自信も楽しみも「前借り」から始めればいい。 『ハレルヤ!』
Hallelujah! 重松清の作品をもっと読みたいと思って読んでみた。「子供のいる中年男性」「人生の後半戦」がキーワード。とんびも読んで見たい。
あと、最近原田マハさんの作品が有隣堂に沢山あることを知って、おそらく感動作多いと思ったから、あとヒデが紹介してくれたから。
とにかく、まだ、終わってない。それは確か。
アカネの夫、アカネ、博文(ハクブン)、チャワン、キョーコ、カン、中沢(ピケ)、誰もうまくいってないじゃないか。
でも、みんな幸せだった。みんな大変だし元気じゃない人もいたし、若くないし、いつも笑えない、それでもツアーは終わってない。とにかく、まだ、終わってない。それは確か。「明日のライブ頑張ろうぜ」って言えるんだから。
ケンガンアシュラ「前借り」から始めればいい。
自信の前借り。楽しみの前借り。要するに、ハッタリ。ハッタリがもしうまくいって、自信がついたら楽しくなるわけだから、楽しさも前借りできるわけ。それに前借りは、失敗してもいい。返さなくていい。ツケが回ってくるなんて言うけど、ツケなんて一気にかかってきたところで一気に踏み倒すためにある!!ケンガンアシュラでも前借りしまくるでしょ??
人生の後半戦
今から盛り上がる。映画でも小説でもコンサートでも。サッカーでも野球でもどこが見たい?後半でしょ。下り坂じゃない。まだまだ上り坂。
レコードが裏返った。A面からB面へ。若い頃の希望と今の希望は違う。
「いま、幸せですか?」
アカネがチャワンに送った言葉。幸せと不幸せは交差したりうねうねするのかな?はっきり二つは分かれているのかな?でも、そもそも幸せって何?
海岸に打ち寄せる波
変わったとこと変わらないとこの境界線。はっきりしていない。
誰かを悪く言うとき、結局「弱い」。
せこい奴とか、嫌なやつとか、傲慢だ、わがままだ、嘘つきだ、卑怯だとか、言ってたけど、「弱い」って一言になるんだって気づいた。
弱さの中身じゃなくて弱さの見せ方。
全くの別物だって気づいた。自分と向き合うのが怖いだけなんじゃないか?弱さを見せてがっかりされるのが怖いだけなんじゃない?他人の弱さは好物だよ、みんな。程度はあるけどね。弱さの内容より、弱さの見せ方だと思う。
美しい人間関係は「引き算」だ。
バンドを引き算に例えた。メンバー一人一人が勝手なことやって、わがままばっか言ってそれでもしっかり真ん中に何かが残るのが、いいバンドなんだ。僕らは最高のバンドだった。
これはいろんなことに喩えられるなあ。たとえば、恋愛。お互いが好きなことやって主張するぶつかる。だけど、それでも最後は許せる、真ん中にあるから。大切な人間関係に全て通ずるなあと思った。
こんな気持ち、うまく言えたことが無い。
最後のタイトルであり、歌の歌詞。大切な気持ちほどうまく言えた試しがない。大人とか幸せとか、何が定義なのかわからない。うまく言えないよ、みんな。