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女性の生きづらさ はどこから考えたらいいのか?
はじめに
本日は、noteで公開されている記事の中で、個人的に印象深かった記事を引用しつつ、だーじりんがここからどうやって理解を深めていこうか…という論点整理を行います。
noteの公式機能「マガジン」は、他の方が書かれた記事を取り込めるため、素敵な記事を勝手ながらマガジンに追加させていただきました。
引用元のクリエーターの皆様に、この場で感謝を申し上げます。
根っこにあるのは2つの問題?
後ろで色々と記事を紹介させていただきたいのだが、だーじりんの直感は、女性の生きづらさの原因は大きく2つだ! と告げている。
1.社会構造の男女格差
社会の中での性的分業と関わる部分。
その中でも、承認欲求を満たす場の充足度に関して男女で差がある。
というのがだーじりんにとって、発見!というポイントだった。
承認欲求といっても、色々あるが、ここでは「努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認される」という承認欲求の話。
この整理では、経済的、政治的なポジションの男女比の格差はその結果として現れている、という位置づけになる。
女性が不快に思う男性の言動とか、男女関係の悩みも、根本的にはこの男女格差で説明できるんじゃないかなぁ…(弱気)という風に考えている。
2.(女性に限らないかもしれないが)社会から発信される矛盾したメッセージによって、社会に対する信頼が失われている
男女関係なく、矛盾されたことを言われるストレスってものは大きい。
男女関係なく、上司から「なんでも相談しろ」といわれていたのに、いざ相談したら「それぐらい自分で調べろ」といわれたら、イラっとするはず。
少子化や夫婦別姓の問題が、ここに絡んでくる印象だ。
こういった問題については今後学んでいこうと思うが、だーじりんが気になったのはその深刻さだ。
拝見した記事の中には、「人間扱いされていない!」という強烈な心の叫びがあった。
「私は人間であるが、女性だから人間扱いされていない」と感じる女性が多いとしたらこれはとても深刻なストレスだと思う。そしてこのストレスが”女性の生きづらさ”と呼ばれるものの一つでは、と思うのだ。
個人的には1より2の方が、論じにくい。
1は、教育とか就業とかある程度実利のある話で結果がでる。
でも2は、”ストレス”、つまり感じ方の問題もあって、社会や企業・コミュニティのリーダーの発信一つで改善したり悪化したりということが、ありうると考えている。要は矛盾してなければ、待遇が変わらなくてもいいのだ。
世の中、存在する資源量はやっぱり限られているのだし。
仕事で部下に指示をするときには優先順位を明確に伝える、優れた企業ーー例えばディズニーランドはSafety(安全)、Courtesy(礼儀正しさ)、Show(ショー)、Efficiency(効率)の順で行動基準をすべてのキャストに徹底するというように、伝える内容で聞き手の混乱を防げることもある。
逆を言ってしまうと、伝える側ーー社会だったり企業だったりコミュニティのリーダーが良くない! ってことにもなりかねない。それは批判とか過剰な他責にもつながるから難しい。
さて、冒頭にだーじりんが言いたいことはすべて言い切ったので、ここからは、様々な気付きをいただいた記事を紹介しつつ、なんでこの2つに行きついたのか? について語っていきたい。
1つめ。勝ってない、のにもらえる賞品=王子様
承認欲求といっても、色々あるが、ここでは「努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認される」という承認欲求の話をしたい。
たとえば、厳しい練習を積んで、テニスの大会で一番になりたい!という夢は、男性でも女性でも、持ちうる夢だと思う。テニスではなくほかのスポーツでもいいし、吹奏楽のようなものでもいい。
さて、次の引用を見てほしい。これ、何の話をしてると思いますか?
