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僕のフィロフィーをどうぞ。

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自分含め誰かを鼓舞できればと。 「幸せとは?」「なぜ生きるのか?」 そういう抽象的なテーマをいろんな角度から考えてみるのもあり。
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2021年7月の記事一覧

見ざる言わざる着飾る

着飾っている自分をずっとわかっていました。けど、ここ数年で分かったのは着飾っていたと思っていた自分は、間違いなく自分なんだなと。ただ、いろんな面が自分の中であるだけで。人によってさらけ出すことを、話すことを、態度を、キャラを変えるだけで、別にそれは悪いことじゃなくて相手の反応を見て行動する自分の性格からして普通のことにすぎない。だから別に直そうとも思わなくなった。もちろん、後悔する自分がいるなら常にカイゼンするべきだ、自分のために。アジャイル的にね。 常に変わらない人おもろ

辛いのが快感の変態です

僕は自分との対話が多い性格で、今日も朝、家からカフェまで歩いてる時もぶつぶつ自分と話している自分に笑ってました。 悩みやすい。悩むことが悪いとも思ってない。悩んだからこそ、行動できる、僕の最大の原動力だから。自然と悩みが出てくる。自分に対して、なんでこれができないのか、もっとうまくやれよ。。きっと自分に求めることが多い。一生満足心とかないんだろうなってよく考える。よく言えば、向上心。 んーいま絶賛、悩みがピークに達し、内容的にも打ち明けられる相手がいない。吐き出しどころが

読書はただの精神安定剤

罪悪感を消したいエンジニアを目指し始めて、独学で初めて、と自分なりに努力していくうちに、毎日何かしらを学んでいないと、少しでも今日一歩進んだという感覚が得られないと、罪悪感を抱いてしまうようになりました。もったいないと思ってしまうようになってしまいました。 これは、もちろん何かを学び続ける好奇心という面で良いと思いますが、その一方、自分に自然とプレッシャーをかけて悩んでしまうという点もあります。そこで、バランスを保ってくれるのが読書という存在なんです。なんでもいいから、学ん

錯覚資産という変数を常に頭に。 『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』

容姿が優れていることがその人間が全体的に優れているというイメージに変換している。少なからずその人は、嘘つきでもバカでもなく「無意識」が評価値を書き換えてしまっているのだ。 これは、容姿に限った話ではない。これを「思考の錯覚」という。この世界は思考の錯覚に満ち溢れている。「プラスイメージを引き起こすもの」であれば、なんでも「全体的に優秀」な仕組みになっている。 ここで大事なのは、「人々が自分に持ってる自分に都合いい錯覚は、一種の資産として機能する」ということ。これを錯覚資産

笑顔は肉体的にも疲れを減らす。 『さらにすごい心理学』

「笑顔」の意外な効果気持ちが良い上に、疲れにくい。ハッピーな気分にするだけでなく、肉体的にも疲れを減らす。 汚い言葉の意外な効果辛い事を乗り切るときに我慢強くなれる!「チクショウ!負けねえぞ!」「なんだよクソがっ!舐めんなこらオラクソアホコラぁぁぁ!」 お酒を飲むと魅力的になる?"ビア・ゴーグル効果"そのまんま、ビール飲んだら色眼鏡になること。他人を可愛く、カッコよく見えるだけではない。自分自身を可愛い、カッコいいと思うようになる!だから調子乗るんですね、みんな。 相手

「環境のせいにしない」は偉くない

私が常に心がけている考え方の一つに「全て自分のせいにする」があります。今回はなぜそう考えるようになったのか、考えてからどんな場面で好転したのかなど、つらつら書いていきます。 その考えに出会ったきっかけは?私が漫画の中で一番感銘を受けた「東京喰種」という漫画の中での主人公・金木研の言葉です。 "この世の不利益はすべて当人の能力不足" 意味としては、結局最後は自分しか頼れない。 変えられる対象は自分しかいない。 ということに結局は辿り着くということです。 いくら変えたくても

助演男優賞でいい

ずっと主人公のような人達が羨ましかった私は昔から主人公みたいな性格ではありません。人を惹きつけるカリスマ性はない、誰かを引っ張っていくリーダーシップもない。みんなに平等に接することもできないので、苦手意識を持たれることも多々、、。今までの21年間スポットライトを浴びたことはない。 しかし、人に何かを教えることや、人の話を聞いて自分の意見を言うこと、わかりやすく伝えようとすることはできることにここ数年で徐々に気がついてきました。そして、それでいい。別に役割が違う、ただの個性だ

