生成AI時代の技術教育
1 生成AIの時代
ChatGPTに代表される生成AIの登場は、AIを使う人の数を圧倒的に増やした。コードを書かなくても英語や日本語でAIに指示が出せる。その影響力は半端ないことになりそうだ。これはもはや確定的な現実だ。
おそらくあと数ヶ月のうちにネット検索の世界は劇的に変わってしまうだろう。そして、プログラムが多少できれば稼げた時代が終わり、これまでにない組み合わせや解き方が極端に求められる時代が来る。
先月1月はじめのコロナ休暇中に、中学生にWebサービスの提案をさせたことについて原稿を書いて投稿した。GIGA端末が普及してまずは検索の技能が問われると考えて原稿を書いた。翌日ChatGPTに触れて自分の間違いに気付いた。本当に大事なのは検索の技能ではなくて、図や文の意図を読みとり、求めるものを的確に表現できる力だ。
「読み書き」の力がなければ、AIを使うことはできない。プログラムを使いこなせなければ使えなかったAIを、日本語や英語を使いこなすことができる全ての人が使える時代がやってきた。
2 人をつなげる「ものづくり教育」を
これまでの学校教育は、文脈に紐付かない脱文脈化された学習内容を重視してきた。全ての教科や単元に到達目標が設定され、それを順番に修得することが中心的に問われてきたといえばよいだろうか。
しかし、ロボコンに代表されるような、様々な道具や材料を駆使して試行錯誤を繰り返しながら目的の動きを実現するものづくり教育には、全ての学習につながりがある。細分化された到達目標を達成することは手段にすぎず、与えられた問題を解くのではなくて、課題を見つけ学習内容(到達目標)を自ら設定する必要に迫られる。
そして、その学習内容(到達目標)の間には当然明確なつながりがあり、刺激や関連としてそれぞれの生徒なりに記憶され、脳内のニューラルネットワークのつながりとしてその人の生き方を支えていくのだ。
ラーニング・ジャーナル実践を続けて13年目の今年、今なら穴埋めのワークシートや、穴埋めのテスト問題と決別できると確信する。学びは項目としてではなくて、つながりとして私たちを支えている。学びを脱文脈化してはいけない。
つながりは、学習内容の間だけに存在しているのではない、それはあらゆる事物の間のつながりとしてその世界に埋め込まれている。人は自分自身の経験と経験をつなげるだけでなく、本で読んだ誰かの経験に自分の経験をつなげることもできる。隣で学んでいる友達の考えをそこに紐付けることもできる。大きく見れば、それまでつなげられることのなかった世界同士をつなげることができた人が人類を躍進させてきたとも言えるのではないか。
3 ChatGPTを排除せず取り込め
ChatGPTに解けるような問題しか設定できないとするなら、その学習に意味があるといえるのだろうか。誰も気づけなかった課題をみつけたり、誰もが解けない課題を解いたりするためにChatGPTを使える人が求められているとは考えられないだろうか。
読書感想文や社会問題に関するレポート作成などでは、ChatGPTの使用を禁止することになるに違いない。しかし、ロボコン報告書のように、実際の試行錯誤と紐付いた学びは、今の生成AIには扱うことができない。
到達目標を中心とした学習観から、つなげることを中心とした学習観へと転換することができた時、ロボコンやロボコン報告書だけでなく、現実の課題を解決するあらゆるものづくり教育の真の価値が再発見されるように私には思える。