人体の不思議と己の無知
自分の知覚と想定外の現象
激しく体を動かし過ぎなのだろう、
右の掌が痛くなることがある。
最近、バドミントンを割とハードにやっている。
右利きで、ラケットを相当振り回している。
その影響があるのは間違いないだろう。
休めば痛みが軽減する。
なので、間違いなく使い過ぎだ。
ただ、ぱっと見た感じ腫れているわけでもない。
炎症を起こしているわけでもなさそう。
ラケットを握っている手の、掌が痛い。
掌に負荷がかかり過ぎなのだろうと思っていた。
ところが、他の所がこの痛みに影響していそうだ。
普段、月に1度は整体に通っている。
そして、体の具合を見ていただいている。
その先生に状況を説明すると、掌とは関係ないところをほぐしてくださった。
その結果、掌の痛みが軽減してきた。
ほぐしてくださったのは、肘の内側だ。
何故、肘の内側をほぐすと手のひらが楽になるのか。
生体に関して知識があまりない為、非常に面白いと感じた。
直接的な現象と間接的な原因
直接的には、掌が痛いという現象がある。
ただ、原因は肘らしい。
バドミントンという競技の特性上、肘に負荷がかかることはわかる。
なら、何故肘ではなく、掌が痛くなるのか。
この辺りが面白いと感じる。
整体の先生曰く、不具合が起こっている箇所が影響して、他の箇所を引っ張っている。
だから、痛みは別の場所に出てくるらしい。
場合によっては、腰が痛いのに指先の弛緩で状態が改善したりする。
人体は、色々なところでつながっており、影響を与えていることが良くわかる。
それだけ、繊細で複雑なシステムなのだと思う。
これらを通して感じること
以前と比べ、科学技術は間違いなく発展してきていると思う。
それでも、このような生体の連動やバランスに関して、知見が積み上げられているわけではない。
もしかしたら、一般常識なのだろうか?
私は寡聞にして知らないのだが。
そして、進んだ科学技術であっても、人体の模倣が出来ない。
それが自然の凄さであり、恐ろしさなのだろう。
と同時に、人類の知恵や知識など、まだその程度なのだと感じさせられる。
圧倒的な力の差を感じる。
こういう状況に陥るとき、神の力を信じてしまうのだろうか?
私はそうは思っていないが、神を信じたくなる気持ちも理解できる。
進んできたとはいえ、科学技術はまだ多くのものを解明しきれていない。
生体だって、原子力だって、深海だって、宇宙だって。
まだまだ未知の領域は多い。
また、既にわかっている事柄についても、私自身はまだ無知な部分が多い。
つまり、まだまだ多くのことを知ることが出来る。
勉強することが出来る。
学び、理解し、身に着ける。この過程は本当に楽しい。
学生時代にこれが理解できていれば、もっと違った世界が見えたのかと思う。
今からでも、多くの学びを得たいな、と思う今日この頃だ。