欲望されているのは「愛」よりも「バトル」
アマゾンの奥地の戦闘民族かドラゴンボールの悟空みたいな力強さでとにかく「他の客に勝ちたい、倒したい」という意志を仕事に注いでいる。
答えは、ホストクラブに通う女性。
引用元はこちら。
目から鱗がボロボロ落ちる、ホストクラブの解説記事です。
だーじりんにとって衝撃だったのはこの部分。
高額を使う姫はしばしば「強い」「かなわない」とまるで攻撃力(パラメーター)のように表現される。まれに高額を使い続けるエースは他の姫から「かっこいい」「ああなりたい」と評されることすらある。「かわいい」「綺麗」といった女性的な(もっと言うと女性をモノ的にとらえる表層的な)表現ではなく、それは戦士としての、努力や結果に対する敬意である。
強い、かっこいいという男性的な表現もさることながら、だーじりんが惹かれたのは”他の姫から評される”という部分。
今、勝っているという実感をこれほど実感できる瞬間もないと思う。
大事なのは同じフィールドで戦っているライバルの存在だ。担当のホストよりも大事に見える。
同じフィールドでライバルと競い合い、勝利とトロフィーを手に入れる。
この対極にありそうなのが、抜け駆けだ。
性別を使った抜け駆けはターゲットとなる異性には喜ばれるが、同性からは不平等で妬まれやすく、嫌われる。
(noinoi|女を使って働いてみた より引用)
この場合、想定されているのは、勝利が「特定の異性を手に入れる」以外が、真の目的であるときであろう。まあ、ある異性に近づいた目的が本人なのか、それ以外なのか、は本人自身にしかわからないこともあると思うが。
ただ、結婚を「金と顔の交換」という話もあるぐらいなので、お金を真の目的として異性受けを狙うというのは、奇矯な話でもないのでしょう。
”お金を自分で稼ぐ”というバトルフィールドのライバルから見れば、それは抜け駆けになる。ライバルから自分自身が「強い」「かっこいい」と評される喜びが得られるどころか、嫉妬も交えて後ろ指を指されることさえある。
「努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認される」
この勝利のプロセスをすっ飛ばして、もらった賞品が王子様とその後ろにあるお金というわけだ。ぐり返しになるが、目的を達成するまでに承認欲求を満たすプロセスがないので、充足感は得られない。
真の目的が、お金持ちという社会的地位を持った異性の獲得・維持、であり、ライバルもすべてその認識で戦っていれば、「強い」「かっこいい」と評されるのかもしれないが、それ、もはや手段と目的が逆転してないか? と疑問も湧く。
こうして考えてみると、もし、努力→勝利&目的達成→承認というプロセス(努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認される)が男女関係なく、自分自身を肯定して生きていくのに必要な要素であるとしたら、それを得られない、もしくは手段と目的が逆転させる必要がある女性は、「生きづらさ」を感じると思う。
★1つめ。勝ってない、のにもらえる賞品=王子様 のまとめ★
・努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認されることは、男女ともに自分自身を肯定して生きていくのに必要ってことに気付いた
・努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認されることは、超単純に言うと、ライバルから「強い」「かっこいい」と言われること
・でも、世の中そうなってない。きっとこんな感じ
自分で何かを達成したい女性は承認欲求を満たせない罠に嵌まってるかもしれない。それって生きづらさかも。
<自分がお金持ちになりたい人(男女とも)>
努力(仕事頑張る)→勝利&目的達成(給料UP)→承認(後輩からできる先輩として扱われる)
<自分がお金持ちになりたい女性>
努力(可愛くなる)→勝利&目的達成(お金持ちと結婚して財産を任せてもらう)→やっかまれる
<お金持ちと結婚したい女性>
努力(可愛くなる)→勝利&目的達成(お金持ちと結婚)→承認(素敵な奥様といわれる)
1つめ。の結果としての男女格差
国際的な指標で比べると、日本は先進国の割には、経済的、政治的に重要なポジションにいる女性の数が少ないよね、といわれている。
世界経済フォーラム(World Economic Forum)が2019年12月に発表したジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)では153か国中121位とのこと。
このジェンダーギャップ指数は、経済・政治・教育・健康の4分野で測ってるのだけれど、企業で管理職を務める女性や、国会議員・閣僚の女性の数が少ないことが、スコアで足を引っ張る要因になっている。
ちなみに、識字率と初等教育は文句なしの満点で世界1位。
中等教育は世界128位。高等教育は108位(Global Gender Gap Report 2020)
なんだこれ。
いや、よく考えてみればおかしくない。
基本的にはほとんどの大学では、入学試験というものは男女平等で、努力が結果に結びつきやすく、勝利(=合格)したときにクラスメイトから祝福されるという承認も得られる、わかりやすい自己実現の機会であるはずだが、
努力=可愛くなるという女の子からすれば、そんなところで頑張る意味はないはずだ。
しかし、中等教育(日本では中学・高校の6年間に相当)と高等教育(4年以上)の10年分の教育Lv.の差は、その後の職業選択にどうしようもない格差を生む。同じ男性同士であっても、有名大学を優秀な成績で卒業した男性と、Fラン大学を卒業した男性のどっちが就活イージーモードかというと、有名大学の卒業生だろう。
10年分の格差がついていたら、大人になってから「やっぱり自分でバリバリ稼ぎたい!」って思ったところで、ひっくり返すのには相当の時間と努力を要する。
幸せになるための努力は可愛くなる、以外にもありうる。人それぞれ。
ということを、子供に教えられないのはちょっとまずいのかもしれない。
1つめ。の結果としての女性が不快に思う男性の言動
先に結論を言うと、男性側にもう少し自分を客観視してほしい、と女性は感じているのだ、ということがよくわかりました。
不快の理由を冷静に、わかりやすく比喩を交えて説明していただいているこの記事。凄いです。
自分が客観視できていない男性に対し、ばっさり……
僕が君の奉仕を受けてあげるよ!優しいでしょ!凄いでしょ!!とか思ってる?
