【考察】ガンバ大阪が展開するポジショナルプレー「的な」サッカーと、目的意識【前編】

ここ最近考えていた戦術(戦略)の立て方について、自分の中で整理するためにも文章にしてみようと思いました。ある種、今季のガンバ大阪の振り返り的な意味もあります。色々と認識や理解が間違っている点もあるかと思いますが、あくまで自分用の文章ということで、そこは目をつぶっていただければ。


はじめに

ポジショナルプレー”的”な今季のガンバ


監督であるダニ・ポヤトスがスペイン人であり、徳島ヴォルティスにて展開していたサッカーからも、昨季~今季のガンバ大阪はポジショナルプレーの文脈で語られることが多かったです。そして実際にピッチ上で見られたサッカーも非常にポジショナルプレー“的”でした。ポヤトス監督が志向しチームが目指していた方向として「ポジショナルプレー」が一つのキーワードになっていたのは間違いないでしょうし、あくまで個人的な見解を言えば「今季のサッカーはポジショナルプレーであった」と表現しても決して過言ではないと感じていました。

ただ、“的”と表現をあいまいにしましたが、今季のガンバはポジショナルプレー”的”であるがゆえに議論・批判の対象になることもしばしばでした。それを象徴するプレーが宇佐美の列落ちであり、FWの選手が落ちすぎるのは確かにポジショナルプレーにおいては”正しくない”。これこそ、今季「宇佐美システム」と言われた所以でもあります。(なお宇佐美論についてはF。さんのnoteに完全に同意しており、今季の宇佐美が落ち「すぎ」か?といえばあまり納得はいっていません。)

ポヤトスが本来やりたいサッカーではない、妥協している…こういった言説も従来のポジショナルプレー論でいえば間違いではない、というか正しい分析だと思います。

ポジショナルプレー?

自分は一つの疑問を持っていました。果たしてポヤトス監督は、本当に妥協していたのでしょうか。それを考察するのがこのnoteの目的です。そのために、まずはポジショナルプレーについて理解を深める必要があります。
「ポジショナルプレーの起源」的な書籍・記事は探せばいくらでもあるので、ここでもう一度詳述することはしませんが、自分の解釈の中で重要だと感じているのは以下3つの事項です。

  1. ポジショナルプレーは主に欧州サッカーの文脈の中で生まれ、進化していった

  2. ポジショナルプレーはゾーンディフェンスと密接な関係を持つ

  3. ポジショナルプレーは単なる戦術ではなく、戦略レイヤーの観点から評価する必要がある

1.ポジショナルプレーは主に欧州サッカーの文脈の中で生まれ、進化していった

何をいまさら…という感じですが。自分は「和式・洋式」といった表現を好まないのですが、実際に両者のサッカーの文脈は異なりますし、ポジショナルプレーは確かに欧州発祥のものと言えるでしょう。少なくとも今のように体系化されたのは欧州においてです。

2.ポジショナルプレーはゾーンディフェンスと密接な関係を持つ

これはポジショナルプレーの起源に関するものでもあり、中身に関するものでもあります。

そもそも保持戦術としてのポジショナルプレーは、ゾーンディフェンスに対抗するものとして生まれた(再発明された)と自分は理解しています。更に言えば、ゾーンディフェンスもまた原始的なポジショナルプレーへの対抗戦術としての性質を持っていたと言えるでしょう。
中身に目を向けてみても、ポジショナルプレーとゾーンディフェンスは「スペースを支配する」という目的のもと表裏一体の性質を持っています。両者の関係性は極めて近く、互いをフォローアップし、その一方で対抗し合うものでもあります。

そして前項1とまとめるなら、
「欧州では守備戦術としてスペースを支配するゾーンディフェンスが定着していた。それに対抗する形で、更に優位性を持ってスペースを支配するポジショナルプレーが再発明され、体系化されていった」
となります。

3.ポジショナルプレーは単なる戦術ではなく、戦略レイヤーの観点から評価する必要がある

これも割と有名なことですが、ポジショナルプレーは保持戦術にとどまらず、戦略としても非常に有効です。1年間のリーグ戦など長期的な視点で得られる勝ち点を最大化するため、得られる勝ち点の予測と現実の齟齬を無くすため、結果の再現性を高めるためにゲームを支配するという「戦略」が必要になり、そのためにスペースを支配するという「戦術」が必要がある。この戦略と戦術、両者を包含するのがポジショナルプレーの考え方だと、自分は認識しています。

小括

以上より、ポジショナルプレーを語るにあたっては、3.のように戦術だけでなく戦略レイヤーも含めた考え方であることを踏まえる必要があります。そして欧州では歴史的な流れにより、ポジショナルプレーを取り入れることがそのまま戦略上の優位性になっていました。それも、”正しい”ポジショナルプレーである必要があります。

ちなみに、以前書かせていただいたfootballistaの記事では、この戦略を「目的意識」と表現しました。これはステマ(ダイレクト?)ですが、我ながら良い表現だと思ったのでここでも使おうと思います。

日本におけるポジショナルプレー

ポジショナルプレーの「輸入」

ポジショナルプレーの隆盛とともに、日本でもポジショナルプレーを志向する外国人監督が増えました。しかし多くのクラブでそのサイクルは続いていません。ここでその原因を深掘ることはしませんが、ポジショナルプレーに対する理解不足、つまり戦術的観点ばかりが取り上げられ、その歴史性や戦略的視点について十分な理解が為されていないことは一つの要因としてあるのではないかと思っています。

外国人監督の妥協、日本人監督の「切り抜き」

外国人監督が上手くいかないケースとして、途中で戦術的な形が”正しい”ポジショナルプレーから外れる、妥協のフェーズが入ることが多いように思います。タイムライン上で「古株の日本人と合わなくて…」「意向を酌んで…」などと想像されるやつです。この政治的な話は外部の人間には分かりませんが、妥協していたとして、どの部分を捨て、どの部分は保持しているのかは気になるところです。

個人的にですが、ポジショナルプレーを体系化して学んできた監督であれば、方法論=戦術は真っ先に切り捨てる部分なのでは?とも思っています。当然、目的遂行のために最適化された方法が戦術としてのポジショナルプレーなのは間違いありません。しかしそれが現実的に不可能な場合、次善策となる他の方法(戦術)を用いてゲームの支配を目指す可能性もある。これを外から見ると妥協となり、この変更を行う監督が「現実志向」と評価される監督なのでは、という仮説です。立ち返る戦略的意図=目的意識があるからこそ可能な変更であるとも言えます。

一方で、先に紹介したfootballistaでも書いたのですが、ポジショナルプレー的な要素を取り入れる日本人監督も登場しました。しかし彼らが取り入れているのは多くの場合で方法論、つまり戦術的な要素ではないかと思っています。チームに合うように他の戦術を取り入れ、アレンジし、チームに落とし込み、そして結果を残す。これはもちろん相当凄いことで、コーチ経験者としては尊敬しかありません。ただし、最も重視すべき戦略的観点=目的意識が欠けているためにその隆盛が長続きしないといった要素もあるのではないでしょうか。


つづく

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