ローカルメディアと『虎に翼』

今期のNHK朝ドラ『虎に翼』は、私の鑑賞史上最高傑作と言っていい。『あまちゃん』『とと姉ちゃん』『エール』『スカーレット』『カムカム…』『ブギヴギ』など、好きな朝ドラは多々あれど、現代に続く課題に真正面から取り組んだ作者の心意気に、胸を打たれ続けていた。

日本国憲法第14条の「法の下の平等」を基軸につむがれた物語は、人によって響くポイントがいくつもあったかと思うが、私としては「どの地獄で、何と戦いたいのか、それを決めるのは彼女自身」という、自己決定権の話に最も響いているし、マイノリティを透明化せずに描き切ったドラマの力に感嘆している。

今日もまた、あちこちに出向いた。午前中は金沢区で市民ライター講座。市民ライター育成を突き詰めると、その役割に「透明化された存在の可視化」が含まれていると思う。「地域に生きる市民の、個の発露から生まれるもの」が積み重なっているのが市民メディアだ。「わが区はこんなまちです」という表面的で大雑把なプロットだけでは表現し尽くせない、生活者の地に這うようなリアルな物語が蓄積されていく。時に都合の悪い、綺麗事だけでない、生きづらさや本音が含まれた記事は、実に今の時代も社会をも映し出す鏡と言える。

根に持つようだけど(笑)、こうした「コスパの悪い」情報にこそ、地域で掬い上げるべき課題があって、右から左に流す「情報」からは得られない真実がある。机に向かってパソコンの画面から表面的な情報だけ引っ張ってきて、都合の悪い真実を透明化して、都合の良い現実だけを発信することが、まちづくりではない。


その後、西に車を走らせ、午後は平塚市で市民活動団体の広報力UP講座。社会に声を届けることは、広報の一部に過ぎない。自分の内なる声、仲間の本当の声を聞く。そして仲間と理念を共有する。社会(情報を届けたい相手)の声を聞く。そして社会に声を届ける。この順番を間違えてはいけない。団体が目指す社会像がビジョンであり、団体の存在意義を規定するのがミッションで、その両軸を仲間と共に自己決定していくプロセスを経て、初めて納得感を持って外に向かって発信ができるようになる。

NPO(広義のボランタリー団体)は、自己決定ができる組織。団体のビジョン・ミッションへの共感を前提に、自分の意志で参画することができる。ボランティアなのか、スタッフなのか、正会員なのか、数ある選択肢の中から、自分が持てる責任の範囲で関わり方を決めることもできる。森ノオトも少しずつ、関わり方のステップを整備してきた。そしてもちろん、あえて「地獄」を選んで戦うこと=社会を変えることだってできる。そのためには時間をかけての実践と論理と算段が伴う必要があり、透明化されない存在とどれだけしっかりつながれるのか、声を集めて代弁していく力が問われる。

毎日、「うっ」と怯みたくなることに出会う。そんな時こそ、ユーモアをもって「はて?」と唱えよう。作者は「はて?」=対話しようよ、と言った。対話とは、無視や排斥という透明化を回避するための戦なのだと思う。NPOは社会にとって都合の悪い声にこそ耳を傾け、拾い上げ、そこから活動をつくり、声を届けていこう。私が拾える声は限られている。見えている世界も一部にすぎない。だからこそ仲間とつながり、連帯することが大事なのだ。

私は寅子と桂場が繰り広げる法律談義は私は大好きだった。水であり、船であり、巌であり、母であり、、、それらを最も必要とする透明な存在を伝えるメディアの役割もきちんと伝えてくれていた。

私たちは自分の人生を自己決定できる権利がある。権利を行使できるようになれば、義務も果たせるようになる。自分を主語に語れる社会をつくりたくて、市民ライター育成や、市民団体の広報支援をコツコツ続けているんだろうなあ、と思う。

そして私は、寅ちゃんと同じように、とっても恵まれていて、家族にも周りにも、自分の人生を選び生きることを否定されずにここまで歩んでこられた。だから「地獄の道」が前にひらけたとしても、安心してそこを進むことができるんだろうな。ありがとう。

今日も明日も、私の中の小さなよねさんのような、仲間の存在を感じていたよ。

いいなと思ったら応援しよう!