【第二の故郷】シンガポール
空港に降り立った瞬間だった。
日本にはない熱気と湿度。
季節感のないこの暑さ。。。
4,5ヶ国語で書かれた表示と聞こえてくるのは英語に中国語
『帰ってきたんだ….』と思った。
この地に8年ぶりに足を付けた瞬間だった。
シンガポールでの暮らし
私にとってのシンガポール。母親は外務省勤務、父親は経営者。
なんとも恵まれた家庭に生まれた私はシンガポールで生まれました。
赤子だった私は『人生のターニングポイント』がここだったとは思いもしなかっただろう。
生まれた時からすべてが日本語、英語、中国語だった。
両親の教育方針として、家の中ではすべて日本語、外では英語を使うように教えられていた。
家にあるものはほぼすべて日本のもので食卓に出る料理までも日本のものといった徹底ぶり。日本のテレビ番組を見て、日本語の本を読む。遊ぶ時も日本の知育玩具やだるまさんが転んだ等の日常はまるで日本。。。
しかし一歩外に出てみると聞こえてくるのは、英語、中国語、マレー語、たまにタミル語(シンガポールは4つの公用語があります…)
街中ではターバンを巻いた人、民族衣装を身に纏った人…が、何気なくいて、交わり合っている。
世界には色んな民族がいて、違った文化があること、異なる宗教があること。シンガポールの色々な街に行き、それぞれの料理を食べて、現地で生活をする中で、生まれて初めて知ることばかりだった。
通っていた日本人学校は、世界中の日本人学校でトップクラスの難易度を誇る学校だった。テストも大変だし、課外活動もかなり多い。
シンガポールという狭い国内(島内?)の西側に位置するクレメンティ校に通っていました。
今でも交流があるシンガポール時代からの友達は、「日本ではいつも気を張っていないといけない気がする」と言っていた。
確かに、言われてみればシンガポールでの生活は周りの目を気にしていなかった。かなり自然体で生活していたような気がする。
高校時代と大学時代を過ごした日本では時たま窮屈に感じるこがある。
シンガポールの街中で『すごい服装』をしている人を見かけて何か感じるのは、私が日本文化の中で生活していたからでもある。。
学生時代を過ごした東京では、近所のコンビニに行くだけでも見た目に気を使っていた気がする。。。
これはどちらが良い悪いといったことを言いたいわけではなく、結局カルチャーというものはそこに集まる『人』が形成しているものだとわかった。
私自身どちらで生活をしていても苦ではないし、その土地と人間にうまく適応できていたと感じる。
『人生は自分だけのおもちゃ』だ。誰にも横取りされることはない。遊び方を命令されることも、どこに持って行ったって良い。
僕は、そんなおもちゃをいろんな国に連れて行って、いろんな景色を見る。
そこでしか食べられない料理を食べて、そこでしか触れられないものに触れる。たまに疲れたらゆっくり休んで、また歩き始める。
日本が好き。
私の母国で、日本人で、アイデンティティは日本にあると思っている。
でも、日本とは違うシンガポールも好きだ、シンガポールは第2の故郷だ、と改めて感じた旅だった。
『人生は自分だけのおもちゃ』この言葉を生み出した時の『人生の羅針盤』のルーツは間違いなくこの国にある。
成功だけが幸福ではないといった、自由で豊かな人生をこれからも歩んでいこうと思う。
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