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日本での"出る杭は打たれる精神"の考察

引き続き、昨日のお昼に書いた記事の続き
どんどん数珠繋ぎ的に情報が入ってくるのでシェアします。

社会承認欲求の集団意識

私は血は純日本ですが、どうも日本の集団意識や社会構造がしっくりこないと小学生の頃には思っていて、日本で暮らすなら、それらを見据えた上で生きやすいように生きるしかないと思っています。
小学校入学と同時にEnglish classに行ってたからなのか?わかりません。

  • 目立つことを恐れる、または目立つ人を見過ごせない
    間違うことを極度に恐れる
    人からどう見られるかを軸に行動する(他人軸)
    何かのグループに属することで安心する
    属していない=村八分的な存在と自他共に見なす

こんな傾向があるとおもっています。
数年前にやたら聞いた同調圧力なんかはその総括じゃないですか。
これをやっていると語学なんかは習得しづらいわけです。

日本に帰国後更にどうしてこういった意識に囚われるのか?疑問でしたが、
昨日のラジオで「日本では前頭葉を養う教育が乏しい」という事実を知って理解しました。日本の集団意識が社会的欲求階層なんだなと!

マズローの欲求段階説

マズローの欲求段階説

アメリカの心理学者 アブラハム・マズローの、
「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定した上で、
人間の欲求を五段階層に理論化したものを欲求五段階層説や自己実現理論と呼ばれています。

前出の「安定=幸福」、将来安泰を求めるのは、下から二段目の安全の欲求で、自己実現欲求にはあと2段階満たされないと到達しない。
安全の欲求が満たされると、次に社会的欲求/愛の欲求が現れる。
どこかに所属、何かの繋がり、社会に認められること、社会に求められること、他者との繋がりを求める。
そして現代病とも言える適応障害、発達障害、鬱などは多くが心理的恐れ、不安が作用していることから、この社会承認欲求に対する欠乏感が最もたる原因という。

と言うことは、社会的欲求の欠乏感が安定・いつも通りを管轄する側頭葉の過度な活性化を生み、そして目に見える形で身体(=肉体=物質)、または行動や言動にその欲求が垣間見えると言えそうだ。
エビデンス、証拠、根拠と声高に求めたり、自分の理解できない範疇(例えば超常現象的な事実や高次的な体験)を批判する事象は、社会的欲求が満たされていない故の言動と言えそうだし、この事象は往々に感情も伴って現れると思う。

前頭葉の鍛錬は、シニア世代のボケ防止に留まらず、自己実現までの成長にも必要な理解とアクションだと思いました。
また、日本の集団意識が昔から社会的欲求段階であったかは疑問に思う。
むしろ平成の30年でこのような傾向に至ったのではないか?と、
また疑問が疑問を生む面白い数珠繋ぎになって来ました。
おそらくまた、ふとした時にその答えが現れるでしょう😇楽しみです。

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