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自分の好きなことがわかると、他人の好きなことを尊重できる。 『ナナメの夕暮れ』

一番大事なこと

「他人への否定的な視点は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを機会を奪う。」自分の好きなことがわかると、他人の好きなことを尊重できる。つまり、自分と他人は連動すると覚える。

僕らには、解明する道しかない。

第一ボタンを何も疑問を持たず閉めれる人は、きっと何の疑問も持たずに生きていける。だけど、疑問を持ってしまう人は「自分探し」と「社会探し」をしなければ、「生き辛さ」は死ぬまで解消されない。

自分は何が好きで、何が嫌いか。何をしたくて、何をしたくないか。どんなにめんどくさい、考えすぎと言われても、社会を、自分を、解明しなければ一生自分の心に蓋をしたまま生きることになる。

毎日楽しんでいる人に、周りの目を気にしない人に、前向きで失敗を引き摺らない人に、なりたいと願ってきた。しかし、諦めたし飽きた。

そして、変わることで愛されるしかない。

夕暮れとは、どんな色とも言い難いグラデーション。そんな色の内面の変化を表している。変わらないことで愛される部分と、変わることで愛される部分がある。この本は後者。変わりながらしか生きれない我々の光だ。

腹を見せて寝転ぶ。

著者は孤独を疑問に変える。わからないことに対して素直だ。腹を見せて寝転ぶ。わからないに蓋をすることはかえって孤独にする。いくら自分の中で分解してもどうにもならないことがある。他者に共有することでしか、解消されないことがあるのだ。

私たちは常に新しい「わからない」に出会い続ける。目を逸らしても消えてもまた現れる。著者はむしろ追いかける。キューバにもモンゴルにも行く。そんなアグレッシブさが稀有な才能である。

「朝井くん、〇〇って知ってる?」

年下にも純粋な探究心を向けられる。とても嬉しい。見習おうと思った。

ナナメの殺し方

自分も当てはまるから大事。嫌なことが多い。スタバでグランデが頼めない。それは、「グランデとか気取ってんじゃねえよ。」と馬鹿にしていたことが原因。ブーメランで帰ってくる。他人の目を気にする人は、おとなしくて奥手な人じゃない。心底他人をバカにしまくっている、クソ野郎だ。まさに僕。

文化祭で舞台に立つパリピをナナメから見ていた。けど、それは自分が舞台に立つ機会を奪う。ハロウィン、BBQ、旅行、サークル、学園祭に本気で取り組む、一人旅。何でも「みっともない。」と片付けて参加しなかった。

そうやってはしゃいでる人をバカにすると、自分がはしゃぐのが恥ずかしくできなくなる。

「他人への否定的な視点は、時間差で必ず自分に返ってきて、人生の楽しみを機会を奪う。」

自分の好きなことがわかると、他人の好きなことを尊重できる。

今までなんだそれとバカにしていたのだ、何が面白いんだろう?と純粋に知りたくなる。

好きなことがあることは、それだけで朝起きる理由になる。好きという感情は肯定だ。世界を肯定できるのだ。

他人を肯定できるようになると、自分に否定してくる人が、おもっているほど少ないような気がしてくる。「根拠のない自信」とは、まさにこのこと「他人から肯定的に見られてるんだろうなあ。」ということ。

「みんなを肯定すれば、自分の生きづらさが緩和される」という答えだ。生きづらさは、他人からの否定的な視線だからだ。それは、他人を肯定すれば、少なくなる。人生は思い込みだから。

グランデと言う人を否定するのをやめれば、自分がグランデと言っても否定する人は世界からいなくなる。

ネイティブ・ネガティブの隠しコマンド「没頭」

ネガティブを打ち消すのは、ポジティブじゃなくて没頭だ。

ポジティブに考えよう。そう思っても、一時的な処方にしかならない。失恋した時の痛みとか失敗した時のダメージは、時間が解決してくれる。これは綺麗事だ。答えは、没頭だ。没頭は、他のことを忘れさせる。

なぜなら、ネガティブは有り余る体力だ。没頭して疲れてたら、ネガティブになる暇もない。悩むって体力。

いるにいる異性。

同じ。僕も中学で2人、高校で3人、大学で5人といったように、女の子でも白い目で見ない。自分の話を受け入れてくれる。僕にとっての希望、自信になった。少ないけれども、この世界には「いるにはいる」ことが救いだった。

試すって楽しいことなんだ。

ゴルフで気づいた。漫才に似ているとおもった。上手くいった!という喜びには、上手くいかないなあ、、という苦しみが不可欠だ。

ぼーっとしている人は、猛烈に自分と会話している。

大学でもいた。中学高校の自分自身もそうだった。だから、そういう人を見たら、こう思おう。

コンドームのようにそっと忍ばせておく。

「自分の意見は言うべきだ。」とも一概に言えない。ただ確かなのは、自分の意見は殺さなくていい。正直な意見が思いやりがないのでは言うべきでない。そんな時、使う当てもないコンドームのようにそっと忍ばせとけばいい。それは、いつかここぞという時に、行動を大胆にしてくれる。

それを使う日まで、強者に対して、物分かりの良いフリをし続ける。それを使うタイミングを僕が間違える筈がない。

個人は何を希望にすればいいのか?

昔はいい企業に入ればオッケー。所属欲求で満たされた。しかし、現代は企業より個人の時代だ。これって難しい。企業に希望を抱けない時代。家族、友達、趣味、お金、アイドル、アニメ、美容、ファッション、筋肉、肩書き、、なにかに希望や承認を見つけて、生き抜くしかない。生まれて死ぬと事象にデコレーションしまくる。

やりたいこととか悩んでいる人に話そうとおもった。

理想の自分ばっか見てても終わらない。

これは本当に自分が完全に当てはまる。その都度考え方をかえなきゃいけない。楽しむときは今を生きる。近くのものを見る。だけど、頑張りたいときはギャップモチベーションを使う。

天才は、自らの劣等感や焦燥感を埋めるのに必死だ。常に上がるハードル。その繰り返しに一生を費やし、いつか諦めた時に「今まで何やってたんだ。」と絶望する。それは避けたい。

そこで強引に「君が理想とする天才は幸せじゃない。」という決めつけるのはどうか。「君が理想とする天才は本当に憧れるか?」そんな天才になるより、凡人でも等身大の自分の方がユニークじゃないだろうか?

理想の自分になれないことに苦しんでるから、自分と世界を呪って、人を嫌な気持ちにさせて、付き合った彼女を傷つけたんじゃないのか?

「本当はもっとできる。高尚な人間なんだ。」と思わず、今の自分と向き合ってみないか?

1.臆病さを認める 2.素直に言える 3.自信を持つ

まず、自分の弱さを認めないと、誠実になれない。自信持つのは、全然その後だ。


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