓に行く時に家の玄関から出さない。裏口から出す。あるいは、極端なことをいうと、羽目板を破って棺桶を出してお別れをする。その後、それを塞いでしまうという習慣が、今も残っているかどうか知りませんけれども、そういう地域が結構あります。お墓に入っててくださいよって。

 それから、人間は人間です。モノは神でもないし、人でもない。だいたいが人間が作ったもの、器物、これにも魂があるんですね。だから、大事に使っていたお鍋だとか、おひつだとか、道具。それが壊れた時にどうしたかっていうたら、その霊送りをやります。祭壇の所に供えて、お酒を上げて、言葉を上げて、あの世で復活してくださいと。ありがとうございましたという事でイナウを立ててね。そこに鍋があったり、桶が逆さまになってあったりすると、何だゴミ捨て場かと思うんですが、そうじゃないんです。それは魂を送った後なんですね。その後はみんな土に帰っていくんですね。魂だけが命の終焉であの世へ向かうということですね。

 神と人間の関係、基本的には対等です。上も下もない。だから、お互いに権利と義務を有しています。ここがアイヌの合理的というか、ずるいところだと思っています。神さまの義務っていうのは何か。人間を守るために神がいるわけですから、人間を見守る。そして、返礼を受ける権利です。お供物をたくさんもらう、それが権利ですね。人間は神に守られるっ ていうのが権利です。それには返礼しなくちゃいかん。お供物をあげなくちゃいかん。神のなすべきことってあるんですよ。だらーんとしてはいられないんですね。

 人のなすべきこと。それを伝えてるのが、カムイ・ユーカラだとか、ウェペケレ、昔話だとか、カムイノミという一種の儀礼の言葉ですね。その中に、こういったことを読み取ることができます。葛野辰次郎さん、もうなくなりましたけれども、素晴らしい長老、エカシがいらっしゃいました。この葛野辰次郎エカシのカムイノミというのはいつも長いんですよ。この葛野辰次郎エカシのカムイノミの中に出てくるのがこういう表現です。「神様が居られますので人間も生活し、暮らしていくことができます。」神さまがおられるから自分も暮らしていけるんだと、あなたは大事なんだと。「人間が居りますので、神様も崇め奉られるものであります。」人間がいるから、あんたは神さまとして存在できるんだよと。そういうことを祈り言葉の中でいうわけですよ。「たとえ神様であっても、自分自らを神としたわけではありません。」あなたは、自分で神になった訳じゃないんだよと。人間が神にしたんだと。「だから、神様だからといって自分だけで満足するべきではないのです。」もっと穏やかな言い方なんですが、これは、82年に日高地方の大地震の後のカムイノミの言葉ですから、わりとはっきりした表現で言っているんですね。何で人間は悪いことをしていないのに、そんなことをするんだと。あんた、自分で神になったわけでもないのに、人間が神にしてやったのに、なぜ人間を苦しめるんだ、反省しろ。対等という事はこういうことです。

 で、カムイノミっていうのはカムイというのは神で、ノミというのは祈るという事です。これは冬のキャンプで鹿狩りをやった時に、終わってからやったカムイノミです。シカ、サケを捕るわけですけど、1頭、1頭、1匹、1匹はアイヌにとって神さまではありません。何が神さまなのかというと、シカを持っている神さまがいるわけですよね、天上の世界に。サケを持っている神さまというのが天上の世界にいるんです。どうやって持っているのかっていうと、袋の中に粉にして持っているんです。それで、下界では食料が薄くなってきたなあ、心の正しいアイヌのいるところの上空で、そのシカの粉を撒くわけです。キラキラキラキラ、これはユーカラの中に出てくるんですが、キラキラ光ってその粉が地面に落ちてくる。そして、地面についた途端、シカが走り出すんです。おかしいねえ。サケもそうです。季節になると、サケを持ってる神さまが、河口近くの海にその粉をパッとまくと、そうすると河口近くの海にキラキラ落ちていって海に入った途端に、ぱーっと泳ぎ出して川を遡るんです。クマは違います。たいていのものは1頭、1頭、神さまでいますけれども、シカとサケだけはそうしなかった。これが、何度も何度も繰り返しますが、アイヌのずるさですね。シカもサケも日常的に獲って、日常的に食べるもんなんです。こんなのに1匹、1匹、神さ まがいたら忙しくてやってられないんですよ。その度に儀礼をしなくちゃいけない。だから、それを持ってる神さまに1年に1回、カムイノミをすれば良いんだと。

