中央本線ワインの旅 勝沼編
結論:先人の知恵が詰まった
山梨ヌーボーとは?
毎年11月3日、山梨県では、「山梨ヌーボー」という新酒のワインが販売されます。山梨県内でその年収穫されたぶどうで、「甲州」、「マスカット・ベーリーA」を使ってつくられた新酒のワインのことを指します。11月3日は甲府駅など山梨県内各地で、山梨ヌーボーにまつわるイベントが開かれています。
山梨県は、150年ものワインの歴史があり、ワインの生産量も全国1位です。日本のワインの生産量の3割を占めています。甲府駅北口から徒歩5分の場所に「サドヤワイナリー」、勝沼ぶどう郷駅から徒歩15分の場所には、「シャトー勝沼ワイナリー」など、駅の近くでもワイナリーでワインを買うことができます。
では、「なぜ、山梨県のワインは有名なのか?」
今回は、山梨県のワインの歴史について調べてみました。
ワイン
世界史
8000年もの歴史のあるお酒。ジョージアのコーカサス地方が発祥と言われています。ジョージアはコーカサス山脈で南北に分かれます。北部は山岳地帯で寒冷な気候に対し、南側は温暖で乾燥した気候です。コーカサス山脈南部はブドウの原産地といわれています。クヴェヴリという大きな素焼きのツボにブドウを詰め込んで、ツボごと土の中に埋めて発酵、熟成させて作ります。
ブドウとともにメソポタミア地方を経由して地中海沿岸に広がりました。クレオパトラ、クフ王などエジプトの王族に飲まれており、ローマ帝国の拡大とともに、ドイツ、フランス、オーストリアなどヨーロッパ中に広がりました。東にブドウが伝わったとき、仏教でブドウが「不老、再生」を表すとされ、唐へ広まりました。中世に入ってから「子孫繁栄、豊穣」をもたらす縁起物とされるようになりました。
中世の修道院、教会ではブドウから作られました。特に赤ワインは、キリストの血の象徴として儀式に欠かせなかったため、作られていきました。大航海時代にヨーロッパの植民地に持ち込まれ、世界中に拡大しました。チリ、アメリカ、南アフリカ、ニュージーランドなどで現在もワイン造りが盛んです。
日本史
日本には、ブドウは奈良時代、唐から大宰府、平城京へ伝わりました。ブドウは甲斐国の名物になりました。
一方、ワインは室町時代に伝わりました。しかし、開国までの約400年間、ワインの存在を忘れられていました。開国により、横浜で外国人がワイン、ビール、シャンパンなど、飲んでいることを目撃した山梨でもワインが作れるのではないかと話し合ったのが始まりです。明治時代になって山梨県でワインの研究されるようになり、本格的に作られるようになりました。
勝沼とブドウの歴史
中央本線で向かいます。山梨県東部の山々を越えて、甲府盆地の東の入口にある町が、勝沼です。2005年11月1日、塩山市、大和村と合併して甲州市の一部になっています。
特急かいじで行く場合、大月から普通電車に乗り換えます。勝沼ぶどう郷駅(1993年、勝沼駅から改称)を降ります。3月下旬は、満開の桜、9月はシャインマスカットなど、おいしいブドウ、11月はワインが楽しめます。
勝沼では、弥生時代からヤマブドウという山に自生しているブドウは食べられていました。
718年、甲斐国を訪れた行基の夢に、ブドウを持った薬師如来が表れました。その姿を像に掘り、安置したのが柏尾山大善寺と伝えられています。大善寺には、ブドウ畑が境内にあり、ぶどう寺と呼ばれています。
鎌倉時代には近隣の住民がブドウの栽培をしたという記録が残されています。江戸時代には甲州ぶどうが名物になっていました。勝沼では、職業関係なく、独自のブドウの栽培法が確立されていました。
開国後、横浜で出会ったおいしいワインに衝撃を受け、篠原多田右衛門、若尾逸平など甲州商人が、「ブドウを栽培されている勝沼で、ワインをつくってみよう!」と決意しました。日本では果物言えば、生で食べるものでした。ワインは、未知の味。そのため、どこまで受け入れられるか未知数でした。
さらに、明治政府は、殖産興業政策(地場産業をブランド化し海外へ売り出す政策)により、新たな産業を民間レベルに根付かせ、世界へアピールする狙いがありました。これも、山梨県でワインを造ろうと決心させたきっかけの一つになりました。
1876年、当時の山梨県知事藤村紫朗もすすめて、甲府城に県立の醸造所を造りました。当時、知られてなかったフランス仕込みのワインを造っていました。しかし、当時、ワインの味が好まれず、輸入ワインに漢方薬、はちみつなどを加えたフレーバーワインが人気でした。さらに、ワイン作りの素人だった高野正誠、土屋助次郎をフランスへ行かせ、ワインの醸造技術を1年半かけて学ばせました。
そのころ、勝沼町の祝村では、祝村葡萄酒株式会社が設立されました。新事業に期待していた祝村の人々は莫大な費用を村総出で支払いました。帰国した高野正誠、土屋助次郎が、ブドウの苗木、技術を持ちかえり、勝沼のワイン産業の基礎を作りました。ワインの醸造技術を村人にも普及させ、器具も作り、独自のワイナリーも多く誕生しました。
1940年、酒税法が施行される前には、勝沼の各家庭で自家用ワインが造られ、食卓にふるまわれていました。昼も夜も葡萄酒をたしなんでいたと伝えられています。
※現在は、自宅で勝手にワインを醸造することは禁止されています。ただし、梅酒は各家庭で造られるため、アルコール分20%以上の蒸留酒(ウイスキー、焼酎など)のお酒に漬け込むことは、セーフです。
勝沼の地理
勝沼は東と南に山があり、平野部は日川など富士川系の川によって削られてつくられた扇状地です。砂礫が広がり、水はけがよく、斜面上にあるため、日当たりもよいです。盆地にあるため、朝晩の寒暖差も大きいです。そのため、ブドウ栽培にピッタリな環境でした。
ワインの製法
ぶどうの皮についている酵母、培養した酵母を使用してワインは造られます。これらの酵母により、ブドウの糖分がアルコール、二酸化炭素に分解され、ぶどうジュースの甘さから、芳醇な香り、タンニンの渋みなど複雑な味わいに変化します。
赤ワインと白ワインの違い
赤ワイン→赤ブドウの皮、種を取らず、先に発酵させてから、取り除きます。
白ワイン→白ぶどうの果実のみ発酵させます。
ロゼワイン→黒ブドウの果実のみを発酵させる。種発酵の途中で皮、種を取り除き、実だけ発酵させることにより淡い赤色になります。
勝沼ではワインの歴史を学べました。勝沼ぶどう郷駅を降りると、ブドウ園、ワイナリーが広がっています。
中央本線を長野方面へ、さらに進むと、長野県の鉄道の分岐点、塩尻市に着きます。塩尻市は、生産量2位の長野県のワインの一大産地です。塩尻について、書いていこうと思います。
参考文献
山梨県立博物館企画展 葡萄と葡萄酒