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『グレムリン』 "Gremlins"

 観たのは4月の2週目くらいで、結構前だけど、メモが残ってたのでせっかくなのでアップします。


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 季節感ガン無視で『グレムリン』("Gremlins")を観ました。

 あれ、よく見ると『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と同じセット使ってると思った。完全に広場がBTTFのそれ。

 そんな間テクスト性に面白みを感じつつ、かわいいギズモを愛でるように観てました。「いや、お前人語喋れるんかい」て突っ込みは最初あったけど。
 初めてちゃんと見たんですけどめっちゃ面白いです。

 1984年公開ということで、面白い時代性を表彰しているなぁと。
 何度も繰り返し描かれる「国産がいいよ」という戦争帰りのおっちゃんとか、猫にお金の名前(?)をつけてる暴君みたいな不動産屋とか、ポストモダン的な「全体」よりも「個」に開かれ始めた時代のバックラッシュとして強調して描かれてるんじゃないかなぁと(不動産のおばさんを保守と仮定づけるのは少し強引ですが)。
 60年代は公民権運動やらベトナム戦争への抗議だとかありましたし、加えて「決して俺ら(アメリカ)に追いつくことはない下の者(日本)」って見下してたのに気づいたら経済的にも脅威になってしまった(『ジャパンアズナンバーワン)というような不安とかも描かれてる気がします。


 そもそもゾンビ映画とかエイリアン映画とかにある「得体のしれないものが自分たちのアイデンティティを内側から揺さぶりに来てる」ことの象徴をきれいに踏襲してると思いました。ギズモ(例えば日本)を愛玩動物としてかわいがってたらそこから派生した得体のしれないストライプ軍団(経済発展した日本)に自分たちが(アメリカ)が脅かされる、とかわかりやすいですし、そもそもギズモが家で見てた白黒映画も多分『ボディスナッチャー』でしたし。


 終わり方が難しかったです。ストライプ軍団(脅威)は駆逐(強気アメリカという幻想の維持)できたけど、ギズモはまた中国の古物商みたいなのに引き取られてしまう、って結局「得体のしれないものは得体のしれないまま」ていうメッセージ性になっちゃうからそれってオリエンタリズムの矛盾の解決を先延ばしにしてるだけじゃんか。と。ギズモを手元に置いて「管理下に置く」という終わり方よりはよかったのかもしれないのか…。

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どういう語尾だよ、て感じのメモ。見返すとくそじわる。

2はまぁそのアメリカの雰囲気をよりポストモダンで掘り下げていくような感じがしたけど、1ほどおもしろくはなかったです。

昔からギズモみたいなああいうかわいいキャラが好きです。愛でたい。


感想は毎回映画見るたびに思うんだけど文章に書き起こすのがめんどくさいよねぇ〜。

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