 イヨマンテ。人と動物、あるいは神との関係が、これほど良くわかるものはない。イ・オマン・テですから、「それ・送る・させる」という言葉です。それ、ですから、別にクマである必要はないんです。キツネでも、シマフクロウでも、鳥でも、モノでも良いんです。送ることをするんですね。神の世界に還す、魂を送る霊送りです。神さまっていうのは行ったり来たりしていますから、人間にとって必要なものは頻繁に行ったり来たりして欲しいわけです。だから、特にクマというのは、陸上で最大の獲物ですから、これに来て欲しい。それで、イヨマンテというのは、主にクマが対象となっているんです。

 クマをどうやって捕っていたのか、基本的には2月、3月の、もう雪が堅くなって歩けるようになって、その時期に冬ごもりの穴に行ってクマを捕るっていうのが一般的です。一番安全ですよね。その穴に行くと柱を立てて、これが2本なり、3本を真っ直ぐ立ててそれで突っついて起こすわけですよね。クマは起きて怒るわね。クマが怒ると、こうして抱くんだそうです。柱を抱え込むんですね。それで、弓だとか、矢だとかで射止めるわけです。その先にはトリカブトが塗ってあって、心臓を止めるわけです。そうやって獲るのが一般的なクマ狩りだったようです。

 その時に、穴にいたのが雌だった場合、この時期は子どもを生んでいるんですね。小っちゃいそうです。それを大事に連れて帰って飼うわけですね。乳を飲ませて育てるわけです。そのクマが1歳、あるいは2歳、場合によっては3歳になった時、この檻の中で飼えなくなってしまいます、大きくなって。そうすると、イヨマンテというクマ送りを行います。

 檻からクマを出して、ロープをいっぱいつけて、逃げないようにして、引き回すわけです、広場に。で、歌を歌って、かけ声をかけて、囃し立てるわけですね。そうすると、クマは怒るんですよね。怒っている様子を見て、周りのアイヌは、喜んでいる、はしゃいでいるっていうわけですね。引き回した後、弓で矢を射って殺すんです。

 それから解体します。頭は切り離しません。その毛皮をグルッと回して一番上に頭が来るようにします。この時の状態をカムイ・ユーカラの中ではなんて言うかというと、人間たちが歌って踊って、遊ばせてくれて、そして、行いが優れたアイヌの矢を受け止めた、そうすると意識がなくなった。気がついてみると、私は耳と耳の間に座っていたということになるんですね。魂は耳と耳との間に居るんです。それに、あなたは先祖の待つ国に帰るんだから、道中気をつけて、まっすぐ帰りなさい。お土産をいっぱい渡すから、みんなに会ったら渡してください。また、機会があれば降りてきてください。てなことを聞かせて送ります。

 クマも神の国に着くと人間と同じ姿になります。着物を着せて、頭にはイナウを飾って豪華に装わせるんですね。そして、一晩歌って踊って楽しんでもらう。最終的に頭蓋骨だけにして。ですから、古いコタンのヌサ場に行くとクマの頭骨が2つも3つも立っている。そうすると、そこにやって来た人は、「わあ、これだけイヨマンテをやったんだ。ここは金持ちなんだ。」というわけです。イヨマンテというものは、近郷近在から人を集めて、準備から始めると一週間かかる。その間、食べさせたり飲ませたりって、膨大に金がかかるわけですね。金がっていうか、余裕がないとやれない。そういう大きな行事なんですね。

 こうやって、丁寧に送り返してやるから、このクマは天上世界で周りのクマに宣伝するわ けですね。あの村は良いぞ、こうやって送ってくれたんだぞって。そしたら俺も行くって、クマがやって来てくれる。そういう発想ですね。

