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「画家が見たこども展」 【小説】火曜日の美術館

 わたしの心は、はしゃぐ。
 こどもたちのいろんな表情、仕草、洋服。
 かわいい! キュート! ラブリー! 猫ちゃん!

 都心に出たのは4か月ぶりになるだろうか。久しぶりの美術展。足を運んだのは三菱一号館美術館「画家が見たこども展」。

 ナビ派の絵画が好きなわたしは、コロナ騒動の前から足を運ぶと決めていた展覧会だ。観られないまま終わると思っていた。観ることができてよかった。嬉しい。

 チケットは完全予約制。そのおかげで、ちょっとした貸切状態で絵画を観覧できる。それって、とても贅沢なこと。自分のペースで閲覧できるし、カップルのひそひそ話に聞き耳を立てなくてもいい。

 とはいえ、この予約制というのは、逆に難儀なものでもあって、実はキャンセルもやむなしかな、と思っていた。日曜日・月曜日とすっかり寝込んでしまっていたのだ。
 調子のよかった土曜日にチケットを買った。そのあと、がらがらと体調が悪くなってしまった。

 それで、昨日の夜、どうせ回復が叶わないのなら、思い切って自分の好きなことをしてみよう。夜更けにテーブルを片付ける。

 スカートを仕立てた。仕立てるといっても巻きスカートなので、そんなに難しくはない。深い紺地のデニムの生地が残っていたので、夜中、迷惑を顧みずミシンを踏んだ。雨の音で紛れると自分に言い聞かせて。

 紐を簡単にロックミシンで仕上げた頃、鳥の声が聞こえはじめた。
 カーテン越しの外の様子は随分明るく感じる。夏至の頃の朝は夜を軽々と追い越してしまう。

「晴れなら、なおよし」
 わたしは、スカート纏って鏡の前に立つ。
「葉くん、似合うじゃん」
 わたしは、ほっと、息をついた。
 予約は14時。ひと眠りしたあと、シャワーを浴びよう。

 よかった、わたし、洋服が好きで、今も作ることができる。

***

 中央線は普段通りの混み具合に感じた。座れば、たちまち左右が埋まる。ソーシャルディスタンスって、どこ。
 スマートフォンで、タイムラインを追いかけているうちに、眠っていた。目的地が終点にあると、それだけで安心だ。

***

 美術館の入り口でQRコードを示し、障害者手帳を提示する。非接触型の体温計で熱を測られ、おお、と思う。空港みたいな手続きが続く。さすがに持ち物まではチェックされないけれども。

 そうして、ようやくエレベーターで会場に入る。3階が最初の展示室だ。
 プロローグと題されたこのセクションで、最初に展示されている絵画がこちらだ。

画像1

モーリス・ブーテ・ド・モンヴェル「ブレのベルナールとロジェ」
ポストカードを撮影

 なにこれ! かわいい! ジャンプスーツ、ではないか。でもとびきりかわいい! 襟ぐりを見て、これはセーラーカラーになっているのかな? 決めた、次はセラーカラーのジャンプスーツを作るのだ。
 かわいいよお。この絵画を観ることができただけで、足を運ぶ価値が、わたしにはあった。
 お揃い、いいよね。ボーダー、いいよね。麦わら帽も買っちゃおうかな。足元がまたキュートだ。

 のっけから、わたしはハイテンションになる。後続のお客さんがやってくるまで、わたしはこの絵に釘付けになっていた。
 うん、いいね、いいね。

 このセクションには、ルノワールやゴーガンやゴッホの作品もあったけれど、カリエールの絵が印象に残っている。「病める子ども」がわたしの胸を打つ。母の頰に添えられる手のひらのやるせない。わたしも自分の頬に触れる。マスクにぶつかり、慌てて手を顔から離す。

 次はセクション1「路上の光景、散策する人々」。
 ボナールの「小さな洗濯女」のかわいらしい。
 ヴュイヤールの「赤いスカーフの子ども」の愛らしい。とってもおしゃれ。
 ナビ派に描かれる洋服はとてもかわいい。そこを中心に鑑賞しても楽しいかもしれない。
 ヴュイヤール「乗り合い馬車」の双子のような姿もかわいくて、これらの絵は、みな後ろ姿なのだけれど、その仕草や洋服が、開きっぱなしの子どもの心を表しているように感じる。とても幸福。
 ヴァロットンの作品はイラスト的、風刺もあると思う。わたしの好みではないけれど、気にいる人も多いんじゃないかな。

 セクション2は「都市の公園と家族の庭」
 ここでのドニの作品に、その子どもの表情と洋服にまた魅了される。赤い格子柄のエプロンドレス、それは冒頭の写真の下側の絵画だけれど(上はゴッホ)、フライヤーやチケットにピックアップされている作品。素朴な感じはするけれど、実物を見たら間違いなくかわいいと感じるはずだ。
 素敵だなあ、いいなあ、そればかりを言っていたかもしれない。

 セクション3「家族の情景」。
「あ、猫ちゃん」
「あ、猫ちゃん」
 家族の情景の中に猫がちょいちょい描かれていて、いいなあ、と思う。わたしも一緒に住みたいなあ。帰りにザジに会いにゆこ。
 ドニの作品の中に「入浴するノノ」というのがあって、ノノかわいいじゃん、と思って解説読んだら、ノエルの愛称なんだって! ますます素敵に思えちゃう。なにそれ、反則じゃん。わたしもノノと呼ばれたい人生だった。

 セクション4「挿画と物語、写真」
 タイトルにあるように、このセクションには写真も展示されている。その写真がすごくよい。何気ない、気取りのない写真だけど絵になっているんだよね。ここでもドニの写真に惹かれる。回廊のようなところに女の子3人がこちらを向いて立っている。そのひとりはノノだ。手元に置いて飾りたい、そんな風に思う。

 エピローグの色彩は祝祭めいている。
 わたしは、少し心駆け出して、(図録は買う、あの絵画のポストカードはあるだろうか)、そうやって展示室を抜ける。

***

「ザジ、マスク越しのチュウだ」
 にゃ、と鳴いてザジは迷惑そうに去ってゆく。
「葉ちゃん、めずらし。テンション高」
「今日は、ちょっといい展示を観れたんだ」
「それは何より」
「もうちょっと点数があってもよかったけれどなあ」
「ウインナでいい?」
「今日はアイス、じゃなくてジェラートにする。ラズベリーとラムレーズンとコーヒー」
「オーケー」
「あと、やっぱりアイスコーヒーも」
「了解」

 わたしは、黒いテーブルの上で、ジェラートを掬いながら、図録を広げて眺めている。
 かわいかったなあ、とあらためて思っている。
 子供服、作る?
 そんなことまで考えてしまう。
 調子の悪さが嘘のように飛んでしまう。わたしは、もしかしたら芸術を食べて生きているのかもしれないな。それってかっこよすぎ。でも。

 そうなりたいなら、もっとのめり込まなくちゃならないかも。
 ザジがすりよってくる。
「君の好きなバニラ味は選ばなかったのだよ」
 ラムレーズンをよけた部分をほんのちょっと舐めてもらう。
 わたしは、もっともっと正直に生きるべきだ。それで、失敗してもいいじゃないか。
 わたしの洋服が、いつか誰かの写真や絵画の中に収められて、それを見た誰かが喜んだりするかもしれない。それは、多元的な意味を持つ。

 作ろう、作ろう。
 手を動かせ。そうしたら、この壊れている心も動く。今日みたいに、回復することだってあるのだ。

おわり

<セットリスト>

KLIMPEREI / FIND TWISTS






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