【ゲームである必要】雑記.20211022

・僕は結構昔から「ゲームをつくりたい」という願望を持っている。ドット絵や作曲を始めたのもすべてはゲーム制作に活用するためだ。そもそも「東方ProjectとかUndertaleみたいな作品を自分一人で作ってみたい」という考えが最初にあって、それらの作者であるZUN氏やTobyfox氏のような人に近づきたいから創作活動をやり始めたというのもある。

・しかし、最近こういった動機が揺らいできている感覚がある。具体的に言えば、「自分が作りたいものの媒体って本当にゲームじゃなきゃいけないのか?」という疑念が浮かんできている。

・僕は昔から本当にゲームばっかりやってきた。世代的にはライトノベルやそれを原作にしたアニメに傾倒している人も多い層だと思うのだが、そういうものには目もくれずただただゲームをやり続けていた。ましてや映画なんて全然興味がなかった。

・だが今は違う。アニメを少しずつ観始めてその魅力にもかなり惹かれている。きっかけとなったのは『プロメア』と『スパイダーマン:スパイダーバース』だ。その凄まじい映像にはものすごい魅力を感じたし、こういうのを作ってみたいとも感じた。それからだいぶ後だが、ポケモンのアニメMV『Gotcha!』にもいたく感動したのも覚えている。
つまり、「別に世の中の良いコンテンツってゲームだけじゃない」ということがわかってしまったのだ。

・加えて、今現在3DCGの講義を受けているというのものもある。モデリングとかキーアニメーションとかレンダリングの設定とか、いろいろやっている。一応、このまま勉強していけば実用的なレベルの技術が獲得できるとのことだし、できることが増えていく感じはまあまあ楽しい。これを活かしてアニメ制作とかしてみるのもいいかも、とは現時点で思わないでもない。


・そして『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の存在がある。(noteでそれの話をし過ぎだろというのは百も承知だ。でもそれだけ衝撃だったので…。)僕はゲームという媒体の特色として「メタフィクション表現との親和性」「音楽と物語の文脈を絡める手法との相性の良さ」があって、これがめちゃくちゃ最強だと思っていたのだが、スタァライトはこれをアニメ映画という媒体で完璧にやっている。じゃあ別にゲームにこだわる必要もないか……と僕は今わりと思っている。


・趣味の揺れ動きというものもあるかもしれないが、僕は最近ゲームの純粋な「ゲームとしての面白さ」にあんまり惹かれていない気がする。「このゲーム、ものすごく面白くて何時間でもやれるぜ」みたいな体験をする機会が減ってきてるのもあるだろう。『メトロイド ドレッド』とかは面白かったけど、もう体験したことのある面白さだし。過去の事例で言えば『スプラトゥーン』とかはそうだったかも。事実、最近やった『Doki Doki Literature Club Plus!』『アイドルマスタースターリットシーズン』『BLUE REFLECTION TIE/帝』はシナリオや音楽、キャラクターを目当てに買ったものだ。ゲーム買い過ぎって感じだけど普段はこんな買ってないです。たまたま集中し過ぎてるだけ。
もちろん僕も自分なりに新しいゲームの仕掛けとかを色々考えたりもするが、結局過去のフォーマットの模倣や改造にとどまってしまうことが多い。まあ世の中にはびこってるゲームってそういうのも多いし、スーパーマリオブラザーズやどうぶつの森みたいなフォーマットの大発明ってそうそう起こるものではないから、それで「おれには才能がないんだ!!!」と思うのは間違ってると思うんだけど、とはいえそういうのを考えることをとりわけものすごく好き好んでいるという感じでもないのだ。


・でもゲーム好きだもんな……『アンリアルライフ』とかすごく良いと思ったし。一人でつくってんのにね。ああいうのをつくりたくはある。というかドット絵を使うとなった時に一番良いのがゲームという媒体だっていうのはあるな。チップチューンも同様。

・というかこの社会で将来のこと考えるってなるとチームで働くことを前提として考えなきゃいけないのなんなんだ。一人で全部やるというのを一つの選択肢として提示してくれても良いのに。だいたい、個人ゲーム開発者という職業が地位を持ってたらこんな悩むこともないんだよな。まあ一人でゲームを作るということ自体気の狂った行為であることは間違いないからしょうがないのか。

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