歳を重ねるごとに増える役割を持て余す日々について
ー今日は、程よく忙しくてよかったです。
はるか昔のことだけれど、銀行員になりたての頃、毎日、業務日誌を書いていた。
業務日誌だけれど、結構プライベートなことや、ニュースなどの感想を書く日もあって、我ながら、無邪気過ぎたと反省するけれど、課長との交換日記のような部分もあって、結構楽しかった。
仕事には、厳しい課長だったけれど、毎日一行はコメントを書いてくれて、そのほとんどは温かいものだった。
時々、無邪気過ぎて、怒らせることもあって、赤鉛筆が折れた跡が残っている時もあったけれど……。
まあ、それも、新人の私の仕事に対する甘さを戒めてくれるものだったので、当時は怖い思いが強かったけれど、今思えばありがたい喝だったと思う。
で、またある日、無邪気に、冒頭の
ー今日は、程よく忙しくてよかったです。
を書いたのだった。
確か、課長は、ノーコメントで、その時は、副支店長が
“面白い表現だね”
って書いてくれたのだった。
面白いかな?
面白さはよくわからなったし、課長がノーコメントで「もっと働け!」とメッセージを送ってきた気もした。
だけど、
程よい忙しさ。
今も、それを心地良く思う。
暇すぎても、忙し過ぎても、なんだか落ち着かない。
バランスのとれた、程よい忙しさが、本当にいいなと思う。
歳を重ね、結婚し、母親になり、仕事もし、親も高齢になると、知らないうちに、いろんな顔、役割を担っていることに気づく。
そのどの立場でも、平時に想定する「理想の振る舞い」を、いざ、しようとすると、実に、難しい。
いつも暇という訳ではなく、結構、スケジュールがいっぱいだったりするから、そこの入ってくる想定外の役割を求められると、その他の部分にしわ寄せがきて、途端にバランスを崩す。
必ずしも、自分が大切なことや人を、本当に大切にできる訳もなく、むしろ、他人に気を使って、身近な人に勘弁してもらうことも多い。
そして、自己嫌悪に陥る。
わがままと、自分を大切にすることとの区別が、未だによくわからない。
明日も、そんなこんなで、たくさんの役目のうち、そのいくつかを果たせないことになりそうなのだ。
体がもっといくつもあったらいいのにと本当に思う。
あの業務日誌を書いていた、無邪気な若い頃が羨ましく思うけれど、あの時はあの時で、いろんな悩みがあったっけ。
その時、その時に、どうにかこうにか選択して、進んでいくしかないんだな。
とりあえず、目の前のことを精一杯こなし、果たせない役割に対しては、誠意を持って、できうる限りの埋め合わせをしようと思う。