ミヤシタパークの渋谷横丁で飲んだ「西成酎ハイ」は1984年の味がした
はじめに
先に自己紹介をすると、私は関東者である。生まれは神奈川で、祖父母は渋谷から歩いて行ける距離に住んでいる。北関東の大学に下宿して通い、そのあと一瞬だけ関西と北陸に住んでいたことがあるが、今はまた関東に住んでいる。今は西川口という町に住んでいるが、とても性に合っている。
私は関東者であるが、大阪の雰囲気が好きだ。観光ガイドにはあまり書かれていないが、大阪環状線よりも南のあたり、西成区や阿倍野区のあたりの風土が特に好き。自分で歩いて見聞きした範囲しか知らないし、観光や仕事でしか訪れたことはないが、もし関西に転勤になったらこの辺りに住みたいと思う。西成や阿倍野がどういう町なのかについて、僕は語るほど詳しくないが最低限補足すると、西成区=あいりん地区(釜ヶ崎)ではないし、あいりん地区に限ってもいろいろな人が住んでる。そして、あいりん地区そのものは結構狭い。西成に限っても結構広く、いろいろな地区があるので、興味があればぜひ調べてほしい。
ある日、たまたまTwitterを見ていると「ミヤシタパーク」というものが出来たことを知った。「ミヤシタってまさかあの宮下公園?」と、恥ずかしながらこのような形で再整備が進んでいることは存じなかった。あの宮下公園に巨大なビルがPPP方式で建てられたというのは衝撃的だったし、時代の流れも感じた。調べてみると、全国各地の料理をかいつまんで提供するようなフードコード、渋谷横丁があることも分かった。
乱雑に扱われる地方グルメ
そんなこともあり、大阪の雰囲気が味わえるのならばと、半ばあきらめ前提ではあるものの渋谷横丁のウェブサイトを覗いていた。するとアレっと思うことが書いてあった。渋谷横丁の区画の一つ「近畿食市2」のキャッチコピーはこうだ。
大阪、奈良、和歌山の生産者から届く産直食材やご当地グルメ
大阪お好み焼き、串カツ、鶴橋ホルモン串などの浪速B級グルメをはじめ、神戸牛すじぼっかけそばめし、この味を求めて奈良まで遠出したスタミナラーメンや西成酎ハイなど地元ならではのソウルフードをカジュアルに。
(出典:渋谷横丁 https://shibuya-yokocho.com/shop/)
まず気になったことは、鶴橋は浪速グルメではないのではないか、と思われた点だ。私は大阪人ではないので本当のことは分からないが、例えば難波・日本橋の近くにあるビジネスホテルにはこのようなことが書いてあるので、やっぱり鶴橋は浪速グルメではないと思う。(8/19追記:「浪速グルメ」という言葉はあまり一般的ではない気がしており、「浪速」というと浪速区や心斎橋のあたりを想像します。もちろん鶴橋は大阪のグルメだと思います)
たこ焼き「わなか」・串カツ「だるま」・カレーうどん「三佳屋」の3店舗を制覇すれば これであなたも浪速グルメの食通です!たこ焼き「わなか」 あっさり風味の醤油ダレ! カレーうどん「三佳屋」の人気メニュー カレーつるつる! 串カツ「だるま」サックサク!のレンコン・アスパラ プリップリ!天然エビが特にお勧めで~す!