人の名前

 白糠出身のお年寄りで、もう亡くなりましたけれども、若い者が話し聞かせてくれって行くと、お前の持っているもので一番大事なものは何なんだと聞かれたって言うんですね。そうしたら、誇りだとか、お金だとか、名誉だとか、仕事だとか、家族が大事って。でも、全部違っていて、お前の持っているもので一番大事なのは名前なんだと。なぜ名前が大事なのかっていうと、カムイノミで儀式をする時に、自分の先祖、父、祖父、ひいじいさん、5代前までの名前をきっちり覚えておく。それを、カムイノミの時に言いなさいって。クマの神さま、肉がなくなったので降りてきてください、私は南区に住む計良光範ですって言ったって、新参者ですから私は。ましてや、神さまにとってはそんなもの知らないよで終わるんです。だけれども、父さんは○○で、じいさんは○○でと5代前まで言うと、5代ですからだいたい百年ですね。誰か知っていると言うんです、神さまは。ああ、あいつのひ孫か、あいつは優れていい男だったんだ。だから、言うことを聞いてやるかと。はじめて言うことを聞いてくれるんです。

 5代前までの名前で、悪いことをした人の名前があることもあります。それを言うと、そういうのだけは覚えてるんですね。そするとどうするか、「忘れました。」って言うんですね。父さんは○○、じいさんは○○、ひいじいさんは○○、その前はちょっと失念しましたが、その前は○○って名前呼んでくれないんです。「そうか。」っていうことで、いうことを聞いてくれる。

 悪いことをした先祖は天上世界にいるんですよ。 それで、名前を呼んでくれなかったら 何が困るのかっていったらですね、カムイノミの後に先祖供養ですね、その時にイナウを立てますね。じいさんのごちそう、あなたが好きな団子をたくさん作ってきたから、お酒を飲もうねとか、それぞれに供えるわけです。それで、天上世界に行って、6倍にも60倍にもそれが増えて、腹一杯食えるわけです。ところが、カムイノミの時に名前を呼ばなかった人を、イチャルパの時に名前を呼ぶわけにはいかんでしょ。その人は、供物が当たらないんですよ。ですから、自分だけあの世で寂しい思いをするんですよ。生きてる時に悪いことをしたばっかりに、自分の末裔がものを送ってくれない。死んでから、あの世でそんな寂しい思いをしないように、生きてる間には人の名前を呼んでもらえるような、人間らしい人間になりなさいと言い聞かせたんです。そういう人間のことを、アイヌ・ネノアン・アイヌ。最も人間らしい人間。そういう人間になりなさいという教訓ですね。だから、あまり抽象的な考え方ってしない人たちですね。非常に具体的で、合理的です。

 その大切な名前、どうやってつけるかということですね。2歳から3歳まで名前はつけません。神さまの子ですから、だけど、呼ぶときに不便でしょ。どう言ったのかっていうと、シ・タクタク =糞のかたまり、ション・タク=古糞のかたまり、ポン・シオン=小さい古糞のかたまり。手塚おさむさんのシュマリっていう作品があります。ポン・シオン、あれは幼名がそのまま残ったんですね。こういうふうに呼んでいたのはなぜなのかって言うことですね。桜子ちゃんとかね、スミレちゃんとかね、そういう名前を最初からつければ良いんです。そうすると、病魔が近くを通りかかった時に、オオ、見なくっちゃっていうことになるんですね。そんなかわいい名前を持っているんだったら見に行かなくっちゃ。おおかわいい、これは連れて行かなくっちゃって、連れて行くんです。

 幼児期の死亡率が、どこの民族も高いですね。未だに高い地域もありますね。それをいかに防ぐかという知恵ですね。糞の塊と呼ばれていると、近くを通っても見に来ないですよ。国連が人権白書というのを出しています。その項目の中に、幼児の死亡率というのがあります。幼児の死亡率が高いところは人権が守られるわけがない。それぐらい幼児の死亡率が大きな問題だと。そういうことで、2歳になる、3歳になる、生き延びた。当然、その頃になると個性が出てきます、癖も出てきます。痩せているだとかね、太っているだとか、聞かないとか、いろんなのが出てきます。それから親の思い、こんなのになって欲しいとか、そういうものがあって名前をはじめてつけます。で、この時から人間になるんですね。