タダで僕のお世話させてあげるよ!って?
え、おかあさんとその他の女の区別ついてないのかな?まだ物心ついてないの?
こちらもまた、大変な話だ。
こちらはサービス業の要素は全くなく、純粋に「対等なパートナーがいい」と言っていたはずの男性との会話についての記事である。
結局彼が言いたかったこと。それは、自分の良い部分もダメな部分も全てあるがままに受け入れて自分に意見をしないでほしい。こうしてほしいというお願いもしないでほしい。だけど、君に対して思う意見は言う。そういう俺を受け入れないなら、多分うまくいかない。とにかく君が折れて。
(中略)
痛いところを突くような女性を忌み嫌う。言い方を悪く言えば、弁の立つ賢すぎる女が嫌いなのだ。自分のプライドを保てないから。男はヒーローだから。女を守るから。好きな女より賢くて、精神的に強い姿を見せ続けたい。だからそうでいさせてくれ、夢を見せてくれ。現実はへなちょこでもその姿に目をつむってくれ。私は母親か。
実際どんな話し合いだったかはわからないが、女性からは男性はこう見えている。
母親に甘やかされたからではないか、と評されているが、ここに「努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認される」という承認欲求の話を付け加えさせてほしい。
1つめ。で書いた通り、女性は異性からの評価を努力で勝ち取ろうとするグループが一定いる。メジャーなグループかもしれない。
しかし、男性にしてみれば、異性からの評価=モテるというのは、自分の努力の結果のさらに後、承認のタイミングでついてくる賞品のおまけに過ぎない。
モテ至上主義ですべての努力を女性に費やしている場合もあるが、その場合はまめな男になるので、女性の苛立ちを買うことは少ないはずだ。
そして、女性から見ると、普通の男の言うモテるとは、努力もしないで男にとってモテとは、一瞬で当たり前に手に入る女性が都合よく目の前にいる、と思い込む非常に気持ち悪いこと、なのだ。
あまりにもピッタリなエピソードが投稿されていた。
抱きますわ
このことばが頭から離れない。気持ち悪くて吐きそうだった。たった今知り合って、ほんの90分間他愛のない話をしながら鍋をつついただけの、好みでもない男に。
異性との関係とは努力して構築するもの、と考える人から見れば、当然、人間扱いされていない。と思う。
男性にしてみれば、異性からの評価=モテるというのは、自分の努力の結果のさらに後、承認のタイミングでついてくる賞品のおまけに過ぎないから、自分のやっていることのマズさが理解できない。
たぶん、永久に平行線。
興味深かったのが、その後の話だ。
男性と食事に行ったら、2時間がっつり自慢話を聞かされたという話だ。
でもガッツリ人間扱いされた。と評するその食事を経て、最後にこんなコメントがあった。
今回、性欲の代わりに自慢話をぶつけられて、なんか納得した。
人って相手にぶつけられるもの、つまり目的がないとわざわざ会わないんだよね。
勝手ながらこれを読んだ時にふと思ったのは、この記事に出てきた男性は、まだ同性の承認「強い」「かっこいい」を得られておらず、誰でもいいから自慢話を聞いてほしい状態だったのだろうな、ということだった。
男性はとかく、男性の視線を気にするし、必要とする。
裏を返せば、うまく男性の視線を使えば、男女関係において女性が不快な思いをすることが減る。男性の視線があれば、男性は努力せざるを得ないためだ。
他の男性の視線がある状況、つまり共通の知人のいるコミュニティ内での恋愛を進める理由が、この記事ではすごく丁寧に解説されていた。