(出典: ビジネスホテルニッセイ プラン詳細https://www.jalan.net/yad334408/plan/plan01210604/)
話を渋谷横丁に戻すと、近畿食市2にはまだまだ気になるところがある。「大阪、奈良、和歌山の生産者から届く産直食材やご当地グルメ」と称し、フロアガイドにもこの地域が明記されているのに、なぜか「神戸牛すじぼっかけそばめし」(神戸は兵庫)がラインナップされてる。これはあまりにも関西圏について雑なくくり方すぎはしないだろうか。あとで調べてみると、同施設の東海食市では「静岡ハンバーグ」なるメニューが提供されているものの、静岡でハンバーグといえば「さわやか」が有名だが、そのさわやかは、公式に類似品への警告メッセージを発しているし、沖縄食市ではまさに商標権の侵害を行っていた(現在はメニュー名を変更)こともわかった。
「西成酎ハイ」を求めて
何より気になったのは「西成酎ハイ」(499円)である。この名前は、渋谷横丁のウェブサイトで初めて聞いた言葉で、西成を旅したときに聞いたことはなかった。ただし、確かに西成で飲んだ酎ハイは世界で一番美味しかったので、その名前を使いたい気持ちは分からなくはないなと思った。
けれども、特定の地域名である「西成」の名前を、渋谷区立公園と一体化している公共的な性質を併せ持つ施設で、関東者がこんなに簡単に使ってしまって大丈夫なのだろうかという、なんとも言えない恥ずかしさや不安を最初に覚えたのだった。
しかし、もしかすると提供されている「西成酎ハイ」はあの西成の酎ハイかもしれない。その可能性も否定できないだけに、実際にこの目で確かめることを決意して、その日のうちにミヤシタパークへ行くことにした。
その結果がこれである。これのどこが「西成酎ハイ」なのだろうか。
近畿食市2で提供されていた「西成酎ハイ」とは、氷の入ったジョッキ、焼酎の入ったジョッキ、そして東京都港区に本社のあるホッピービバレッジのレモンサワー(割り材)の3点セットであった。
自分の知る限り、このスタイルは西成で一般的なスタイルというわけではないと思う。多くの店はサーバからジョッキにそそぐし、あるいは缶酎ハイをそのまま出す店もある。
しかももっと考慮すべきは、西成にある難波屋というお店で提供されている「難波屋チューハイ」かもしれない。これは「西成酎ハイ」の出し方に似ている。
だけれど、例えば谷町六丁目にある「大衆食堂スタンド そのだ」(大阪市中央区谷町6丁目)、心斎橋にある「天国Z」(大阪市中央区東心斎橋2丁目)でも、難波屋と同じノセミネラルレモンサワーを用いたレモンサワー(酎ハイ)が提供されているように、難波屋の提供している酎ハイは、西成のみに独特なスタイルではないことは明らかだ。
なお、大阪府豊能郡能勢町吉野にあるノセミネラルレモンサワー製造元の能勢酒造は1712年創業で、1984年にはレモンサワーの販売を開始しているのだから、広く使われているのは当然のことであろう。
しかも、難波屋では「難波屋チューハイ」とは別にジョッキで提供する「チューハイレモン」が存在している(下記リンク先参照のこと)。
2020年8月18日現在、Googleで検索したが「難波屋チューハイ」や「そのだ レモンサワー」は多数の記事が見つかるが「西成酎ハイ」についてはほとんど記事が見当たらなかった。また話の本筋とは異なるし、土地の問題があるのはわかるが、渋谷横丁で提供されている飲食物は押しなべて高い。ミヤシタパークの「西成酎ハイ」は499円だが、例えば難波屋のチューハイレモンは250円、難波屋チューハイは300円であるし、スタンドそのだのレモンサワーは380円でナカは200円である。
「盗まれた」酎ハイ
上記の通りだが、渋谷横丁で提供されている「西成酎ハイ」とは「難波屋酎ハイ」を真似たものだと思われる。しかしながら、難波屋の場合は大阪府にある能勢酒造のノセミネラルレモンサワー(割り材)を使っているのに対して、「西成酎ハイ」は先に述べたように、東京都港区のホッピービバレッジの割り材を使用している(注:ホッピーは大阪ではなじみが薄い)。
つまり、私見ではあるが「西成酎ハイ」とは西成にある固有の店舗である難波屋の「難波屋酎ハイ」を、東京で手に入る材料で適当に作り上げた、出来の悪い模造品なのではないかと思っている。また、余談ではあるが、注文した時に瓶の中身は何かを店員に尋ねたが、分からないと回答された。
