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choucho 【小説】火曜日の美術館

 もしかしたら、許されるのじゃないかと思っていた。この展示に足を運べたら、苦しむけれど、もう一度洋服を作ることに向き合えるのじゃないかと思っていた。でも、わたしの体が拒否をした。ううん、これは与えられた罰なのだ。

火曜日の美術館:choucho


 本当なら、今頃、わたしは東京都現代美術館にいるはずだった。開催中の「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」展を鑑賞するために。だけれど、わたしはまだ自分の部屋の中にいて、体を引きずりながらようやく起きあがったところだ。

 コーヒーを淹れ、マグカップに注ぐ。
 昨日、今朝のために買っておいたスターバックスのチョコレートチャンクスコーンを頬張る。
 左手は、だらんと垂れ下がっている。

 わたしの抱えている病気は、いわゆる精神疾患で、当初、鬱だと思われていたけれど、検査の結果、統合失調症だと判明した。過度のストレスによって発症したのだ。

 病名を告げると、勤めていたアパレル会社から、もう来なくていい、と告げられた。わたしも職場に復帰するつもりはなかった。デザインを盗用するような働き方がわたしの心を壊したのだから当然だ。

 現在、働いているカフェに病名は伝えていない。障害者手帳は持っているけれど、そのことをクローズし、一般枠で働いている。ハローワークでも障害のことは伝えなくてもいいと言われた。
 普段のわたしは、多分、障害を抱えているようには見えないと思う。カフェの同僚も、みんな知らない。それでも時折、今日のように体が動かなくなることがあるから、何か持病を抱えていることは分かっていると思う。そんなわたしに優しい今の職場が、とても好きだ。

 遅い朝食を摂ったわたしは何をしよう。
 今からだって出かけられる。
 でも左手は、まだ動かない。街中で全身が動かなくなってしまったら、そういう時は声も出なくなってしまうから、また救急搬送されてしまうかもしれない。それは避けたいな。
 今日はあきらめて、家にいよう。

 ミナの洋服を知ったのはいつだったかな? 多分、母の持っていた雑誌を読んだ時だと思う。マッチ棒の刺繍が、とびきりかわいいスカートで、すぐに欲しくなった。けれど同時に、まだまだわたしが履いてはいけないものだとも感じた。まだ10歳にも満たない頃だったけれど、ミナの洋服は大人の、なんというか特別に選ばれた大人の洋服だと思っていた。

 両親は、いつもミナと呼んでいたけれど、いつの間にかブランド名はミナ ペルホネンに変わっていて、少しがっかりした記憶がある。ミナのままではいけなかったのだろうか。その顛末をわたしは追わなかったけれど、今でも心ではずっとミナ、と呼んでいる。

 実は、わたし、皆川さんに会ったことがある。吉祥寺のギャラリーで個展が開催された時に。両親に連れられて出かけた。個展の様子は、自分でも驚くくらい覚えていないのだけれど、見上げた皆川さんの顔を覚えている。もしかして握手もしてもらったのかな。それで、右手は、今、平気でいるのかな。

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 そして、なぜかその時、両親が購入したであろうサイン本がわたしの手元にある。
 そのことを今、思い出した。本棚から引っ張り出す。わたし、飽きずにこの本を眺めていたのだっけ。それで自分のもののようにした。ひとり暮らしを始めた時も手放さず持ってきた。

 退院後の一時期、わたしは実家でのんびりと過ごしていた。やがて障害者手帳を取得するわたしだけれど、何にもしないでだらだらしているわたしを咎めることもしないで、受け入れてくれた。おかげで貯金は食いつぶさなかったし、回復した時にすんなりひとり暮らしに戻ることもできた。両親ともに引き止めてくれたけれど、突然喚く姿や、動かなくなる状態を見せたくなかったし、むしろひとりでも大丈夫ということをアピールしたいために、もう一度実家を出た。

「ミナ ペルホネンの刺繍」、このサイン本を開き、めくっている。
 そうだ、わたし、洋服が好きで、刺繍もテキスタイルも好きで、パターンを引くことも好きで。
 罪を犯してしまったわたしだけれど、もう一度、洋服を作る世界に戻ってもいいのかな。

 スマートフォンを開き、仕事のシフトを確認する。来週は月曜日が休みで火曜日は仕事だ。そうか旗日だからか。代わりに13日が休みなのか……。それなら、その日にもう一度チャレンジをしようか。
 何度も負ける。けれどチャンスがまだあるのなら。

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「あら、葉ちゃん。こんにちは」
「こんにちは」
「どうした? 顔色が悪いよ」
「分かる? ノーメイクなの」
「ふうん、青白くって、かっこいいよ。クマがいいね」
「それって褒めてんの、ディスってんの?」
「本気で褒めてる。なんかジョニーデップに似ている」
「ありがと。ウインナ」
「了解。でも、あんまり無理しないで」
「うん。ザジと遊びに来たの」
「はい、ウインナ」
「サンキュー」

「ザジ、こんにちは」
 ザジは目を細めてわたしを見上げる。わたしはザジのおでこを撫でる。首筋からあごを撫でる。
「あら、今日はゆっくり撫でさせてくれるの」
 そんなに嬉しそうには見えないけれど、わたしの側から離れることなく座っている。あくびをする。わたしは彼女のことを撫で続けている。

 わたしの働くこのカフェの奥はちょっとしたギャラリーになっていて、オーナーの知り合いのフォトグラファーの写真が飾られている。モノクロの写真が黒いテーブルにマッチしていて、とても好きな空間だ。

 わたしはAirPodsをして音楽を聴く。青春時代から仕事を辞める時まで一緒に過ごしていたバンドの曲を流す。残念ながらライブに行くことは叶わなかった。もっとちゃんと応援していたら解散しないで済んだのかな。

 この曲、聴きながら、泣きながらパターン引いてたな。その頃からは、もうだいぶ時間が経った。いい加減、立ち直らなくちゃ。

「ねえ、ザジ。わたし、また洋服作れるかな」
 撫ぜるわたしの指を舐めるザジ。
「やさしいね、ザジ」
 にゃ。
 ふうん、当たり前だって? 
「でもね、そういうやさしさ示せる人って少ないのよ。だからザジ、大好きよ」

 わたしはクリームを掬う。
 ザジは毛繕いをはじめる。

おわり



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