【曲と絵とゲームとコントのはなし】雑記.20220527
・曲と絵を出した。
・実を言うと、今後本とCDをコミティアに出そうという計画を前提に制作した作品だった。そのこともあり、この制作過程では色々と考えることも多かった。
・音楽については我ながらよくできたと感じている。というのも「今出せる全力で一回作ってみよう」という気持ちで作り、実際それを実現できたからだ。その結果、自分自身で「良いじゃん」と思えるラインに到達できたのは非常に大きいことだと思う。作れば作るほど自分の好きな曲が増えていく、というのは大きい。まあ自分の曲は最初っからずっと好きですけどね!!!!!
・通常戦闘曲を一度作ってみたいという目標も結構満足できるレベルで達成できた。自分なりの「通常戦闘曲っぽさ」が反映させられたかなと思う。
・それと反対に、と言ってはなんだけど、ドット絵には色々と課題を感じた。出来もそうだが、特に絵に対する姿勢にである。
・やっぱり絵に関する「めんどくささ」に対する耐性がないな〜と思う。この絵で言うと、後ろの団地に顕著かもしれない。書き込もうと思えばもっと書き込めたと自分でも思うのに、飽きた段階で切り上げてしまった。そこをちゃんとする誠実さを持ちたいなと思う。少なくともそれが絵全体のクオリティに著しく影響を与えるなら修正すべきだ。
・あと深刻に感じたのは、武器と敵のデザインを考える際の熱意のなさだ。昔は(具体的に言えば『パースペクティヴ』を描いた頃)もっと楽しんで武器や敵のデザインを考えていたような気がする。そういうのに対する興味が最近削がれているのだろうか。対策の必要有りかもしれない。あるいはそういうのに興味が出ない限りはそういう要素を絵から排除するとか。
・やはり総合すると、最初のアイデアや構図を練る段階で「自分が楽しく描ける絵かどうか」を判断し、そのような観点で決めていくべきという話だろう。
・『METAL GEAR SOLID 2 SONS OF LIBERTY』と『METAL GEAR SOLID 3 SNAKE EATER』をクリアした。1と5は5年以上前にプレイしていたので、今回満を辞してという形になる。PS3を持っていないので、場合によっては4は一生やらないかもしれない。
・2はシステム的にもストーリー的にもまさしく「1の続編」という感じだった。
文化的遺伝子というテーマを重く取り扱ったストーリーは未来を予見しているし、今読んでも考えさせられるものがあった。
メタフィクション的な演出が多く取り入れられているのも個人的にすごく良いと思った。「これが現実なのか、妄想なのか分からない」と言う主人公雷電や、本作の事件じたいが1のシャドーモセス事件をモデルにしたシミュレーションであるという事実から、そういった演出が説得力を増しているのも上手い。
・3はゲームシステムが大きく変わる。5をやっていた身としては「これが祖か!」というある種の感動があった。ストーリーに関しては、1、2は事件そのものが主体となっているところがあると思うのだが、それに対して3は人間ドラマが主体になっているように感じた。具体的には、ネイキッド・スネークとザ・ボス、そしてEVAの人間関係だ。もちろん彼らの関係性自体には冷戦という状況や国への忠誠心といった要素が大きく関わってくるのだが、あくまでも中心は人間ドラマであるという感じがした。スネークとEVAのムービーが多いのはそれを象徴していると言える。3と比べると、やはり過去作は単独潜入ゆえの孤独さがあるなと思う。もちろん無線もあるし、2はスネークとの共闘もあるけど、3と比べるとやはり希薄だ。
・めちゃくちゃ一気にやっちゃったし、これ以上やると他のことに支障が出るから当分ゲームはやめとこうと思ったけど、時系列的には3の続編に当たる『METAL GEAR SOLID PEACE WALKER』を買ってしまった。これはゆっくりやろう…。
・すごく久しぶりに面接というものを受けた。面接自体は円滑に進んだのだけど、その前の緊張がひどくて、無駄に疲れた。休みたい。
・千原兄弟と渡辺鐘によるコント『ダンボ君』を観た。ラーメンズの『採集』、バナナマンの『ルスデン』に並ぶ怖いコントとして名が知れているらしい。「他と比べると怖さではなく面白さに振っていて怖くない」という意見を見たが、僕は少し違うように感じた。
確かに、『採集』と『ルスデン』はとてもよく練られたホラーな傑作コントだ。その分尺も長く、30分ほどある。
それに対して『ダンボ君』は5分と短く、必然的に細かな描写とか伏線などもない。しかし、『ダンボ君』の恐怖は不条理さや狂気に由来する全く別のものとして完成されている。千原ジュニア扮する極道の男がなぜ子供番組の真似事をしているのか、なぜわざわざそのためにサンプラーやら衣装まで用意しているのかなど、理解の及ばないところが多すぎる。お笑い要素的な「じわじわ」というボイスもなんで収録したのか分からない。ダンボ君の顔が箱の4面全て(後ろの一面は定かではないが)に書かれているのに結局活用されないのも妙な狂気を感じる。銃殺され倒れた際の腕がサンプラーのボタンを押すオチも、ただただ後味の悪さを残すものである。『採集』と『ルスデン』も後味が悪く、それゆえにホラーコントとして完成されているわけだが、『ダンボ君』のオチは必然性のかけらもなく、だからこそ本当に嫌なオチになっているなと思う。