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【そびえ立つ正解】雑記.20210914

・相変わらず何もやってないね。

・何もやってないっていうのは流石に語弊があるけど。一応最近は背景イラストとか音楽理論とかアンリアルエンジンとかの勉強をしたりしている。ろくな勉強もせず楽しさだけでやってた頃に比べて、そういう意味では今までよりも偉いとも言えるのだが、やっぱ世に作品出してないと「何もやってない感」が襲ってきちゃうんだよな。本質的には真逆かもしれないのに。

・SNSにおいては、技術を磨いたりインプットをすることよりアウトプットをすることの方が圧倒的に重んじられてしまう。こういうところってSNSのシンプルに悪いところじゃない!?違いますか!?!?!?

・それはそれとしてアウトプットのやる気が出ないのには理由がある。端的に言えば「『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』が作品として完璧すぎるから」だ。

・個人的な考えだけど、創作をする人って「自分の中での『正解』を求めて作品を作っている」という面があると思う。少なくとも僕は割とそうで、創作そのものが楽しいという感覚よりは、自分の頭の中にある理想の作品が目の前に形を持って現れることに魅力を感じる質だ。とはいえ、絵を描く行為が嫌いとまでは言わないし、絵を描き始めて気がついたら数時間経ってたぐらいの経験はあるのである程度の適性はあるのだろうとは思う。

・端的に言って、レヴュースタァライトはその思い描いている「正解」に近すぎた。あまりネタバレはできないけど、主にアニメシリーズ7話からの展開や劇場版の全てが。

・特に強く感じる部分は音楽と映像の合わせ方の部分だ。僕は映像の文脈と音楽が合わさった時の圧倒的なパワーを崇拝しているところがあって、ゲームとその音楽とかアイドルマスターという作品群にそれを感じ取っては感動していたりしたんだけど、劇場版はその最たるものを最大出力で浴びせられる作品であって、本当に刺さりまくってしまったんだと思う。

・これで「よっしゃ!!!!おれもがんばろ!!!!!」ってなれたら一番いいんだけど、そうもいかない。至極当たり前のことだけど、劇場アニメーションレベルの圧倒的パワーってたった一人で一朝一夕でたどり着ける境地ではまずないわけで(作詞作曲、作画、演出、脚本、CGなど)。こんな完璧なもん出されたらどうしようもないじゃん、という感じになってしまったんだと思う。

・でも何も『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は僕にとっての正解そのものではないのもまた事実である。別に僕は舞台好きじゃないし、実際に序盤はとっつきづらさを感じていた。作品のパワーに飲まれただけで、何もかもが理想通りではないのではないか。例えばキャラデザとか、普段好んでる感じとは割と違ったりする。

・でも、「おれにはおれの正解があるんじゃい」っていうのも違う気がするよな。レヴュースタァライトを自分が有り得ないぐらい良く感じたということはとても大事にするべき事柄な気がする。これからも創作をしていくなら、しっかりと作品を飲み下して、どこら辺が自分にとって良いと感じて、どこが違うと感じたのかを分析して、自分なりのスタァライトを作ろうと努力するべきだ。

・雑記で悩み書いたら最終的にものすごい単純な正論に落ち着くの、何?

・まあだからこそ自分で正論って思うんだろうね。




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・あ!!リハビリで描いたまひるちゃんだ!!

・何も考えずキャラクターを描くとこの角度になっちゃうけど許してください。何せリハビリなのだから……

・かなり好きなキャラ。こう言うと不謹慎かもだけど、こういうキャラを見ると「人間関係っておもれ〜」って思う。何でそうなっちゃうの?っていう感じが愛おしい。というか、一見常識人で普通に見えるんだけど何か変なスイッチが入ってしまったせいで普通はあり得ない行動に走ってしまって結局悪役にまでなっちゃう、みたいなキャラってだいたい好き。

・舞台の方は観れてないんだけど、まひる役の方がちゃんと横のぴょこぴょこを再現してるのがいいな〜と思った。さすが舞台前提のプロジェクトなだけあってどの人も「本人感」がえぐい。


・『恋の魔球(7回裏)』、完璧なリアレンジ。

・こういう、ゲームハードの音源への理解があるチップチューンは割と稀有だと思う。ファミコンから始まって、曲が進むとスーファミを感じる音に変化していく。具体的に言えばシンセにはカービィっぽさ、ハープ等にはFFっぽさがある気がする。


・劇場版に出てくるゲームのBGM『キラキラ!キラミラ』も地味に良い。

・劇中の曲の紹介は語彙力と音楽知識の不足が露呈するので控えます。

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