渋谷横丁は全国津々浦々の地域や、食文化に対して本当にリスペクトがあるのだろうか。そのヒントとなるかもしれないこととして、渋谷横丁をプロデュースした当事者が以下のように語っている。
メニュー数は食事だけで2600種、地酒などを含めると約3400種を超えます。オープンにあたり、地元グルメを求めメニュー開発担当スタッフと全国を食べ歩きました。食べても、食べても終わりが見えなかったですね(笑)。
もし、本当に西成を歩いて飲み歩いていたら、このような酎ハイの提供方法が西成で普遍的なものでないことは分かっただろうし、大阪市内を飲み歩いていればほかの地域でも見かけたはずである。そして、難波屋のスタイルについて「難波屋」という名前を「西成」という一般名称に置き換えて提供することは、オリジナルに対して失礼、あるいは西成のほかの店に対しても失礼であろうことはわかるはずであると思う。しかも、東京の素材を使ってである。もし、西成を飲み歩いていなかったために、この事情を知らなかったのであれば、それはそれで大変失礼な話であるとも思う。
上記の記事によれば、渋谷横丁は浜倉的商店製作所と三井不動産の商業施設担当者とで一緒に作り出されたものであるが、そもそもの発端は、三井不動産側から渋谷横丁を商業施設のシンボルとしたい旨があったのだという。つまり、これは個別のテナントの問題ではなく、施設全体にかかわる話なのではないかとも思われる。
難波屋の提供する「難波屋酎ハイ」を真似て、他の大阪市内で提供されている似たスタイルの酎ハイを無視して、東京の素材を使って作ったニセモノを、「西成酎ハイ」という造語を冠して、さも西成の一般的な飲み物のように偽って、ミヤシタパークで販売することは、おそらく違法ではない。しかしながらこの構図は、さながら偽ブランド品やデッドコピーそのもので、しかもほかの地域への誤解を与える点で悪質だと思う。けれど、一番簡単な言葉で説明しようとすると、誠実でない態度や、嘘をつくことはよくない、だと思う。
このような光景を目の当たりにしたとき、とっさに私は「西成が盗まれている」という言葉が頭に浮かんだのだった。
関東者として
先に述べたように私は関東者である。だから、大阪の人、そして西成の人がこの件についてどう思うかは分からない。
もしかすると、彼らは笑いのタネにしてしまうかもしれない。しかし、私はこれがニセモノであることを知っているし、このような行い――地方の産品を東京が我が物顔で粗雑に取り扱うこと――が日常茶飯事であることも感覚的に理解している。
そのようななかで、私は西成を旅行した時のことを思い出す。西成で酎ハイを飲んだとき、私は一介の旅行者であるにもかかわらず、大変暖かく迎えられた。どこの生まれや立場関係なく、その飲み屋に居る人は分け隔てなく接してくれた。そして、その街の景色のなかには、常勤の労働者、日雇いの労働者、自営業者、ホームレスの方、国内旅行者、外国人旅行者などなど、様々な人が、実際に存在しているのだ。
動物園前の交差点には、大阪市によって建てられたこんな看板がある。
おつとめ今日も一日ご苦労さん 大阪市
もともとは労働者に向けられて作られたものかもしれない。けれども勝手な印象なのだが、「おつとめ」という言葉からは、仕事をしているかしていないかなど関係なく、その日その日の暮らしを一生懸命に全うした、すべての人に向けた温かみを感じたのだ。
大阪は1400年の歴史を持つ街である。対して、東京は一般的な城下町から大都市となってからまだ400年程度だ。さらに言えば、経済の中心地が大阪から東京になったのは100年以内のことであるし、それは戦争の影響である。東京は、大きな目でみれば新興都市に過ぎないし、ニセモノの酒を出すようでは、「下らない」なんて言葉の原義を考えるまでもなく、やっぱり「田舎」と言われても仕方ないんじゃないかなと思うときがある。
もしも地方の文化や食を東京人が粗雑に扱ったとして、それで儲かったとしても、地方が文句を言ってこなかったとしても、その行いそのものが正しい行いなのかは、常に自分自身の倫理観で考えた方がよいのではないかと思っている。
関東者や東京人は、東京や関東平野が世界の全てじゃないことをもっと知ったほうがいいと思うし、もっと謙虚になったほうがいいことは、自分自身への自戒を込めてここに書くことにする。
