見ざる言わざる着飾る
着飾っている自分をずっとわかっていました。けど、ここ数年で分かったのは着飾っていたと思っていた自分は、間違いなく自分なんだなと。ただ、いろんな面が自分の中であるだけで。人によってさらけ出すことを、話すことを、態度を、キャラを変えるだけで、別にそれは悪いことじゃなくて相手の反応を見て行動する自分の性格からして普通のことにすぎない。だから別に直そうとも思わなくなった。もちろん、後悔する自分がいるなら常にカイゼンするべきだ、自分のために。アジャイル的にね。
常に変わらない人おもろいか?
誰にでも同じように接する人ってどうかな。人によって隠したりさらけ出したりするから面白いんじゃないのかな。謎があるから知りたくなるんじゃないかな、会っていく話していくうちにもっとその人に好奇心が湧いてきて、、が僕は楽しい。だから、いろんな人を知りたいと人脈形成の環境に飛び込む。わざわざ自分からさらけ出す時間があれば、相手を知りたい気持ちの方が強いな。得られること多いからね。そこが判断軸。自分が楽しいかどうかが中心になってしまう人、ケースが多いけど。
相違点の方が多い
当たり前だけど、みんな違うふうに生きてきて違う。だから共通点より相違点の方が多いのは自明。だからこそ珍しく一致した共通点に盛り上がる。素晴らしい。けど、相違点をもっと高いモチベーションで楽しめないかな。
「自分はそれを知らないのだけど、どこがなにが良さなの?」
これを言えるかどうか、好奇心を持てるか。これめっちゃ大事だよ。じゃないと他人同士が話すことなんてないよww