そして、その対極にあるのが、水商売という仕事だ。
水商売の女なんか『コミュニティ外の女だから雑に扱える』の典型で、客側は嬢にどれだけ嫌なことをしようと会社の人事にチクられることはないし、共通の知人に咎められることもない。だからマナーの悪い客が生まれる。会社の飲み会ではしない失礼な振る舞いをバンバン繰り出す。
1つめ。の結果の結果としての水商売は業が深い
女性の生きづらさの原因は、社会構造の男女格差にあるというところから話を始めた。
努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認されることは、男女ともに自分自身を肯定して生きていくのに必要だが、男性にとっては当たり前で、女性にとっては当たり前ではない、というのが男女の格差だ。
この自己肯定の男女の格差は、中等教育のタイミングから広がりはじめ、社会人として働き始めるときには、大きな就労機会・収入機会の格差を生む。
このタイミングで自分で稼ごう、となったら、可愛さが活きる仕事は限られる。収入・スキル等の条件が揃っていれば水商売を選ばない女性も、水商売を選ぶ結果になっているかもしれない。
さて、不本意ながら水商売を選んだ人もいるかもしれない中で、この仕事は大変そうだ。
女性は異性からの評価を努力で勝ち取ろうとするグループが一定いる。可愛いを売りにできる女性はこちらのグループ所属であろう。
しかし、男性にしてみれば、異性からの評価=モテるというのは、自分の努力の結果のさらに後、承認のタイミングでついてくる賞品のおまけに過ぎない。
このタイミングですでに、永久にわかりあえないぐらい価値観の対立がある。
しかも、客は水商売の女はどれだけ雑に扱ってもよいと思っている。会社の人事にマナー違反の話が行くことはない。
そして、雑、以前の問題として、赤ちゃんと同じぐらい自分を客観視できないばかりに、商売抜きで相手にしてくれる異性がいないようなマザコンがやってくる。
僕が君の奉仕を受けてあげるよ!優しいでしょ!凄いでしょ!!とか思ってる?
タダで僕のお世話させてあげるよ!って?
え、おかあさんとその他の女の区別ついてないのかな?まだ物心ついてないの?
思わず2回引用するぐらいインパクトのある男性像だ。
まあ、そんなわけで、そんな相手をするホステスの方も割り切ったものである。仕事として、この割り切りはむしろ凄い。
やってみて分かったが、女は記号である。男性は女という記号に下半身が反応すればひとまずオッケーなのである。女の記号とは、長い巻き髪、化粧、露出、細身。顔面の生まれつきによってはスッピンショートカットでも広末涼子になれるが、一般以下の外見の女性が売り物の女をやるには記号をなぞるしかない。つまり、女のコスプレをするのだ。
自分を記号と言い切るというのは、なかなか出来ることではないと思う。
そして、客の金払いにもシビアだ。
ホステスと客をつなぐ唯一のツールなのだから、当然だ。
ワンチャンやれたらイイ。セクハラ出来たらイイ。相手の人間性など気にしない。女なら誰でもいいから好き勝手にしたい。
そういう思いが滲み出た行動をしている男性は何人も見かけてきた。タチが悪いのが、そういう男性はほど「金を使わずにやりたい」所だ。女性をハムスター程度の知能だと思っている為、ミニウサギ程度の稚拙な要求しか出来ずに玉砕している。
しかし、一方で男の方は本気で「このホステスは自分に気がある」と思っている。ホステスも客の金払いが良い限りは積極的に、その勘違いを修正しないだろう。
なんというか、かける言葉が見つからない。
2つめ。「産めよ増やせよ働けよ」でも、保育園は足りません?
