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国立精神・神経医療研究センター(NCNP)によるウェアラブルデータと精神疾患状態の関連性の研究をわかりやすくまとめてみた
データサイエンティストの杉尾です。主にデジタルバイオマーカーの開発プラットフォームである(SelfBase)の機能開発や、そこで収集されたデータの解析を担当しております。
今回は、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)による「Feasibility of a wrist-worn wearable device for estimating mental health status in patients with mental illness」という論文をまとめています。これは2023年に発表された比較的最近の論文で、我々もお手伝いさせていただいております。
ウェアラブルデバイスで取得できる心拍変動データを用いて、統合失調症または統合失調感情障害、双極性障害、うつ病、睡眠障害、発達障害など多様な疾患患者のデータを分析する比較的大規模な研究であり、その結果も今後のウェアラブルデバイス利用の可能性を示すものでありました。
ウェアラブルデバイスを利用した研究や分析がどのようなものか、わかりやすく書かれているため、これから「ウェアラブルデバイスを用いてデジタルバイオマーカーの検討を行っていきたい」という方に目を通していただけると、大局的な視点を得ることができるかと思います。
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1. 研究背景
この研究のモチベーションは、精神疾患を持つ患者のメンタルヘルス状態を客観的かつ連続的にモニタリングするための新しい方法を開発することにあります。精神医学の分野には"臨床診断の妥当性が低い"という問題があります。それは具体的な診断カテゴリーが広範な病態を含むため、既存の診断基準に基づいた精神障害の病因や病態生理の解明は困難であることが要因です。この問題を解決するために、「メンタルイルネス・レジストリ*1」が開発されています。
また、メンタルヘルスの状態の評価には、自己報告式のアンケートによる心的負担や時間のかかる方法が一般的です。しかし、これらには主観性が伴い、客観的な評価が困難です。そこで、ウェアラブルデバイスを用いた心拍数(HR)と心拍数変動(HRV)のモニタリングにより、メンタルヘルスの状態を客観的に推定する可能性が注目されています。
心拍数(HR)の変動性(= Heart Rate Variability, HRV)は、自律神経系によって制御されており、低HRVは恐怖や興奮などの状態を促進する交感神経系の活性化、高HRVは休息と回復の状態を促進する副交感神経系の活性化と関連しています。そのため、ウェアラブルデバイスを用いた3D加速度計と光学式脈波光電容積法(Photoplethysmography, PPG)を使った運動量と生体情報の測定により、特別な環境(例えば、実験室)ではなく実世界でのデータ収集が可能になるため、ウェアラブルデバイスによるメンタルヘルスの評価への関心が高まっています。
2. 研究手法/データ
この研究は、精神疾患を持つ110人の患者を対象に、腕時計型ウェアラブルデバイス(Fitbit Sense)を用いてメンタルヘルスの状態を推定する可能性を調査した観察研究です。
2-1. 実験情報
期間
2020年10月1日から2021年3月31日
参加者
参加者:110名
最終的に利用できたのは、79名
メンタルヘルス状態の評価から14日以内に心拍データが取得可能などの条件により除外。
質問紙
参加者は自己報告式アンケートを用いて不安、感情、QOLを報告
STAI、PANAS、EQ-5D-5L(VASも)
定量指標
ウェアラブルデバイスの3D加速度計と光学式脈波光電容積法(PPG)を用いて、各睡眠段階および昼間の心拍数(HR)と心拍数変動(HRV)を測定。
2-2. 利用した質問紙
患者のメンタスヘルスの状態を把握するためは、質問紙を利用して定量化する方法が一般的です。この論文でも質問紙を介して、患者のメンタルヘルスの状態(以下、メンタルヘルススコア)を把握しています。利用した質問紙は以下です。
STAI(State-Trait Anxiety Inventory)
STAIは、不安を測定するために広く用いられる質問紙。
Form X-Iは「状態不安」を測定し、特定の瞬間や状況下での個人の不安感を評価します。Form X-IIは「特性不安」を測定し、一般的な不安の傾向や水準を評価。
各フォームは20項目の4段階の選択肢で構成。
スコアは20から80の範囲で、高いスコアはより高い不安レベルを示す。
PANAS(Positive and Negative Affect Schedule)
PANASは、ポジティブ感情(PA)とネガティブ感情(NA)の両方を測定するための質問紙。ポジティブ感情スコアとネガティブ感情スコアは別々に計算。
