007シリーズと名探偵コナン

現在テレ東では午後ローで週1で007シリーズを20作連続で放送している。
自分が見始めたのは「黄金銃」からで「美しき獲物たち」まで6作連続で鑑賞した。
正直007って毎回似たような話で、ジェームズ・ボンドが女スパイ(ボンド・ガール)に任務を邪魔されながらも、最後には寝返ってベッドを共にしてめでたしめでたしという話ばかりだ。
つまり、はじめから結末が予想できるわけで、それを考えながら見る楽しさはない。
アクションシーンにしても自分の見ている70年代、80年代のものは今から見れば安っぽく見えるところもある。
そこまで魅力的にも感じない映画をなんで自分が6作も見続けているのかといったら自分の中にマンネリズムを求める欲求があるからだと思う。
映画を見始めればいつもと変わらないジェームズ・ボンドがボンド・ガールや敵となんやかんやありながらも最後には敵をやっつけて一夜を共にする。
そこにどこか毎回安心感を覚える自分がいる。
これってGWの「名探偵コナン」シリーズに通じるものがあると思う。

コナンの場合だと毎回何か大事件に巻き込まれて、映画の場合だと蘭ねーちゃんに危険が及ぶのをコナン君が助けて、事件も解決みたいのがほとんどだと思う。(最近の見てないんで違ったらゴメンなさい)
コナンを映画館に見にくるお客さんも結末は初めからわかっていても、GWに映画館に行けば、そこには毎年いつもと変わらないコナン君たちがいてそのことを認識することで安心感を覚えるサイクルがあるのだと思う。
ドラえもんの映画も同様のパターンと言える。

当たり前の日常が脅かされている今だからこそ、(3作とも公開延期になってしまったけど)007だったりコナン、あるいはドラえもんの映画のような偉大なるマンネリズムは必要とされてると思う。
自分の生活の中でささいなマンネリズムをルーティーン化していけば心の不安を少しでも鎮めることができるはず。

#雑記

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