そこに居てよい場所
翻ってミヤシタパークについてだが、いま現在のミヤシタパークの近くには、かつていたはずのホームレスの方の姿は見えない。けれども、ミヤシタパークの屋上にあるハチ公を模した銅像の視線の先には、だれでも自由に参加できる炊き出しが行われている美竹公園のブルーシートが、まさに見下ろすように見えるのだった。
私は「西成酎ハイ」を飲んだその足で、炊き出しが行われていた美竹公園に向かった。炊き出しの鍋からは食欲をそそるとても良い香りがする。美竹公園に入った私は、入り口付近にいる男性に声を掛けられてこう言われた、「マスクいりますか?」。
この日の美竹公園では、炊き出しと一緒にマスクを無料で配布していた。そして、見るからに旅行者のような風体の自分も、分け隔てなくマスクが必要かと問いかけられた。自分は持っているから要らないと答えたが、必要といえば貰えただろう。次に言われたのは「6時からみんなでご飯を食べるんです、一緒に食べていきませんか?」だった。
炊き出しをされている方や、マスクを配っている方とお話したが、この炊き出しは、個々人が自分の意思で自由に参加しているらしいことがわかった。そして、ここでは、どのような立場の人かは全く関係なく、だれもが平等に居てよいのだとも感じた。この感覚は、もしかすると中学校にいたときが最後だったかもしれない。そこに存在することそのものが、そしてご飯を食べるという生命活動で最も大切なことの一つが、なんの前提もなく許されているのである。
用事があったので、残念ながら以前のビラだけ受け取り(新しいビラが到着する前だったので)ご飯を食べることなく帰ってしまったが、ぜひ今度は自分も参加して、さらにできるならばご飯を一緒に作りたいと思った。
だれでも参加自由の炊き出しが行われている美竹公園からは、ホームレスの方が消えたミヤシタパークを見上げることができる。そこではまがいものの西成酎ハイが売られている。夜間は施錠されるし、本当の理由はわからないものの、炊き出しを行っていた人に直接聞いた話では、ミヤシタパークへの入場を拒絶されたという。
ミヤシタパークにはハイブランドや流行のショップ、そして現代アートのようなものがちりばめられ、建物そのものも文字通りライトアップでキラキラと輝いてる。しかし、その輝きは、嘘と美辞麗句で塗り固められてるように思えるし、お金を持っている人や、あるいは、だれかによって決められた規範に従った人だけが楽しむことができるけれど、無条件で誰もが安らげるような場所ではないように思えた。
1984年の西成酎ハイ
渋谷区の掲げる渋谷区基本構想にはこんな言葉がある。
成熟した国際都市へと進化してゆくために、渋谷区は「ダイバーシティとインクルージョン」という考え方を大切にします。この地上に暮らす人々のあらゆる多様性(ダイバーシティ)を受け入れるだけにとどまらず、その多様性をエネルギーへと変えてゆくこと(インクルージョン)。人種、性別、年齢、障害を超えて、渋谷区に集まるすべての人の力を、まちづくりの原動力にすること。つまり「街の主役は人」だというのが、この考え方の本質なのです。
(基本構想 3-(2))
「ダイバーシティ」や「インクルージョン」などといった、耳障りのよい横文字がふんだんに使われているが、区立宮下公園にあるミヤシタパークで提供されているのは「西成酎ハイ」である。まさか、渋谷区に集まるすべての人のみを優先して、それ以外に住む人のことは考えないという意味ではないと信じたい。
ミヤシタパークで提供される「西成酎ハイ」からは、東京を中心としてその他の地方を周辺とした、ある種の植民地主義的なノリや、文化帝国主義的なノリ、あるいはオリエンタリズム的なノリが感じられる(最近では文化盗用という言葉が用いられることもあるようだ)。しかも同時に綺麗でないものを、もとから無かったかのように扱っている印象を受ける。本物の西成にある人間の生活が、綺麗に漂白されて、歪曲されて、模倣とすらいえない「西成酎ハイ」は、同じく人間の生活が綺麗に漂白された、ミヤシタパークで提供されているのだ。
であるのだとすれば、「ダイバーシティ」や「インクルージョン」という言葉がこれほどまでに無邪気に、暴力的に使用されている現場を、私は知らない。知っているとすれば、すぐに思いつくのは小説『1984年』である。しかし、本当に善意でこれを行っているのだとしたら、現実の渋谷区のほうがよっぽど悪趣味だろう。