20項目から構成され、10項目がポジティブ感情、残りの10項目がネガティブ感情を評価。
各項目は6点リッカート尺度で評価。
EQ-5D-5L(EuroQol 5 dimensions 5-level)
EQ-5D-5Lは、健康関連の生活の質(QOL)を測定するための質問紙。
5つの次元(移動能力、自己ケア、日常活動、痛み/不快感、不安/うつ)があり、各次元について5段階の反応オプションが提供される。
Visual Analogue Scale(VAS、視覚アナログスケール)
主に痛み、不快感、不安、生活の質(QOL)などの主観的な感覚や状態を測定するために用いられる評価。
一般的には0から100までの目盛りがついた直線の形をしており、直感的に利用できる。
0(最悪想像可能な健康状態)〜100(最良想像可能な健康状態)
2-3. データの処理手順
上記の質問紙で取得したメンタルヘルススコアとウェアラブルデバイスのデータの関連性を統計的に確認することで、これらの分析は進めることができます。しかし、ウェアラブルデバイスのデータをそのまま利用することはできず、様々な前処理や加工が必要となります。その手順には以下の内容が実施されています。
心拍数を元に心拍数変動のを計算
HRVの計測には、時間領域指標であるsdnn(正常心拍間隔の標準偏差)とcvrr(R-R間隔の変動係数)を使用。5秒ごとのサンプリング。30分を1エポック。複数のエポックが適切に記録された場合は、その平均値を利用。
データフィルタリング(外れ値の除外、足切り)
昼間のデータにおいては、心拍数が90/分を超えるか50/分を下回るデータ、または1エポック内の最大心拍数と最小心拍数の差が40/分を超えるか5/分未満のデータは除外。睡眠中は後者の条件のみが適用。
睡眠段階の推定*2
睡眠段階情報は、非公開のFitbit Research Libraryを利用して推定。
3. 実験・分析
この研究では、心拍数と心拍数変動の指標と自己報告されたメンタルヘルススコアとの関係を探るために以下の統計解析を行なっています。具体的には、どの睡眠段階や昼間の時間帯でHRおよびHRV指標がメンタルヘルススコアを最もよく反映するかを推定しています。
探索的な単変量相関分析(ピアソンの積率相関)
可能な交絡因子を調整し、多変量回帰分析
基本的には、目的変数にメンタルヘルススコア、説明変数にHRVなどウェアラブルデバイスで取得したデータ、また性別や年齢などのデモグラフィック情報を用いた統計解析を行います。一方で、単純な統計解析では推定が困難なケースもあり、その場合、より高度な統計解析の手法を用いることが強いられる可能性が高いです。弊社では、それら高度な統計解析手法を日々検証しております。ご興味があれば、是非ご連絡下さい。
4. 結果
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図2は、心拍数変動(HRV)および心拍数(HR)の指標とメンタルヘルススコアとの相関を示しています。具体的には、睡眠の各段階(REM睡眠、ライト睡眠、ディープ睡眠、睡眠後覚醒/WASO)と昼間におけるHRVの指標(sdnn、cvrr)およびHRと、STAI(状態特性不安目録)のForm X-IおよびForm X-II、PANASのPA(ポジティブ感情)およびNA(ネガティブ感情)、EQ-5D-5L(生活の質)のVAS(視覚アナログスケール)及びユーティリティスコアとの間の相関係数が示されています。
図2の読み取り方は以下の通りです。
縦軸(Y軸):相関係数の値を示しています。値が+1に近いほど正の相関が強く、-1に近いほど負の相関が強く、0に近いほど相関が弱いことを意味します。色やパターンの違いは、異なるHRVの指標(sdnn、cvrr)およびHRを示しています。
横軸(X軸):メンタルヘルススコア(STAI Form X-I、STAI Form X-II、PANAS PA、PANAS NA、EQ-5D-5L VAS、EQ-5D-5Lユーティリティスコア)と睡眠段階(REM睡眠、ライト睡眠、ディープ睡眠、睡眠後覚醒(WASO))および昼間を示しています。
有意性のマーク:棒グラフ上にある「」や「**」などのマークは、統計的な有意性を示しています。たとえば、「」はP < 0.05、「**」はP < 0.01を意味し、相関が統計的に有意であることを示しています。
上記に沿って、図2を読み解くと、以下の結果を得ることができます。
ウェアラブルデバイス(Fitbit Sense)を用いた心拍数(HR)および心拍数変動(HRV)のデータが、精神疾患を持つ患者のメンタルヘルススコアと有意に関連していることが示されました。
特に、睡眠後覚醒開始(WASO:Wake After Sleep Onset)段階で得られたデータが最も強い相関が示されました。
HRの部分に「**」などのマークが多いことからそれを読み解くことができます。
