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【哲学小説】ギリシャ大系統出現の時代② - アリストテレス | 図書館の夜明け、アリストテレスとの対話

 図書館の窓から差し込む朝日は、プラトンに関する長時間の読書会で疲弊した僕たちの顔を、優しく照らしていた。円卓の上には、空になったコーヒーカップと、付箋だらけの『国家』が散らばっている。

「さて、皆さん」ヤマダ先生は、静かに口を開いた。「プラトンについての議論は尽きませんが、そろそろ、彼の弟子であり、西洋哲学史におけるもう一人の巨人、アリストテレスについて、語り始めましょうか」

 アリストテレス。その名は、僕にとって、プラトンとはまた違った、ある種の現実的な響きを持っていた。プラトンが、理想の世界を追い求めた哲学者だとすれば、アリストテレスは、この現実世界を、徹底的に分析し、理解しようとした哲学者、というイメージだ。

形而上学:現実世界の「実体」を探求する

「アリストテレスは、プラトンのイデア論を批判的に継承し、独自の哲学体系を築き上げました」ヤマダ先生は、いつものように、落ち着いた口調で語り始めた。「彼は、プラトンのように、感覚界とは別のイデア界が存在するとは考えませんでした。彼は、真に存在するものは、この感覚世界にある、個々の具体的な事物、つまり「実体(ウシア)」であると考えたのです」

「実体…ですか?」哲学を専攻する大学院生のアキラが、少し首を傾げた。「それは、例えば、このテーブルとか、この椅子とか、そういったもののことですか?」

「そうですね」ヤマダ先生は、頷いた。「アリストテレスにとって、実体とは、それ自体で存在し、他の何かに依存することなく存在するものです。例えば、このテーブルは、木という「質料(ヒュレー)」と、テーブルという「形相(エイドス)」が結合することによって、存在しています。しかし、木は、テーブルであるための必要条件ではありますが、それ自体がテーブルであるわけではありません。テーブルという形相が加わることによって、初めて、このテーブルという実体が存在するようになるのです」

「つまり、アリストテレスは、プラトンのように、形相をイデアとして分離せず、個々の実体の中に内在するものとして考えたのですね」歴史家のユウコさんが、補足するように言った。

「その通りです」ヤマダ先生は、ユウコさんの言葉に頷いた。「アリストテレスは、形相と質料は、常に一体不可分のものとして存在し、決して分離することはないと考えました。そして、彼は、この世界に存在するすべてのものは、形相と質料の結合によって成り立っていると考えたのです」

「でも、先生」ミステリアスな女性、カオリが口を開いた。「形相と質料は、常に一体不可分だとしたら、この世界に変化は起こりえないのではないでしょうか? 例えば、木が燃えて灰になる、といった変化は、どのように説明されるのでしょうか?」

「良い質問ですね、カオリさん」ヤマダ先生は、カオリの鋭い質問に、満足そうに微笑んだ。「アリストテレスは、変化を説明するために、「可能態(デュナミス)」と「現実態(エネルゲイア)」という概念を導入しました。例えば、木は、燃えて灰になる可能性、つまり「可能態」を持っています。そして、火が加わることによって、その可能性が現実化し、「現実態」としての灰になるのです。つまり、変化とは、可能態から現実態への移行である、とアリストテレスは考えたのです」

「なるほど…」カオリは、少し納得したように頷いた。「では、この世界に存在するすべての変化は、可能態から現実態への移行であり、その背後には、常に、形相と質料の関係がある、ということですね」

「その通りです」ヤマダ先生は、力強く頷いた。「そして、アリストテレスは、この変化の原因を、四つに分類しました。それが、「四原因説」です。彼は、あらゆる変化には、「質料因」「形相因」「始動因」「目的因」の四つの原因が働いていると考えたのです」

「四原因説…ですか?」僕は、少し混乱してきた。「それは、一体どんなものなのでしょうか?」

「例えば、彫刻家が、大理石から彫像を作る場合を考えてみましょう」ヤマダ先生は、具体例を挙げて説明を始めた。「この場合、「質料因」は、彫像の材料となる大理石です。「形相因」は、彫刻家が思い描く彫像の形、つまりデザインです。「始動因」は、彫刻家が彫像を制作する行為、つまり、ノミを振るう力です。そして、「目的因」は、彫像を作る目的、つまり、美しい彫像を完成させることです。アリストテレスは、この四つの原因が、すべて揃って初めて、彫像という実体が生成されると考えたのです」