だから私は小説『1984年』に登場する「勝利ジン」のような「西成酎ハイ」ではなくて、いろんな人が生きている、本物の西成にもう一度いって、さまざまな人の匂いを感じながら、土手焼きやホルモン焼きと一緒に、なんてことない、本物の酎ハイを飲みたいと思ったのだった。
ミヤシタパークのコンセプトと渋谷区基本構想
それでは最後に、この渋谷横丁が置かれているミヤシタパークのコンセプトと、この公園の所有者たる渋谷区の渋谷区基本構想を参照して終わりたい。
CONCEPT
卵とキャラメルが出会って、プリンが生まれた。
出会いって、愛。組み合わせって、未来かも。
公園の下に、ハイブランド。
ハイブランドの横に、飲み屋横丁。
ホテルも珈琲屋もレコードショップもギャラリーも、
混ざってくっついたらどうなるんだろう。
ごちゃっと自由に、ここは公園のASHITA。
その全部があたらしくなった、MIYASHITA PARK。
さあ開業、開園です。
ニンゲンも風も花も鳥も、どうぞいらしてください。
3 基本構想のもとになる価値観
基本構想の策定にあたって、これからの渋谷区は何を大切だと考えるのか。つまり、20年後を見据えた渋谷区の価値観が、この基本構想全体を貫くことになります。
(1)渋谷区はどこへ向かうのか
渋谷区が目指すのは、規模こそ異なるものの、ロンドン、パリ、ニューヨークなどと並び称されるような『成熟した国際都市』です。ここでいう成熟とは、高度な国際競争力と強烈な地域性とを兼ね備えてゆくこと。そして、区民自身が誇りをもってそこで暮らせること。これらはすべて、世界から注目され愛される街の条件だと考えます。
(2)渋谷区はどうやって向かうのか
成熟した国際都市へと進化してゆくために、渋谷区は「ダイバーシティとインクルージョン」という考え方を大切にします。この地上に暮らす人々のあらゆる多様性(ダイバーシティ)を受け入れるだけにとどまらず、その多様性をエネルギーへと変えてゆくこと(インクルージョン)。人種、性別、年齢、障害を超えて、渋谷区に集まるすべての人の力を、まちづくりの原動力にすること。つまり「街の主役は人」だというのが、この考え方の本質なのです。
(3)渋谷区には何が必要か
どんなに技術が進歩しようとも、つながりを求める人の心と、お互いに支えあうことの必要性は普遍なものと考えます。誰もが誰かと助け合える。そうした「共助」の人間関係を不可欠なものと考えます。また、渋谷区にかかわる人々の人生の豊かさを、永続的に続いてゆくものにしたい。そのため、全編において「サステナビリティ」の視点を大切にします。
(基本構想 3)
この街に存在する
ありとあらゆる人間を、仕事を、価値観を、
ドラマを、チャンスを、祝福しよう。
それらがさまざまであることを、
それゆえに生まれる熱を、愛そう。
ちがっている、ということは、かけがえない。
それは未来を動かす力になる。
(基本構想 4から抜粋)
渋谷という街でなければ生まれ得なかった文化潮流があります。自由でとらえどころがなく、だからこそ可能性に満ちた渋谷のこの文化的多様性そのものを、渋谷カルチャーと呼びたい。いわば「文化を生みつづけるという文化」です。世界中の人々がかつてなく東京に集まってくるなかで、文化の掛け算はいっそう加速するはず。渋谷区はその掛け算を誘発する、文化のスクランブル交差点としてのまちづくりをすすめます。
(基本構想 5-F あらたな文化を生みつづける街へ。)
文:あしやまひろこ
東京にある会社で社会研究(シンクタンク部門)や広告関連業務に従事する埼玉県民。また個人事業主として各種活動も実施。北関東の大学で哲学(宗教と社会学)を学んだあと、現在は社会人大学院生として通信で文化人類学を勉強中。ライフワークとしては、各種調査・研究・開発および文筆活動、装いと女装の研究や、香りの研究と開発、バーチャル文化へのボランティアなど。趣味は料理。
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注記がない限り写真はすべて筆者撮影
ミヤシタパークへの訪問は2020年8月15日
注記がない限り引用及び参照は2020年8月18日 最終閲覧