また、多変量回帰分析により、可能な交絡因子を調整した後の結果では、以下の項目間に有意な差が確認できました。特に、メンタルヘルススコアの評価から3日以内に得られたデータが、不安、ポジティブ感情、および生活の質と最も強く関連していることが示されました。
sdnnとSTAI Form X-IIスコア(特性不安)
(推定値 = −0.14, 95% CI [−0.26, −0.01], P = 0.035)
心拍数とSTAI Form X-Iスコア(状態不安)
(推定値 = 0.41, 95% CI [0.03, 0.78], P = 0.036)
心拍数とPANASポジティブ感情スコア
(推定値 = −0.36, 95% CI [−0.59, −0.12], P = 0.004)
心拍数とEQ-5D-5L VASスコア
(推定値 = −0.98, 95% CI [−1.67, −0.29], P = 0.007)
心拍数とEQ-5D-5Lユーティリティスコア
(推定値 = −0.01, 95% CI [−0.02, 0.00], P = 0.016)
5. 考察と課題
この研究の結果は、ウェアラブルデバイスを使用して得られたHRおよびHRVデータが、精神疾患を持つ患者のメンタルヘルス状態を客観的に推定するための有望な手段である可能性を示唆されています。特に、メンタルヘルス状態の評価から3日以内に得られたデータが、不安、ポジティブな感情、および生活の質と最も強く関連していることが示されました。
一方で以下のような課題も指摘されています。
PPGを利用した心拍数変動(HRV)の計算方法
PPG(光学式脈波光電容積法)信号のピークとピーク間の時間をR-R間隔の代用として使用していますが、この方法がR-R間隔を直接測定する方法と同じ精度を持つかは明らかではないこと。
フィルタリング方法
HRおよびHRV信号から不要な信号を除外するために特定のバンドパスフィルターを使用しましたが、この方法の精度については確固たる証拠がない点。最適なカットオフ範囲の標準化は重要な課題ですが、これはデバイスに依存する可能性があります。
縦断的変化の確認(longitudinal changes)
研究では、それぞれのメンタルヘルス状態に対するHRおよびHRV指標の反応を確認できていない点。
特に、sdnnが特性依存のSTAI Form X-IIスコアと有意に関連しているものの、状態依存のForm X-Iスコアとは関連していないため、sdnnがメンタルヘルス状態の変化にどのように対応するかが不明であると述べられています。
分析の多重性の調整(multiple testing correction)
分析の多重性に対する調整を行われていないため、偽陽性率のコントロールが適切にできていない点。
3と関係していそう…
弊社でも、同様の課題を認識しており、日々様々なデータを元に、検証を行なっております。特に2のフィルタリング方法に関しては、多くの知見が溜まっておりますので、ご興味があれば是非ご連絡下さい。
このように、この論文は、ウェアラブルデバイスを使用して精神疾患を持つ患者のメンタルヘルスの状態を評価する方法の実現可能性とポテンシャルについての有益な洞察が提供された研究です。これからこのような研究がさらに増えていくことになるでしょう。その際に、弊社のSelfbaseを利用していただけると嬉しい限りです。
参考文献
[1] Nakagome, Kazuyuki, Manabu Makinodan, Mitsuhiro Uratani, Masaki Kato, Norio Ozaki, Seiko Miyata, Kunihiro Iwamoto, et al. 2023. “Feasibility of a Wrist-Worn Wearable Device for Estimating Mental Health Status in Patients with Mental Illness.” Frontiers in Psychiatry / Frontiers Research Foundation 14 (July): 1189765.
[2] 精神疾患レジストリ “マイレジストリ(Mental Illness Registry), 国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター (National Center of Neurology and Psychiatry), https://mi.patient-registry.jp/
注釈
*1:診断カテゴリーの広範囲にわたる機能的領域の生物学的病態発生を解明するためには、大規模な患者レジストリを持つ研究インフラの確立が必要です。また、自己報告式のアンケートによる心的負担や時間のかかる方法に代わる客観的かつ負担の少ない方法として、ウェアラブルデバイスを用いた精神健康状態のモニタリングへの関心が高まっています。
*2:Fitbitには、APIを用いることで睡眠段階を取得することが可能のため(デフォルト仕様)、必要に応じてそれらを活用するだけで済むことが多いです。