見出し画像

親に感謝するフリをする。

決めた。僕はもう家族で悩まない。足枷すぎた。けど、そう思う度、踏みとどまって僕は我慢をしよう。この記事を思い出そう。

親が思う理想の息子像がそれなら、それになってやる。

おれはいつも自分目線だった。これをしてくれなかったから、おれはこうしない。勝手だった。なぜ、僕は周りに思うことを家族に対してなら、やっても良いと思っていたのだろうか。

不自由に感じたこともあったけど、自由だと噛み締めることも確かに沢山あった。他の人に比べて自分は自由にやらせてくれてるって感じた時は何度となくあった。

親は親である前に人だ。西加奈子のおまじないのマタニティを思い出す。母親は母になった瞬間そんな急に母性は生まれない。何も変わらないのだ。ただ、責任がのしかかる。子供を大好きだと限らない。子供が親を好きとは限らないように。何が言いたいか。ずっと「やってくれている」のだ。やっているんじゃない。僕のためにと、働いて家事をして我慢をして、心配してくれているのだ。幸せなことだ。これは幸せなことなんだ。

同じくおまじないの孫係を思い出す。僕は息子係だ。母は母係だ。父は父係だ。僕らはその役割を全うすれば良いのだ。それが上辺でも良いのだ。それがきっと僕にもピタリと当てはまると思った。その関係性でいいのだ。自然じゃなくて純粋でもなくていい。家族ってもともとそんな美しくないのだ。そうやって割り切ってやっと成り立つシステムなのだ。みんなが合わせるものなのだ。綺麗に会うものじゃ決してないんだ。みんなが全体を考えて調和させるんだ。馴染むんだ、意識的に。

これは、割り切っていい息子を全うしたい、と思える大切な考えなのだ。笑顔になってもいいのかなと。会話のキャッチボールを何回も続けていいのかなと。自分から声を発してみてもいいのかなと。

フリをしてごらん。フリがいつか本物になったらその上ない幸せはないのではないか??今までやってこなかったからこそ、そのよろこびはでかいんじゃないか??


いいなと思ったら応援しよう!