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『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』及びTVシリーズについての書き殴り

この作品を知るタイミングがはっきりと存在したわけではない。ただ、ツイッターを見ていたら「どうやらあるアニメの劇場版がヤバいらしい」ということがじわじわと伝わってきたのだった。

その名前は『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』。正直あまり聞き馴染みはなかった。どうやら件の劇場版はもうすぐ終映してしまうらしい。

つい最近、僕はもっとアニメを沢山観ようと決意したところだった。とはいえ、僕にとって、アニメを観切るのって結構ハードルが高い。途中でやめてしまうこともままある。そんな僕にとって、「劇場版の放映が終わるまでにTVシリーズを全て観て劇場に向かう」という一種の制限があることはありがたい。そんなわけで僕はTVシリーズを観始めたのだった。


※この記事はネタバレありかつ大した説明もないのでご注意ください。


正直、最初の方は「ピンとこないな」という感覚があった。その当時書いた記事でも本作について、

先に書いたものに比べるとあまり熱心には観られていないというのが正直なところだ。

知らない人がいっぱい出てきて、みんながどんなキャラかよく分からないまま話が進んで行ったりすると、無意識に退屈だなと思ってしまうのかもしれない。

と書いた。実際、簡単に言えば「超展開」という感じで(なんでキリンなのか、オーディションの目的はなんなのかとか、正直今でもはっきりわかってない)、すでに演劇公演がなされているからなのか序盤は一気に色んなキャラが出てくるから少し置いていかれる感覚があった。

けれど、その印象は観進めるにつれだんだんと覆っていった。決定的に感じたのは第04話「約束タワー」だ。それまで不透明だった、主人公である愛城華恋とその幼馴染の神楽ひかりの二人の間でかつて交わされた約束や、その二人の関係性が、はっきりと描かれる回である。それ以前の回が悪いとかじゃないのだが、主人公の背景がじっくり語られるこの回で一気に話に引き込まれた感覚があった。その次の回である第05話「キラめきのありか」も、親友が奪われて嫉妬するところから、自分の本当に目指すものを思い出すという気持ちの良い落とし所に向かっていくのが良かった。

特に、個人的に一番好きかもしれないのが第07話「大場なな」だ。この回では、大場ななが何度もオーディションに勝利して、その報酬である「運命の舞台」として1年前の第99回聖翔祭のスタァライトを望み、それまでの1年間を繰り返し続けていたということが明かされる。そのループがひかりによって壊され、それが華恋の変化を促したとして、ななは華恋に刃を向ける。
僕はこの回を観て、大場ななという人物像に物凄く惹かれた。彼女は、それまでの描写にあった通り、とても心優しい人間だ。その反面、「自分の知っている大好きな人たちがずっと周りにいる」という現状を愛し過ぎ、それ維持したいがあまり、世界の法則まで滅茶苦茶にしていた。もちろん彼女は華恋に「何度も演じられて変わっていく舞台のように、ずっと同じじゃ駄目」と説得され思い直すのだが、この会で中心となっている彼女の「優しさ故の残酷さ」がすごく良いと思う。
あと、7話にして想像だにしない「ループもの」の要素が出てくるのが単純に衝撃的だったな。今気づいたけど7話が大場「なな」の回なの、良いね……。

無論、第10話から第12話(最終話)にかけての話の流れもすごかった。アニメ『アイドルマスター』を少し彷彿させるような、主人公がどん底まで落ち込んでからの大復活を遂げる展開はやはり良いし、なにより最後に華恋がひかりを救い出す際の演出がすごい。今まで変身時にあくまでも映像演出として登場していた「アタシ 再生産」の文字デザインが実際に舞台演出として登場するのだ。これはある種のメタ的な表現とも言えそう。さらに、二人の約束の象徴として東京タワーがそれまでにも何度も登場しているが、それの極め付けとでも言うように舞台装置として原寸サイズの東京タワーが舞台上にぶっ刺さる。そして大きく出る「舞台装置 約束タワーブリッジ」の文字。勢いが凄まじすぎる。冷静に考えるととんでもないことをやっていると思うんだけど、その勢いに呑まれてただただなんだか感動してしまう。


歌劇がテーマとなっている作品なだけあり、演出についても特徴的な部分が多い。

衣装が様々な装置を用いて構成されていく様を映す変身演出は最初観た時からずっと好きだ。「アタシ 再生産」の文字デザインが本当に素敵すぎるし、縫製機械とかが駆動してるカットも何度見ても良い。