動物の名前

 人間がそうですから、動物の名前も非常に大切です。神として、獲物として呼び方が違います。姿、性格によって違います。神として、カムイ。おじいさんのカムイ・チャチャ。山を支配するヌプリコル・カムイ。長老のカムイ・エカシ。悪い神さまウエン・カムイ。それでも神さまですから。シケ・カムイ、太ったカムイ。そんなのが19例あります。獲物として、食べ物として、毛皮として。チ・ラマンテ・プ、我ら刈り取るもの。それから、年齢によっても呼び方を変えます。エペン・クワ・ウス(上方に・杖・ついている=前足の長い熊),エパン・クワ・ウス(下方に・杖・ついている=後足の長い熊)、なんでそんな名前をつけるのか。前足が長いクマに出会い頭に出会った時は、崖を登って逃げろ。反対に後ろ足の長いクマに出会い頭に出会った時は、下へ逃げろ。クマは転げるから助かるぞ。そんな ふうにわざわざ名前をつけたのは、それを見たら周りの人に叫ぶんですね。そしたら、一斉に崖を登ったり、降りたりして逃げることができる。呼び分けが必要だったんですよね。

 シカ、ユックって言いますよね。ユックというのは獲物です。シ・ユクと言ったらクマのことです。本当の獲物。ユックっていうとシカを指すくらい、シカをふんだんに獲ったということですね。獲物と言ったらシカのことです。

 サケ、これはシカと同じように生活するのになくてはならない、知里さんは133の名前を集めたんですね。季節、川、処理方法、背中から割るのか、腹から割るのか、そんなことで名前を決めていました。それから、食べる方法によって使っていました。チェプ、普通名詞です。だけど、ユク・チェプというとサケを指していました。ユックと一緒ですね。獲物がシカを指していたように、普通にプっていうと、一般的にサケを指すというぐらいサケというのは身近にあった。

 カムイ・チェプ、神の魚です。魚の神ではありません。神の魚、それは、神さまが人間に、あるいは他の動物たちも含めて、下界の生きものに与えてくれる魚だから、カムイ・チェプ、神の魚なんですね。それから、アイヌにとって川というのは生きものです。海から山に向かって流れています。流れているのは上から下に流れているんですが、川の生きものの頭は河口です。一番しっぽは水源地です、途中で枝分かれして、手や足やと人間の身体と同じように考えました。サケは頭からしっぽに向かって登っていくわけですね。決して、その サケは海へと戻って来ないんです。行ったら行ったで、命が終わる。役割が終わる。だから、川は海から山に行くんだと。

植物の名前

 ここで紹介する辞典、動物編と植物編が一緒になっているんですが、植物編は1957年に知里さんが自分でまとめたものです。動物編ていうのは、原稿が残っていたものを、亡くなってからまとめたものですから不十分なんですね。植物編というのを機会があったら物語として読んでいったら、非常に面白いものです。

 アイヌ語には木の名前も草の名前も存在しないと書いているんですね。エゾエンゴサクって綺麗ですよね。あれを普通トマっていいます。でも、あれは塊茎のことです。根のことです。葉っぱは、トマラハ、花はイトーペンラ、呼び分けるわけですね。それが、今やトマっていうと、エゾノエンゴサクを差すようにみんな書いているけれど、それはアイヌの考え方では、そんなことはあり得ないんです。それから、アイヌにとって、木や草は植物ではない。これは、アハチャ、ヤブマメ・叔父、ヤブマメっていうのがありますよね。春のはすぐに芽が出てしまいますが、秋のは保存が利きますね。土に中にマメができ、とっても美味しいのです。マメのことをチャといいます。アハのチャ、アハおじさんというわけですね。

 コムニフチ、カシワのおばあちゃん。特別に大きいカシワの木は、シ・コタン・コン・ニ、大きな・コタンを・領する・木。人間扱いしてるんですね。ですから、植物も人間の身体と同じように考えています。根が足で、茎が身体で、葉っぱが手足、頭が花みたいにね。そんなふうに考えていたんです。だから、おじさんだとか、おばさんだとかという呼び方をするんですね。カシワの木っていうのは、チリコタン、大地を司る神ということなんです。木の中でも別格なんですね。これはやっぱり、ドングリをいっぱいつけて、生きものをたくさん生存させるからでしょうね。ですから、それに伴う名前っていうのは、カシワの木に関わるユーカラだとかがいっぱいあります。迷子になった小さい子どもが、夜露に濡れて死にそうになったのを、カシワの木のおばあちゃんが自分の胸に抱いて一晩抱えて生き延びたんだとかね。そんなことで、人間にとって非常に大事な木なんですね。それは、もうすでに植物ではないんだということですね。人間と同じなんだということです。で、植物の名前は人間と関わりのある部分につけるんです。

