[技術史]織機から始まったコンピューターの歴史5
ジョン・フォン・ノイマンは、1940年代に衝撃波と爆撃波の研究の第一人者とされていた人物の一人です。彼は、自身の研究にコンピュータが使えるのではないかと考え、1944年に初のプログラム制御式デジタル電子計算機「エニアック」を製作していた技術者のミーティングに参加しました。約1万8000本の真空管、7万個の抵抗器、1万個のコンデンサー、6000個のスイッチ、1500個のリレーが使われ、当時作られた電子機器の中でも、飛び抜けて複雑な装置でした。(重さが何と30tもあったそうです。)
ここで、ノイマンは「コンピュータ科学の出生証明書」といわれる論文を発表します。
彼は、データを保存していたメモリが、データを処理するプログラムの保存にも使えるということに気づき、コンピュータのデータとそれに対する命令をひとつの記録装置に収めたプログラム内蔵型コンピュータを構想します。
(※今では当たり前にされていることですが、紙のカードや配線盤を通して毎回命令を送り込んでいた当時の計算機に革命をもたらす発想となります。)
『参考資料』
https://gendai.media/articles/-/79538