歌劇とはあまり関係がないが、携帯にオーディションの着信が来る設定も地味に好きだ。着信音も現代にしては古臭くて、妙に不安を煽る感じもある。

あとエンディングのイラストがすごく素敵で、毎回欠かさずじっくり観てしまう。その回でクローズアップされたキャラのイラストが毎回出るのも良い。

オーディションにおける戦闘での舞台装置を使った演出も、最初は「なんなんだろうこれ」と思って観ていたが、慣れてしまうと登場人物たちのキャラクター性を強調するのに非常に役立っているし、ビジュアル的にもすごい映えるのでめちゃくちゃ良い演出だと思うようになってしまった。まだ触れないが、後述の劇場版はこの積み重ねの賜物という面もある気がする。

なお、オーディション中は舞台上にいるキャラクターたちが歌う歌(「Revue Song」と呼ばれる)が流れ、場面によっては実際に歌っているところもあったりする。言わずもがなというか、その歌詞には歌う者の心情や境遇が反映されていて、上手い演出として働いていた。ただ、歌とセリフが被ることがままあり、どっちも聞き取れなかったりもするのでここら辺はなんとかできなかったのかなと思う。

また、最終話にてはっきりと現れるメタ要素も印象的だった。オーディションの主催者であり、オーディションを見守り続けるキリンは、その存在意義について、こちら、つまり画面の向こうを見据えながらこう告げる。

「舞台とは、演じる者と観る者が揃って成り立つもの。演者が立ち、観客が望む限り続くのです」
「そう、あなたが彼女たちを見守り続けてきたように。私は途切れさせたくない。舞台を愛する観客にして、運命の舞台の主催者。舞台少女たちの永遠の一瞬、迸る煌めき。私はそれが観たいのです。そう、あなたと一緒に」

つまり、キリンはレヴューの唯一の観客であり、視聴者と同列の存在なのだ。キリンは最初から登場し続けていた謎の存在だけに、この衝撃は大きかった。







TVシリーズを観終わった翌日、劇場版を観に行ってきた。通路前の中央列ど真ん中の一番良い席で見れて最高だった。

物語は、登場人物たちが高校三年生になった後、つまりTVシリーズの少し後から始まる。彼女らは将来を見据え、自らの進路を考え始めていた(オーディションはもう行われていない)。ひかりは自主退学により日本を去っており、華恋はそのことを引きずり、前を向けないままでいた。そんな中、ひかりと華恋を除く九九組は劇団の見学へ向かうため、電車に乗り込む。その先で、彼女らは再びオーディション開始の通知を受け、新たな舞台「ワイルドスクリーンバロック」に身を投じることになる。


ストーリーは、終章としてこれ以上ないという印象を持った。考察もしていないし演劇などの他コンテンツも見ていないから偉そうなこと言えないけど。

特に、愛城華恋と神楽ひかりの約束についてより一層深く語られ、そして最後にはその約束の印である二人の髪飾りを外して終わっているのは象徴的に感じた。ただ、最後あっさりと華恋が負けることを許すことの意味が飲み込めなかった。二人の間の感情の動きは思っている以上に複雑なのだろうと思う。考察を読みたい。

また、その二人だけでなく、ばななと純那、香子と双葉、ひかりとまひる、真矢とクロディーヌそれぞれの関係性にも、レヴューを通して決着がつけられるのもそう感じた一因だと思う。各々の感情の動きはとても複雑に思えて、正直一度観ただけではその全てを精密に文章化することはとてもじゃないができない気がする。

キリンが野菜や果物の塊(騙し絵のようなその姿は「観客たちの総体」という役割とも一致している)へと姿を変え、その身を燃やしてレヴューの燃料となるシーンも、キリンが役割を果たし消滅したという点で物語の終結とも繋がるところがある。

「アタシ 再生産」というワードを、華恋の歌劇少女としての再生というクライマックスで回収したのは気持ちがよかった。「レヴュースタァライト」と書かれた舞台装置の登場も、「愛城華恋」「神楽ひかり」と書かれた舞台装置をバックにしたそれぞれの名乗り口上もとにかく最高だった。

エンディングで補足的に九九組のその後が明かされていたのも良かった。基本的にハッピーエンドが好きなのでそれぞれが自分に合った道を選び、進んでいることが嬉しかった。純那が結局海を渡ってまで演劇を学んでいるのには安心にも近い感覚を覚えた。ばななはひかりのいた学校に留学している様だけど、結局演者と脚本どちらの道に進んだのだろうか。



本作で何より印象的だったのは舞台上での演出だ。

こちらの記事によれば、上記の「ワイルドスクリーンバロック」は「ワイドスクリーンバロック」を由来としており、その意味は、要約からの引用になるが「意味合いが変わりアイデアがすごくたくさん出てくるSFくらいの意味」らしい。本作は、その言葉に違わず、目まぐるしく文字通り「舞台」が変わってゆく。その舞台それぞれの映像表現が本当に圧倒される。TVシリーズでもそういった舞台装置を使った演出は用いられていたが、劇場版では原型をとどめないほどのパワーアップを遂げている。

