《目覚めにありがとう》からはじめよう
嫌々、めんどうくさいと思ってた保育園
今日は、行きたくないなぁ
お家でお絵描きしたいなぁ
おばあちゃんと畑に行って遊びたいなぁ
5歳の頃のはっきりした感情の記憶
したくもないお昼寝、やらなかったら皆の前で叱られる
楽しみの一つ、3時のおやつは無しになる
なんで、どうして?
特に、先生方の笑顔と、怒った顔、両極端の表情が残っています
先生方の動きや様子、顔の表情、親よりも長時間過ごしていたからなのか、
とても印象深いです
一度、朝から本当に嫌で泣いてわめいたら、父に酷く叩かれた事がありました
思いの外、強い力だったらしく
首がむち打ちのようになり、動かせず、余りに泣いたので、母が看護師になる夢を追い、学びながら働いていた病院へ
ところが、診察を受けたくなくて、痛いのに無理に動くようになった、と
診察室へは行かず、母と休憩室へ顔を出しました
少し恥ずかしかったのですが、笑顔で迎えて下さった瞬間を覚えています
気持ちが明るくなったからです
度々の不登校でした
宿題も予習、復習などスイッチオンで集中し続けられても、ふと切れると、ずーっと切れっ放しになる傾向がありました
小学校3年生の時は、学級委員に立候補したり、勉強も運動も驚くほど取り組み、目立ちたがり屋でした
でも、体格的に背も低く、筋力もそれほど無く、男子に鉄棒や登り棒で負けると悔しすぎて、練習していたのに、
一つやーめた、となると、数珠繋がりに全部やめたくなってしまい、登校する気すら失せました
1週間程、確信的に休みました
実際に休みたくなる前には、自家中毒というストレスや精神面からくる病気になり、点滴や注射で通院し学校を休んでいました
そして、遅れてしまった授業や宿題を考えると、どっさり、に
ウンザリに思ったので、完全オフになってしまったんだと思います
家で漫画や本を読んだり、お絵描きしたり、実際、何となく体調も悪循環で優れなかったので寝てたり
でも何とか復活‼
これは、幼馴染の友達のおかげでした
2度目の不登校
あー、だるい
頭が痛い
行きたくない
小学校6年生、そして中学生の時も
またまた不登校
急にズキン、ズキン、と片頭痛が起こる事しばしば
家には富山の置き薬があり、子どもの私も簡単に取り出せる木製の引出しでした
「ズバリ」という粉末の薬を、何度も服用
症状が治っても、しばらく学校を休みました
高校中退
何とか目標を立て、進学した高校
入学して中間テストが終わった6月後半
再びズキンズキンと頭痛で悩まされる事に
不登校になり、しばらく学校を休んで部屋から出ない期間がありました。
もう何も考えられない
何となくの毎日が面白くない
夢や明確な目的意識は特にないのに進学校に入学
塾とも無縁で伸び伸び大らかに田舎で育ち自分流での適当な勉強
入学後は、医師の両親を継ぐためがんばってる同級生
語学堪能なまさに優等生の子
スポーツ万能で学業も優良な子達
今までの勉強不足を意識しなさ過ぎていた自分に負い目を感じて恥じ、慌てて参考書など買いに行きました。
普段は絵を描く事や漫画、小説を読むのが好きで、実際は、たいして勉強していませんでしたから、中学までとは大違いの高校に、
自分は場違いでは?
ふと、そんな事を感じたりもしていました。
何をしようか、何がしたい?
目の前にあるはずのやるべきことが見えず、ふわふわしていました。
我慢や努力どころか、ストップモーション、初期化でした。
私は何をしたらいいんだろう…
そんな時、衝撃的だったのは小学生の時の友人が相次いで事故で亡くなったとの知らせ。
優しい笑顔も声も、もう…二度と
自分でも出来る事、何でもいいからやってみよう
先ずはありがとう、良かった探し、
どんな事も、捉え方一つで、とっても変わる
すべてが必然で出会うべき事象
きっと意味がある
ゆっくりでもいいから、一つ一つ進めよう。
「何を、何のため、誰に、誰と、どうやって、どこで、いつ」
頭の中で、時には書いて、落ち着いて慎重に分析しながら
させて頂ける事に、ありがとうの気持ちで。
すると嬉しくなる、自分がご機嫌さんに。
自然と周りにも喜ばれる!
コツコツからわくわくへ
先ずは朝起きたら一番に、
目覚めにありがとう
今日も、これから、はじめよう!
https://note.com/teco20201247/n/n9f015e46e000