それは油をさすという
私は刺繍をする。刺繍作家というほどの者でもないけれど、自分の書いた小説や童話からモチーフを縫い上げ、それを表紙とする。絵を描けない私が、それでも本を作りたいと願った時に思いついた手法だ。
通信講座で、ひと通りステッチを習い、あとはひたすら縫うばかり。
そして、それは刺繍缶バッジとなり、こんな風に物語に添えられる。
物語のことは、今は置いておこう。
刺繍について続ける。
刺繍に必要なもの。
・布地
・刺繍糸
・針
図案のためのマーカーやチャコペン、刺繍枠なども必要だけれど、ひとまず布と糸と針があれば、刺繍はできる。
刺繍の最中に、布と糸は、ひとまず机の上に置いておけるけれど、針はおいそれと置いてはおけない、とてもあぶない。
それで、針のための休憩所、ピンクッションが必要になる。
私が使っているピンクッションはオリジナルのもの。世界でひとつしかない。そして、その詰め物には私自身の髪の毛が使われている。
冒頭の写真は、ピンクッションを作るために、友達の美容師に頼んで切り取ってもらったものだ。汚れぬように房を束ねて切り取ってもらった。短いのが私のもの。長いのは妻のもの。
ピンクッション(針山)の中に髪の毛を入れることは珍しいことではない。もともとはそのようなものだったようだし、手に入れやすいものでもある。
そのうえ、髪の毛には油が含まれる。
だから、針は休むたびに油を補給し、その切っ先の滑りをよくする。よい刺繍のために髪の毛が針の疲れを拭う。
切り取られた髪の毛の油で縫い物なんて、と渋い顔をする方もいるかもしれない。でも私は、切り取られてなお、油をさす髪の毛を美しいと思う。
また、別の友だちにヘアドネーションをするために、髪の毛を伸ばしている人がいる。ヘアドネーションとは、病気などの理由でウイッグ生活を余儀なくされている人のために髪の毛を寄付する行為のこと。彼女自身も難病と闘っているのだけれど、それでも、他の人に手を差し伸べようとする姿は、美しいと思う。
それもまた、切り取られた髪の毛だ。
他にも、切り取られた髪の毛が活躍することがあるかもしれない。風にたなびく髪の毛の美しさは代えがたい魅力があるけれど、解き放たれた髪の毛の輝く場所もまた、きっとたくさんあるだろう。
最後に私のピンクッションの写真を掲載して、このエッセイを閉じる(このピンクッションは妻が作ってくれた)。イニシャルがTであるのは、ひとまず今は秘密にしておこう。
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