その演出は何もかもが最高なんだけど、特に電車関連のものが好きだった。変形してフィールドへと姿を変える電車や、異世界のごとく表記が全て書き換えられた駅構内、華恋が自信を失った際に乗せられた改造列車など、ビジュアルが良すぎ。

「ポジション・ゼロ」(センターポジションのバミリ)を用いた数々の演出も印象的だった。ブロックになって積まれていたり、華恋の「再生産」を行う際の棺桶になっていたりと、どれも効果的に使われていた。これは「ポジション・ゼロ」が今までずっと奪い合うものとして設定されていたからこそだなと思う。

電車で「ワイルドスクリーンバロック」が始まる際の、例のキリンのマークが着信音の発車メロディ風アレンジとともにゴロゴロと転がってくるのも絶妙な不気味さで良かった。期待に胸を躍らせて見学に向かっていたのに、観客のエゴによって戦いを強いられるという無情さ。

序盤の血の舞台装置、そして倒れた自らの身体と向き合う少女たちも記憶に焼きついた場面だ。真意を汲み取るのは難しいが、あの時彼女らは役を演じなかった故に倒れたかのように見えた。そのため、役を演じる演者として生まれ変わり、そこから真に「ワイルドスクリーンバロック」が始まったという意味だろうか。

でもやっぱりその全てが各々(九九組)の持つテーマやコンセプトに従ってデザインされていて、もう映像的な面で言えばこの舞台装置たちがこの映画の主役と言っても過言ではないんじゃないかと思う。「TVシリーズや演劇を知らなくても観にいくといい」との評を観る前に見かけたが、それはまさしく、「この映像を観るためだけに観てもいい」という意味なんだろうと受け取った。

3DCGも割とふんだんに用いられているんだけど、舞台装置という特殊な設定もあってか画に非常に馴染んでいた。

また、先ほども同じようなことを書いたが、冷静に考えるととんでもないことをやっている演出も多い。デコトラが出てきたり二人でオリンピックしたり、なんならTVシリーズより明らかに加速しているはずである。それなのに説得力を生んでいるのは、いい意味での「勢い」でねじ伏せているからこそ成せる業だろう。


他には、劇場版ならではの演出も良かった。単純なものでは、「ワイルドスクリーンバロック」の表記は「Wi(l)d-Screen Baroque」となっていて、初めてこの名が明かされる際には文字が画面の端から端まで表示される。大画面の映画が一般的に「Wide Screen」であることを意識してのことだろう。
また、TVシリーズにおけるキリンのように、華恋とひかりがスクリーンの向こう側の観客(今回の場合は映画館に並ぶ座席に座った観客たち。その様相は観劇者とほぼ同じとも取れる)を見据えるシーンがある。元々TVシリーズで「キリンは観客そのものであり、観客がいなければ演劇は成立しない」という言及はあったが、映画館もいわば劇場な訳で、その事実がそういったメタフィクション的演出を補強していると感じた。
さらに推測するなら、「劇場版アニメが製作されたからこそ九九組はキリンの主催する新たな舞台へと上がらなければならなくなった」という解釈すらもできてしまう。さらに、スタッフロール後最後のカットで華恋がこちらへ顔を見せないのは、アニメ作品『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』から離脱した存在となったという表現……というのは憶測が過ぎるかもしれない。でも、彼女の着ているTシャツには本作品のロゴマークが印刷されているのも見えるから、あながち間違ってないかも。


全体の構成というところに目を向けてみると、緩急のバランスがすごくちょうど良いなと感じた。先述の舞台演出はもちろん良いんだけど、ずっとあの濃さの映像を観せられるとさすがに胸焼けがする。そんな時に丁寧に描かれた華恋の過去が挟まるので、疲れずに済むという感じがあった。華恋の過去描写を集中して見てないとかそういう訳ではないです。


こうやって色々書いてはみたけど、要するになかなか無いレベルの素晴らしい映画だったのは間違いない。ここ最近観たものでは一番かも。TVシリーズの終着点としての話が語られて、綺麗な終わりが描かれている時点で完璧なんだけど、それを上回るようなパワーさえ有した舞台の演出によって映画としての価値がめちゃめちゃ底上げされていると感じた。ストーリーが5億点で映像が7億点で合計12億点みたいな映画。
僕は本作を観に行くためにアニメを12話観たわけだが、その価値は十分すぎるほどあった。お釣りが来るぐらい。




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大場ななさんと星見純那さんを描かせていただきました。

主人公の二人も勿論好きだけど、この二人が一番好きです。弱さを持ったななを純那がその言葉で元気付けたり、かと思えば劇場版ではななはいつも努力を惜しまない純那に疑問を投げかけ、挙句腹切を要求してくる。他の対峙する生徒たちは、幼馴染だったり、同じような境遇に立つライバルであるのに対してこの二人は極めて歪な関係であるように感じて、それがやけにリアルで惹かれてしまう。

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