 おばあちゃんに聞いてみると、桜の木を見て、「おばあちゃん、この木はなんて言うの?」って聞くと、「名前ない。」素っ気ないんですよね。「名前あるっしょ。桜でしょ。」「そうか。」「何ていうの?」「これが(黒板を叩いて)カリンパって言ういうんだ。」「じゃあ、木はカリンパなのか?」「木の皮だ。」桜の皮はカリンパ、くるくる回るモノっていう意味です。これは非常に大事なもんです、アイヌにとって。桜の皮細工としてなくてはならないものです。木は何ていうのか。カリンパニ、桜の皮を持っている木です。皮が主であって、それのくっついている木。桜の実、カリンパニ・エプイケ、桜の皮の木の実。めんどくさいですね。桜の花、「花は何て言うの?」「ない。」「何か言うでしょ。」「ノンノかアパッポ。」どっちも普通名詞です。ノンノはノンノンのノンノですから花ですね。ノンノンという雑誌は、アイヌ語のノンノからつけたんですね。ノンノもアパッポも花という普通名詞なんです。だから、これなんだ?と聞いたら、花だと言うんです。素っ気も何もないですね。それは、関係ないからなんです、人間の生活と。一番大事なのは、桜の木の皮なんです

 名前がどうつけられているか、何て呼ぶのかがわかると、この植物全体の中で、何を使ったのかっていうのが、だいたいわかるんですね。茎を使ったのか、葉っぱを使ったのか、花なのか、根なのかがわかる仕組みになっています。

 花の名前っていうのは非常に少ないですね。アンラコル、クロユリの花ですが、クロユリの花っていうのは鼻を近づけると、鼻が曲がるほど臭いんですよ。それが花の名前なんです。あの花を煮出して、染料を作るんです。それでモノを染めたり、煤と混ぜて入れ墨の材料としても使います。ヒトリシズカ、高山植物ですね。ヒトリシズカの花をエネ・ハムン。これは4枚葉っぱがある、4枚葉っぱを持った花という意味ですね。この花はハーブ、お茶にして飲むんです。だから、そういう仕組みになっています。植物の名前は。

 ということで、知里さんの植物辞典で、当然そういうことを言っていた人ですから、その名前がどこについていたのかっていうことが細かく書いてあります。木なのか、葉なのか、 根っこなのかが書いてありますね。読み物としても、アイヌの考え方を知る上でも、これはとっても役に立つ、わかりやすいです。機会があれば図書館で手に取ってみてください。

名前のないもの

 世の中に名前のないものがいっぱいあります。人間と関係のないものに名前をつけないんです。無駄なことはしない。ですから、自然界のすべてが神ではないんですね。それじゃあ、それは人間にとって関係なんだろうか、粗末にしても良いんだということにはならない。神が天上世界から降ろしたものに必ず役割があるというのが、もう一本ガーンとありますから、人間にとっては関係がないものでも、他のものに役に立ったり、必要なものなんですね。それがなければ生きられない虫がいたり、動物がいたりするんです。全てのものに役割がある。

 人間世界も同じです。人間も必ず何かの役割があるから、年寄りは身体が動かないんですが、そしたらそれで役割がちゃんとあるでしょう。ちゃんとあなた果たしているの? 自問自答して働きなさいっていうことですね。先ほどの桜の木の名前はないって言っていたおばあちゃんは、人間っていうのは働いて働いて、働き終わったらお迎えが来るから行くんだよ、それまでは働くんだって。見事だったのは、何度か入退院を繰り返したんですね。ある日、退院してきてですね、織りかけの花ござの中途半端なのがあったんですよ。それを全部 仕上げて、外して、挟みで綺麗に揃えて、巻いて、それで病院に戻って亡くなったんです。見事なおばあちゃんでしたね。

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