考えるとは心に『余白』をつくること
最近読んだ本の中で、子どもに読んでほしいなと感じた書籍に出会いました。
それは哲学者、論理学者である野矢茂樹さんの『はじめて考えるときのように「わかる」ための哲学的道案内』という書籍です。
この書籍は「考える」とはどういうことなのかを、著者のやさしい語り口で解き明かしてくれる1冊です。「考える」という本質を、分かりやすい文章でまとめてあること。植田真さんの心和む挿絵。188ページと短めの内容なので読書に抵抗のない人なら難なく読める量なので、子どもにもぜひ読んでほしいと感じました。
本日は、この書籍を読んで感じた「考える」こと、「問う」ことについてまとめてみます。
耳を澄ます
「考える」とはどういうことでしょうか。
私は学校や仕事での経験から、課題や問題に対して机に向かい「うーん」と答えをひねり出すことを考えると思っていました。
しかし、野矢さんは書籍の中でこう言っています。
ちょっと難しいですね。
では、こんな経験はありませんか?
どうしても分からないクイズの問題。どれだけ考えても答えが分かりません。しかし数時間、数日後に何かを見聞きして「あっ、分かった!」と閃く感じです。
閃いた答えに気づくこと。また「閃き」とは自分の意識の外で発生する。つまり「考える」とは、自分の心の声にいつも注意を向けることだと思います。
答えを見つけるまでは散歩をしたり、読書をしたり、You Tubeを見たり、ダラダラしたり。なにをしていてもいいんです。問題を忘れていていいんです。
あとは「あっ、これだ!」となるまで待つ。
しかし、自分の心に耳を澄ませるとはどういうことか。
私は『余白をもつ』ことが重要と感じています。
「あれをやらなければ」
「あれの次はこっち」
「3時までに終わらせなきゃ」
「仕事が終わらない」
「家に帰って勉強しないとな」
私たちは日々の生活に忙殺されて、頭の中でアラームが鳴り響いています。そんな状態で心の声に耳を澄ますことは困難です。
だからこそ『余白』を持ちましょう。
のんびりと散歩をする、家でぼーっとする、あえて退屈な時間を意識的につくることも「考える」うえで大切なのではと思います。
なんとなく見ているSNSやテレビなど、重要でないことは後回し。リラックスして心の声に耳を澄ましてください。
無知から「問い」は生まれない
一方、「考える」前には「問い」を見つける必要があります。
私たちの人生は、学校のテストのように事前に問題が準備されていません。つまり、疑問を疑問として認識する力が必要なのです。
そのことを野矢さんは「無知や無秩序からは問いは生じない」と表現しています。
たとえば「地球が宇宙の一部」と知らなければ、夜空を見上げても大きな天井にぐらいにしか感じないかもしれません。宇宙や星という概念を知らないのに「星はどのように生まれたのだろう?」なんて疑問が思いつくはずないでしょう。
反対に「知る」ということで、さまざまな疑問を生み出します。
先ほどの話の続きで「地球が宇宙の一部」と初めて知ったとします。そのとき初めて「星はどのように生まれたのだろう?」と疑問を持つでしょう。
その疑問を調べて星となる前の原始星が周りの物質を取り込みながら質量を増大させて星になる。ということを知ったら、さらに「どうして?」と疑問が増えていきます。そんな疑問がどんどん繰り返されていくでしょう。
日常生活や自分のことでも同じです。すべての疑問は「知る」ことから始まります。
では「問い」を見つけるためにはどうするべきか。
ここでもまた『余白をもつ』ことが大切ではないでしょうか。
なぜなら新しい知識・認識を得るにはどうしても時間が必要だからです。
日々の生活に追われて「考える」時間もなければ「疑問」も感じない。ただなんとなく生きている。そんな人生で良いわけありません。
芸能ニュースの中に「問い」はありません、とりあえず散歩に行きましょう。道に生えた雑草から新たな「問い」が生まれるかもしれません。
おわりに
以上が『はじめて考えるときのように「わかる」ための哲学的道案内』から学んだ「考える」こと、「問う」ことのまとめでした。
私自身も30年以上、この社会の常識に疑問を持たずに生きてきました。今、振り返ってみると、忙しさを理由に考えることを放棄していたのかもしれません。
しかし、この書籍に出会って、本当に「考える」とはどういうことなのか。少しですが分かった気がします。
心に『余白』をつくり、ゆっくりのんびり考えていきましょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。