(女性に限らないかもしれないが)社会から発信される矛盾したメッセージによって、社会に対する信頼が失われていると感じる。
保育園の不足の話は、2016年に話題となり、男女共同参画の方針に追いつかない環境の話としてよく出ると思う。
最近やってるのって
「産めよ、増やせよ、無知な女どもめ(ただし国は何もしませんしむしろ迫害します)」
ってプレッシャーかけてくるだけですよね。
といわれてしまうのは、残念過ぎる。
2016年以降、国も待機児童解消加速化プランを策定して、申込者数を上回る保育の受け皿整備をしてきた。この辺りはまだ調べられていないが、国も色々やっている。
しかし2016年に100万人だった、出生数は2019年に86.4 万人ショックを引き起こした。
子供を産む当事者である若い女性の、(実態は未調査なので何とも言えないが)少子化対策に対するイメージが「国から迫害される」のままだとしたら、ものすごく残念なことだと思う。
この辺りは今、実態がどうなっていて、誰が何を考えているのか、だーじりんは全然わかっていないことだけがわかった。なので、ひとつひとつ見ていく必要がある。
さて、色々記事を拝見していくうちに、女性が感じる矛盾したメッセージとストレスを理解するにあたって、結婚と出産は別物、ではあるものの、夫婦別姓の問題を先に見るのがいいのではと思った。
法的には結婚時に男性が姓を変えてもいいのだが、習慣上女性が変えることが多い。
くしくも2016年、保育園の問題で盛り上がった年に、結婚したくない理由は名字を変えたくないから、と明言されている記事が上がっていた。
なかなか選択的夫婦別姓が実現しない理由は、名字を変えるコストが正しく認識されていないからだと思います。
特にまだ男性社会の日本の議会において、名字を変える苦労をしたことがある人なんてほとんどいないのではないでしょうか。
ここに、姓を変えたくない女性が感じるストレスのヒントがあるような気がした。
今も、選択的夫婦別姓に反対する声がある。
それをサイボウズの社長である青野慶久さんがまとめてくださっている。
この中で印象深いのが、苗字を変えてもストレスより幸せが上回る人もいる、ということ。そしてその人は、男性社会の日本の議会において、名字を変える苦労をしたことがある人なんてほとんどいないといわれる方以上に、人の痛みに鈍いということだ。
私は結婚して苗字を変えましたが、改姓にかかる手続きのたび、「あぁ、結婚したんだ」と幸せを感じました。なぜそう思わないのか、日本人として本当に不思議。夫婦別姓は一部の旧姓好きのわがままです。
そう気づかせてくれたのが、こちらの記事だった。
戸籍姓と旧姓の使い分けでうまく生活が出来ていた。
でも、留学を経て、海外に出た瞬間からスムーズな旧姓利用はまるで出来なくなる。という体験がここでは綴られている。
旧姓好きのわがままです、という方々は、国際社会において海外の方に英語で、頻繁に、夫婦同姓文化は日本の文化であると説明する立場にあるのだろうか。あるいは、アーティスト名・芸名のように、そもそも本名でない形でグローバルに通じる名前をすでにお持ちなのだろうか。
そうでなければ、選択的夫婦別姓において、彼らは当事者ではない。
ここでようやく、ピンときた。
当事者が痛みを訴えているのに、その痛みがわがままだということを社会が許容している。それは迫害だ。
女性とひとくくりにするのではなく、もう少し小さなグループで、ある制度を「迫害だ」と感じるような状況が起こっている。当事者に寄り添えない制度から、気持ちが離れていくことを止めることはできない。
日本国内にいればいい、という意見もあるけれど、女性活用において日本政府を動かす原動力と、ジェンダー・ギャップ指数(Gender Gap Index:GGI)のような海外からの目は完全に切り離せない気もしたし、日本トップクラスの研究者を目指すのに留学なしで行けるのか? というのは疑問もある。
まだ、そんなに嫌なら日本をでていけば? の方が超優秀層にとっては現実的な気すらする。
このレベルになってしまうと、当事者の数が相当に減る。
だから、意見の抽出元をかなり慎重に選ばないと、理解すら及ばない。
幸い、優秀層には女医さんが多いらしいので、何処を探せばいいかはわかりやすくなった。このあたりの深堀もおいおいやっていこうと思う。
リケジョ⇒医師
この道を王道にせざるを得ない何かがそこにはあるのだ。
(86恭子|女医の友人との会話から女性の職業選択について考えた よりい引用)
おわりに
冒頭でだーじりんが考えた、女性の生きづらさの原因2つを挙げた。
1つめは、社会構造の男女格差。
「努力して達成したことが社会的な地位の向上という形で承認される」という承認欲求が、男女間で努力したいフィールドを変えてしまい、それが教育・就業格差や、男女間のコミュニケーションの齟齬に繋がると書いた。
2つめは、社会から発信される矛盾したメッセージによって、社会に対する信頼が失われているという話。
何となく、自分が迫害されている!という空気を感じるが、それは問題の当事者にうまく寄り添えない制度があるからでは? と考えた。
様々な気付きをいただいた記事を紹介しつつ、ざっくりまとめてみたがどうだろう…。
だーじりんは全然わかっていないことだけがわかった項目もあるため、今後はゆっくり、深堀を進めていきたいと考えている。
ただいま約9500文字。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。お疲れ様でした。