「ゲノム編集は消費者に受け入れられるのか?」育種の歴史から考察
本記事では、「ゲノム編集によって作られた作物が今後、世界中の人々から受け入れられ、普及する為にはどうすればよいのか?」という問いを、「育種の歴史」という二つの観点から考察していきたいと思う。
ゲノム編集は、別名「DNAのメス」とも呼ばれ、私達生物の設計図とも言えるDNAを、まるでワープロのように一文字一文字書き換えることの出来るという、神の領域とも言える画期的な技術である。
ゲノム編集の食への応用は既に進められており、血糖値を下げ、人々の健康を促進するGABAを多く含んだ高GABAトマト等が既に日本でも普及している。
そんなゲノム編集には、
✓干ばつや豪雨でも育つ種子の開発による「農業の課題解決」
✓長時間スーパーの棚に陳列しても茶色くならないキャベツ開発による「フードロスの解消」
✓その他「栄養価増加」「消費者の健康促進」「食糧増産」
等々、一見メリットしかない。
しかし、本当に私達の生活を良くすることはできるのだろうか???
2000年前後に、同じ育種ほうほうの一つ「遺伝子組み換え」が消費者団体による猛烈な反発を受けたことで一般の人々まで普及しなかったが、遺伝子組み換えの二の舞になる可能性はないのか???
この問いの答えを、育種の歴史から紐解きたいと思う。
〈1万年前~1900年付近〉
自然交配
今から1万年前に農耕は始まり、ある特徴を持った作物を人為的に選んで交配させる「選択育種」や、生物学的にことなる種同士を人為的に交配させる「異種交配」等を、何度も何度も繰り返すことで、収穫の度に徐々に収量が増加し、味も良く、食べやすい形へと変わってきた。さらに新種の農作物も次々開発されてきた。
このことから、DNAが科学的に解明される遥か昔から、人類は事実上の遺伝子変異作業を行ってきたことがわかる。
〈1900年代~〉
放射線・化学物質
20世紀に入ると、科学者が農作物に「X線」や「ガンマ線」など放射線を照射したり、「マスタードガス」や「コルヒチン」と呼ばれる化学薬品を採用させるなどして、人為的に突然変異を起こす試みが始まった。
中でも放射線照射による品種改良は「放射線育種」と呼ばれ、1920年代に米国で始まった。
1930年代以降世界に広まり、インドで開発された「干ばつへの体制を持つ綿花」等、次々製品化された。
日本でも、1960年、茨城県常陸大宮市にガンマーフィールドと呼ばれる広大な放射線育種場が設置され、これまでに220種類以上の農作物が放射線育種で開発された。中でも有名なのは、「ゴールド20世紀梨」である。
「放射線」という、消費者が敬遠するワードが使われているが、結論、放射線育種は一般消費者に普及した。その理由は戦後で十分に食料がなく、食料生産増加というメリットが消費者に訴求出来たからである。勿論、健康被害もない。当時の時代背景が放射線育種による作物の普及を後押ししたのである。
〈1980年~〉
遺伝子組み換え
遺伝子組み換えは、酵素を使ってDNAを切断し、既にある作物と自然界にある細菌を、ノリの役割を果たすバクテリアによってくっつけることで遺伝子に変異を加える技術である。
例えば、遺伝子組み換えの代表である「除草剤への耐性のある大豆」を作る場合は、除草剤の影響を受けないor除草剤を分解する細菌を、科学者が自然界から探してきて、その細菌を特殊なバクテリアを使って作物のDNAに組み込むことによって作られる。
細かい技術を知らない消費者にとって、放射線育種よりも受け入れられそうに思われるが、結論、遺伝子組み換え作物が消費者に受けいれられることはなかった。
主な理由は以下の2つである。
①「バクテリア」という消費者からしたらばい菌同然のものが開発に使われたから。
➁1980年代の先進国には、食料が豊富にあり、遺伝子組み換えの食料生産増加というメリットが消費者に刺さらなかった。また、消費者との十分なコミュニケーションを取らなかったが故に、ニーズに即した作物を作れず、説明不足感から消費者の不信感を招いたから。
放射線育種の成功は、現代とあまりにも時代背景が異なる為あまり参考にはならないが、遺伝子組み換えの失敗は、DNAを酵素を使って人為的に操作するという技術の類似性から、ゲノム編集を普及させる方法を考えるのに大いに役立つ。
次の記事では、GMOの失敗要因を更に深く掘り下げ、ゲノム編集の消費者への普及方法について詳しく考察する。