黒いスクーター
つい先日、Hさんとお会いした時に聞いたお話。
Hさんが高校生時代の出来事。
今で言うウェイ系の同級生数名が、ガールズロックバンドのライブへ行くと興奮していたというので恐らく1990年頃だろうか。
その頃に同級生が一人、事故で亡くなっているらしい。
無免許&ノーヘル&スクーターで壁に突っ込んだという。
Hさんは亡くなった同級生と特に親しい訳でもなかったのだが、同い歳の死という生々しい事実に接し、それなりに傷心していたそうだ。
卒業して間もなく、Hさんは取得したばかりの免許で中古のスクーターに乗り、小さな花束を持って、同級生が亡くなったとされる交差点へ向かった。
丁子路の正面で赤信号に捉まった。
目の前が事故現場であり、正面の壁に彼は突っ込んだという。
Hさんは右折した先で適当なところにスクーターを停め、花を置いて帰るつもりだ。
青信号になったのでアクセルを回す。
プスン
何故かエンストしたという。
中古のスクーターはバッテリーのせいか、手元のスタートスイッチが壊れていた。
慌ててキックペダルを蹴り出し、キーを回し直してから即座に右足に体重を掛けようとする。
その瞬間、フルフェイスヘルメット特有の狭い視界の右端に、黒いモノがHさんのスクーターを追い越していくのが見えたという。
チラリと視線を上げれば、黒いスクーターに乗った黒いジャージ姿、ハーフメットを被らずに背中へ下げた茶髪頭の後ろ姿。
Hさんは恥ずかしさで一杯一杯になったそうだ。
幸いキック一発でエンジンはかかった。
アクセルを回して右折する。黒いスクーターはとうに見えなくなっていたという。
シャッターが降りている何かの店舗前に駐車し、足元に挟んでいた花束を引っ掴むと、足早に交差点へ向かう。
現場には少し枯れた花束とジュースの缶が供えてあった。
Hさんは枯れた花束の横に自分の花束を置き、手を合わせたそうだ。
「それでですね」Hさんは回想から帰ってからもこう続けた。
「この間、彼の事をふっと思い出して、帰り掛けにその交差点を通ってみたんですよ。」
丁字路は既に赤信号だったので車を停めた。
ルームミラーを見ても後続車は無い。
信号が青になってアクセルを踏んだ途端、何故かエンストした。
もう何年も乗っているAT車なのに。
つい先程まで一回もエンストなんかしなかったのに。
ハッとして、右のサイドミラーとルームミラーを覗くが、黒いスクーターも何もいなかったという。
「何だかこう・・・・・・胸がキューとして哀しくなりましたよ。」
Hさんはマスク越しでハッキリとは分からないが、目を細めながら何とも言えない様子でモゴモゴとこう言った。