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忍者入門

ここでは「忍者」というものに対するあなたの観念を、歴史的な証拠を用いて現実的なものへと移行する手助けをします。あなたがこれまでに映画やフィクションから得た忍者の知識は脇に置いておいてください。長年の考えや信念と矛盾する証拠に直面したときに、混乱や不信、認知的不快感を経験するのはー特に忍者になりたいと思いながら育った私たちにとってー自然なことです。

雇われのエリートスパイ

忍者は多くの名前で呼ばれてきました。21世紀の西洋にいる私たちが知る名前は「忍者」ですが、忍しのび 、夜盗、忍兵、乱らっぱ破などと呼ばれていました。多くの場合、とらえどころがなく神秘的な存在であると評判ですが、実際にはその職業を理解するのは難しいことではありません。忍は古代日本での雇われのエリートスパイでありまた戦士でもありました。農民と武士の両方のどちらの階級からも採用されており、日本の歴史と同じくらい長い間存在していた可能性もありますが、12世紀の源平合戦までは歴史的記録にはあまり登場しません。有名な忍者としては、名取正武と服部半蔵がいます。その後、何世紀にもわたって日本は争いと流血に悩まされ、その間に封建領主(大名)は忍を使って諜報、妨害、暗殺、そして戦争を行っていました。紀元前5世紀の中国の軍事戦略家である孫武の画期的な兵法書『孫子』においても、勝利を達成するためにそうした秘密のエージェントを利用する必要性が強調されています。

忍者はAPT10

忍者は諜報活動、敵の陣地への侵入、破壊工作に非常に精通していました。忍は歴史上最初の持続的標的型攻撃者であったと言えるかもしれません。APT0と言ってもよいでしょう。絶え間ない争いの時代に、彼らは手法や戦術、道具、ノウハウ、手順、そして実践理論である忍術を状況に合わせて磨き、成熟させました。巻物『万川集海』では、「忍術の奥義は、敵が注意を払っている場所を避け、敵が警戒を怠っている場所を攻撃すると述べられています。したがって、秘密のエージェントとして活動するにあたり、彼らは変装したり、隠れたりして目的の城や村などに接近していました。そして情報を集め、標的の防御のギャップを評価したうえで、諜報活動や妨害工作、 放火、暗殺を行うために潜入していたのです。17世紀の長く平和な江戸時代には、忍者のノウハウの需要は減少し、忍者はあいまいな存在になりました。彼らの生き方は受け入れられなくなり、他の仕事を引き受けるようになっていきましたが、彼らのメソッドには非常に影響力があり、見た事がない 伝説的な能力も相まって、忍は今日においても歴史上最も偉大な戦士あるいは情報戦の専門家の一角として神話化されています。