人と話さないでいた時間
緊急事態宣言解除に伴い、私のお店も営業を再開したのだけど、「しばらく誰とも喋っていなかった」という勢いで話すお客さんは多く、緊急事態に遭遇して分泌されたアドレナリンを実写で見ているようだった。
元気そうでよかったと思う反面、こんなに喋る人だったかな、と苦笑いがでるほど。
ようやく落ち着いてきたような6月末だけど、今度は会話がかみ合わない人も出てきた。相性が合わないとかそういう事ではなくて、今までは普通に会話になっていたのに、こちらの声が耳に入っていない様な、どんどん1人で進んで行ってしまうような、不思議な感覚だった。
「ちょっと待って、確認ですけど」と引き留めないと、あっという間に遠くに行ってしまう。
ステイホームと言われて、籠っていた人に多いのかもしれない。
自分の頭の中だけで話をしていると、『相手あっての会話』を忘れてしまう気がする。主語が飛んでしまうとか相手の状況を想像し忘れてしまうとか。
相手が年配者であれば、認知症も疑ってしまう。
先日私は商店街の植栽帯の手入れをしていて、弱ってしまったサツキや伸びてしまった枝を切っていたのだけど、できる限り手を出さないようにしていた区画があった。
そこは80代の女性が毎年剪定していてくれたからだ。
その女性は近所でも有名な偏屈で、勝手に触ろうものなら烈火のごとくキレられる。市の植栽帯なので、彼女の土地ではないのだけど、管理はしてくれているのだから、関わらなければいいと誰も文句は言わなかった。
それでも今年は姿を見かけない。
コロナもあるし、もう80代だ。
残念だけれど、もう花壇の手入れは難しいのかもしれないと、私は勝手に手を出した。
2mを越えたビワの木がいたから。
これ以上大きくなっては土木事務所を呼んで剪定してもらわなければいけなくなる。土木事務所も他の地域の剪定もあるので、呼んで直ぐに来てもらえるものでもない。
それに「車で来た人がビワを食べて窓から種を捨てて行ったんだ。まったく迷惑だ」と彼女は去年ブスブス言っていたではなかったか?
台風の勢いも強くなって来てるし、半分の丈にしておくか、とノコギリを出してなんとか切り倒した。
重たい幹を脇にどけて、裏に咲いていたアジサイが見えるように、周りのサツキの葉を落とした。
ふと横を見ると、呆然とした彼女が立っていた。
「あんた、だれ?なんでビワの木、切っちゃったの?目に青葉って言うじゃない、信じられないよ切っちゃうなんて、あたしは絶対に許さない!」
ワナワナと震えている。
私は、しまった、と思いながらも腹をくくった。
「最近見かけないから、具合が悪いのかと思って、勝手にごめんね。
でも半分にしただけだからまたすぐ伸びるよ」
と言うと、そうなの、具合が悪かったの、と塩らしくなり、でも切られたビワの木を見て
「それでも一言聞けばいいじゃない!あたしは絶対に許さないよ!」
と叫ぶと家に走り戻ってしまった。
ブチ切れられたことよりも、「あんた、だれ?」と言われたことにちょっと傷ついた気がする。
偏屈とは知りながらも、それなりに挨拶も、花壇で出会うことも、毎年あったのに。
認知症、と頭をよぎる。
彼女は生涯独身だった。
誰かに伝えた方が良いのか、でもその誰かとは誰なのか。
怒らせてしまったことよりもそっちが気になって、考え込んでしまった。
しかし翌日。
嬉々として彼女はアジサイを伐採していた。
私に対する仕返しのようだ。
げ、元気じゃないか。
私が勝手に自分の頭の中で「彼女はもう植木の手入れは厳しいだろう」「去年嫌がっていたビワの木だから、切ってもいいだろう」と話しをしていて、相手に確認を怠った。
2ヶ月の自粛生活で、妄想解釈が身についてしまったのかもしれない。
相手が今何を思っているかなんて、聞かなくてはわからない。
それが会話だったと思いだした。
たとえ去年は邪魔だと思っていたビワの木も、今年は楽しみに待っていたのだ。
ひとこと聞けば良かった。
彼女の人と話さない時間は、物凄く長いと思う。
私も2ヶ月の間、疑似体験をしたのだと思う。
会話をしないと、偏屈になってしまうのかもしれない。
本人の意思とは無関係に。
彼女は私の状況を想像する事はないだろうけど、私も彼女の気持ちを想像しなかった。
また花壇で会ったら、話しかけようと思う。
嫌がられたとしても、彼女と会話をしようと思う。