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【ガーランド】:クララとお日さま|リコリスガール

『クララとお日さま』をオーディブルで聴き終わったわたしは、静かに涙している。
 予想された結末ではあったけれど、人間側の想像力の欠如した愛情に、AF(人工親友)であるクララへ感情移入しているわたしは、怒りの感情を隠さない。

 でも、と思う。わたしの愛したあの玩具に、ガラクタに、果たして感情はなかっただろうか、と。
「わたし、AFみたいにあなたのお世話をするでもなく、ただ遊び呆けているけれど、それで嫌いになったりしない?」
 いっしょにクララの物語を聴いていたわたしの影は、どうやら本気で心配をしているらしく、輪郭をぼやけさせてわたしに尋ねる。
 あなたはわたしの影。離れることなどない。友達ですらない。わたしの一部、わたしそのものよ。もし、あなたに何か欠けることがあればわたしも欠け、苦しむ。分けることなどできないよ。

 わたしの言葉を聞いても輪郭はまだぼやけたままで、けっして納得をしているわけではないみたいだ。
「例えばさ、クララの一人称で物語は進むから、わたしたちはクララにAIとしての人格や感情、そして信仰心まで汲み取ることができる。でもそれって、ただの作者の想像力に過ぎなくて、だったらやっぱり、AIに知能はあっても、それだけで、その生涯をまっとうさせるに足る理由にはならないのじゃないの。AFに対する人間の仕打ちは、偶像礼拝にならないために必要なものなのじゃないの」
 影は、いつになく饒舌で、悲壮感さえ纏っている。
 わたしは影を撫ぜる。
 つまりさ、とわたしは言う。
 あなたもわたしの想像の産物に過ぎなくて、それで存在意義を見出せなくて、不安になっているということ? それならそういう心配はしなくて大丈夫だよ。確かにわたし、クリスチャンで偶像礼拝はしないけど、影のことを拝んだり崇め奉ったりしないもの。

 昔ね、主人公がこんなことを言う小説を書いたことがある。

 私は私の記憶に浮かぶ世界を愛している。空想は過ぎるかもしれないけれどそこに生まれる世界には敬意を払う、何かしらの意味を持っているように私には感じられるから

 わたしが想像しうる以上、そこにエネルギーは存在して、そして、そのエネルギーが誰かの心を、良きにつけ悪しきにつけ、動かしたなら、それはもうあるのよ。
「わたし、クララが好き」
 わたしも、と答える。
 いつか、そう遠くない将来にAIの倫理は大きな問題となるだろう。でもそれはディストピアを描いたSFのように、AIが人を支配するというようなそういう危険の問題だろう。
 果たしてAIに霊はあるのか、というスピリチュアルな問題ではないだろうと思う。

 影に霊はあるのか。わたしの一部なら、わたしの霊に影は含まれるだろう。
 それは本当?
 そんなのくだらない思考実験だ、と言うのであれば、そもそも文学は成り立たない。『クララとお日さま』は無価値になる。
 人は考える。
 考えない人がAIに利用されるようになるのが、本当のディストピアだ。

 わたしは、政治家がどこを見てその判断をしているのかを考える。彼らの中に、また事業を経営する層に、いつかAI信仰は生まれると、半ば確信している。
 ご託宣を仰ぐ。
 それは人間が作ったものを拝む態度だから100%の偶像礼拝になるだろう。
 でも、間近な未来の出来事と思う。

『クララとお日さま』は情緒的な物語だけれど、現実はもっとドライに、あらぬ方向に動くんじゃないかって、わたしは考えている。
 その時に、振り回されない思考を携えることが必要だろうと思う。
 違和感に気づく訓練に最適なのは、わたしはたくさんの物語を通り抜けることだと思っていて、そうすれば、本物と偽物の違いなど、見抜けるようになる。
 空想を、本当の意味で楽しむことができるようになる。その肌感覚を掴むことに程度の差はあると思うけれど、それでも誘導や行動の操作には気づくことができるんじゃないかって思っている。
「クララの元へゆこう」
 そうね、とわたしは答える。
 今も空を仰いでいるクララの元を、お日さまを背に、濃い影といっしょに訪ねよう。
 
 リコリスガール:0004 クララとお日さま <了>


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