何を言うかより誰が言うか

負け犬の遠吠え。悲しいことに?富も名誉も権威もない人の発言は雑音です。いや簡単なことに?それさえ身につければ影響力を持てるてことか。じゃあ、結果を出そう。それだけだ。 意味はあとで持たせればいい、とりあえず結果 僕は正直のところ結果を大して出したことがないのに、ごく僅かな誰も学ばないような小さい結果から、もしくは人の結果を見て膨大なことを学んでしまった愚か者だと思っています。すなわち、思考が結果を完全に追い越して独走状態にあるのです。結果くんが思考くんに追いつくには、相当な

凡才だからこそ伝えられる時代が来た

プロセスに価値がつく時代になった。 じゃあなにが大事なの?実力どうこうというよりオープンさ、発信力が求められていると考える。今や、YouTubeやnoteなどのSNSで目標に近づいていく姿を見せれば共感してくれる人達がファンにつく。むしろ、誰でもできる、自分でもできるんじゃないかと思えるコンテンツの人気が増えた。 「ならでは」誰にでもチャンスがあるやっとこさ、個性が認められる社会に近づいてきたんだからその効能を享受するべきだよな。マイノリティがカッコいい、。自分なりの掛け

自分の未来にワクワクしてないやつに誰が興味持つ?

自然な妄想力いろんな未来を想定すること。これから起こすアクションによって想定される周りからの評価、自分のポジション、成長の角度。あらゆるものの動きを妄想をかき立てる癖があります。 弁別的な確率的判断ここからリスクとリターンどっちが大きいのかなと常に考える。大抵リスクに目を向けて一歩踏み出せずにいる。だから!!!何が言いたいかって、、、リターンを妄想しろ!この想像力がないと、潜在的なメリットに気づけなければ、僕らは動かない仕組みだから。 妄想との誤差チャレンジングな人達は遠

君の娯楽は僕にとって娯楽じゃない

酒を飲むこと、オールすること、潰れること、それが楽しいのはいいが押し付けないで欲しい。僕には僕なりの楽しみがある。それをお互い共有するだけでいいじゃないか。 酒がないと話せないなんてクソくらえ「飲むと本音が出てくるから話そう。」理解はできるけど、納得できない。わからない。自分は真面目な話を日常からしているからなんだろうな。酒のおかげで威勢張って出てきた言葉はむしろ偽りだと感じちゃう。自分でコントロールしている等身大のいつもの自分の言葉が本心で言葉を選んでいる紛れもない真実だ

SNSやろうぜ

みんなひょっこりはんInstagramのストーリーを投稿した際に感じることです。 こんなにも多くの人が見ているのに、実際に投稿している人はごくわずかだということ。 この方達を僕は"ひょっこりはん"と名付けました。 自分の好きなことだけでも胸張って共有しようこのように捉えてみたらどうでしょうか? 「 好きなことを共有すること = 種を蒔くこと 」 好きなことを共有することで、チャンスが転がってくる数が確実に増えます。運を引きつけましょう。周りの同じものを好きな人と出会え

根ネガ、表ポジが一番いい

根ネガが原動力、車で言うならエンジン。表ポジが行動を進める、車で言うならアクセル。 皮肉を込めて、ありがとう。。昔からコンプレックスが多かった。怒られるのが嫌いだった。大人が偉そうで嫌いだった。反面教師だこの人、と何千回失望した。違う価値観の同級生。 僕は嫌だと本気で強くだれよりも思ったから動かざるを得なかった。回避反応。 だから言いたい。皮肉を込めて、ありがとう。。 前を向くのが正しいどんなに悩んでも嫌でも辛くても結局やるしかない。ただ、今動くことしかできることはな

そりゃはじめは器でも柄でもない

もしすでに器でも柄でもあるなら、そいつはきっともったいない。もっと上のチャレンジをするべきだから。 だから、足りない状態は当たり前で「正しい階級のチャレンジを選べていること」だから誇ろう。みんな最初は歪な形で欠けていたりする。それでもやっていくうちにその器に自分を粘土のように柔軟に変化させて当てはめていく、そしたら気づいたら結果が出ている。 今まさに挑戦の最中僕は学内の大きな活動を始めて、今まさに真っ只中。自分に合うなんて思うわけがない。とんだひねくれ野郎でコンプレックス