「なるほど…」僕は、ようやく理解できたような気がした。「つまり、あらゆる変化には、必ず、この四つの原因が関係している、ということですね」

「そうです」ヤマダ先生は、頷いた。「そして、アリストテレスは、この四原因説を、自然界のあらゆる現象にも適用しようとしました。彼は、自然界のすべてのものは、それぞれ固有の目的を持っており、その目的に向かって変化していくと考えたのです。例えば、種子は、木になることを目的としており、その目的に向かって成長していく。彼は、このような自然の目的論的な秩序を、深く探求したのです」

「しかし、先生」アキラが、再び質問を投げかけた。「この世界のすべてのものに、固有の目的があるとしたら、その目的は、一体誰が決めたのでしょうか? アリストテレスは、その点について、どのように考えていたのでしょうか?」

「アリストテレスは、この宇宙の究極的な目的因として、「神」を想定しました」ヤマダ先生は、静かに、しかし力強く答えた。「彼は、神を、「不動の動者」と呼びました。つまり、神は、自らは動くことなく、他のすべてのものを動かす、究極の存在だと考えたのです。神は、純粋な形相であり、質料を持たない、完全な現実態です。そして、神は、自らを思考する「思考の思考」であり、永遠に自己自身を認識し続ける存在なのです」

「神は、自らを思考する…?」カオリが、不思議そうに呟いた。「それは、一体どういうことなのでしょうか?」

「アリストテレスにとって、思考とは、最も高貴な活動であり、神は、その思考を、永遠に、完全に行っていると考えたのです」ヤマダ先生は、説明を続けた。「そして、この神の思考は、他のすべてのものの運動の原因となっているのです。つまり、神は、自らの思考を通して、この宇宙全体を動かし、秩序づけていると考えたのです」

「なるほど…」僕は、アリストテレスの壮大な宇宙観に、圧倒されるような感覚を覚えた。「アリストテレスは、プラトンのように、感覚界とは別のイデア界を想定しなかったけれど、それでも、この世界を超越した存在、つまり「神」を想定したのですね」

「そうです」ヤマダ先生は、頷いた。「アリストテレスは、プラトンとは異なる形で、この世界に秩序と意味を与えようとしたのです。彼の哲学は、経験論的でありながらも、同時に、超越論的な傾向を併せ持っていると言えるでしょう」

心理学:魂の階層と理性の働き

「アリストテレスは、人間の魂についても、独自の考え方を持っていました」ヤマダ先生は、話題を変えた。「彼は、魂を、生物の形相と考え、生物は、身体という質料と、魂という形相の結合体であると考えました。そして、彼は、魂を、その機能によって、三つの段階に分類したのです」

「三つの段階…ですか?」僕は、興味深く尋ねた。

「ええ」ヤマダ先生は、頷いた。「まず、最も低次の段階が、「植物的霊魂」です。これは、栄養摂取、成長、生殖といった、植物に特有の機能を司る魂です。次に、「動物的霊魂」があります。これは、感覚、欲望、運動といった、動物に特有の機能を司る魂です。そして、最も高次の段階が、「人間的霊魂」、つまり「理性」です。これは、思考、判断、推論といった、人間に特有の機能を司る魂です」

「つまり、人間は、植物的霊魂、動物的霊魂、そして人間的霊魂の、すべての機能を備えている、ということですね」ユウコさんが、確認するように言った。

「その通りです」ヤマダ先生は、ユウコさんの言葉に頷いた。「そして、アリストテレスは、この三つの魂は、それぞれ、質料と形相の関係にあると考えました。つまり、植物的霊魂は、動物的霊魂の質料となり、動物的霊魂は、人間的霊魂の質料となるのです。そして、人間的霊魂、つまり理性は、最も高次な形相であり、人間を人間たらしめている、本質的な要素なのです」

「なるほど…」僕は、アリストテレスの魂論に、深い感銘を受けた。「アリストテレスは、人間を、単なる動物としてではなく、理性を持つ、特別な存在として捉えていたのですね」

「ええ」ヤマダ先生は、静かに頷いた。「そして、彼は、この理性を、「受動的理性」と「能動的理性」の二つに分けました。受動的理性は、外界からの情報を受け取り、それを処理する能力です。一方、能動的理性は、受動的理性によって処理された情報を基に、より高度な思考、判断、推論を行う能力です。アリストテレスは、この能動的理性こそが、人間の魂の最も重要な部分であり、真の知識を生み出す源泉であると考えたのです」

倫理学:幸福を目指す中庸の道

「アリストテレスは、倫理学においても、重要な業績を残しました」ヤマダ先生は、話を続けた。「彼は、プラトンのように、善のイデアを探求するのではなく、現実世界における人間の幸福について、深く考察しました。彼は、幸福とは、単なる快楽ではなく、「人間としてよく生きること」、つまり、理性的に生きることであると考えたのです」

「理性的に生きる…ですか?」僕は、少し首を傾げた。「それは、具体的には、どういうことなのでしょうか?」

「アリストテレスは、「徳」を重視しました」ヤマダ先生は、説明を始めた。「彼は、徳とは、魂の優れた状態であり、それによって、私たちは、幸福な生活を送ることができると考えたのです。そして、彼は、徳を、「性格上の徳」と「知的な徳」の二つに分けました」

「性格上の徳とは、例えば、勇気、節制、正義といった、私たちの行動や感情に関わる徳です。これらの徳は、極端に走ることなく、「中庸」を守ることによって、獲得されると考えました。例えば、勇気は、無謀と臆病の中間であり、節制は、快楽主義と禁欲主義の中間である、といった具合です」

「中庸…ですか?」カオリが、興味深そうに尋ねた。「それは、具体的には、どのようにして見つけることができるのでしょうか?」

「アリストテレスは、中庸は、経験と習慣によって、徐々に見出されていくものだと考えました」ヤマダ先生は、答えた。「私たちは、日々の生活の中で、様々な状況に直面し、その都度、どのように行動すべきかを判断しなければなりません。そして、その判断を繰り返す中で、徐々に、中庸の感覚が養われていくのです。彼は、この中庸を知るためには、知的な徳、特に「実践的な識見(プロネーシス)」が必要だと考えました」

「実践的な識見…ですか?」僕は、初めて聞く言葉に、少し戸惑った。

「ええ」ヤマダ先生は、頷いた。「実践的な識見とは、具体的な状況において、何が最善であるかを判断する能力です。これは、単なる知識ではなく、経験を通して培われる、一種の知恵のようなものです。アリストテレスは、この実践的な識見を持つ人こそが、真に幸福な人生を送ることができると考えたのです」

「なるほど…」僕は、アリストテレスの倫理学に、深い感銘を受けた。「アリストテレスは、幸福を、単なる快楽ではなく、理性的な活動を通して実現される、より高次なものとして捉えていたのですね」

「そうです」ヤマダ先生は、力強く頷いた。「そして、彼は、この幸福は、個人だけで実現できるものではなく、国家という共同体の中で、初めて可能になると考えたのです。彼は、人間を、「政治的動物」と呼びました。つまり、人間は、本質的に、他者と共同体を作って生きる存在であり、その共同体の中でこそ、真の幸福を実現できると考えたのです」

アリストテレスの遺産:現実を見つめ、理想を追求する

 夜明けの光が、図書館の窓から差し込み、僕たちの顔を優しく照らしていた。長い議論の末、僕たちは、アリストテレスの思想という、広大な森を、ほんの少しだけ歩いたに過ぎない。しかし、その短い旅でさえ、僕たちの心を、深く揺さぶるには十分だった。

「アリストテレスは、プラトンとは対照的に、現実主義者と言えるかもしれません」ユウコさんが、コーヒーカップを手に取りながら言った。「彼は、この感覚世界を、徹底的に観察し、分析し、理解しようと努めました。しかし、彼の哲学は、単なる現実主義ではありません。彼は、常に、この現実世界の背後にある、普遍的な法則や秩序を見出そうとしていたのです」

「そうですね」アキラが、同意するように頷いた。「アリストテレスは、現実を直視しながらも、常に理想を追求していた。彼の思想は、現代社会を生きる私たちにとって、大きな指針となるでしょう」

「でも、アリストテレスの思想は、完璧ではないわ」カオリが、少し批判的な口調で言った。「彼は、女性や奴隷を、劣った存在として捉えていたし、彼の自然学は、現代科学の観点から見れば、多くの誤りを含んでいる」

「確かに、アリストテレスの思想には、現代の私たちから見れば、受け入れがたい部分があることは否定できません」ヤマダ先生は、慎重に言葉を選びながら答えた。「しかし、彼の思想のすべてを否定してしまうのは、あまりにもったいないことです。彼は、私たちに、思考の枠組み、世界を理解するための方法論、そして、より良く生きるためのヒントを与えてくれました。彼の遺産は、現代社会においても、なお、有効なものであり続けているのです」

「現実を見つめ、理想を追求する…。それが、アリストテレスが私たちに遺した、メッセージなのかもしれませんね」僕は、朝日を浴びながら、そう呟いた。

 僕たちの議論は、まだ始まったばかりだ。アリストテレスの思想という森は、あまりにも深く、広大だ。しかし、その森を、一歩一歩、進んでいく先に、必ずや、真理の光が、僕たちを照らしてくれるはずだ。僕は、そう信じている。


参考文献: 岩崎武雄『西洋哲学史(再訂版)』有斐閣、1975年)

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