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「人間万事塞翁が馬」〜7月2日のことわざ日記

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7月2日の一言は、

「人間万事塞翁が馬」

にんげんばんじさいおうがうま


という言葉です。

【意味】
人生における幸不幸は予測しがたいということ。
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではないというたとえ。

【詳しい解説・由来】
昔、中国北方の塞(とりで)近くに住む占いの巧みな老人(塞翁)の馬が、胡の地方に逃げ、人々が気の毒がると、老人は「そのうちに福が来る」と言った。
やがて、その馬は胡の駿馬を連れて戻ってきた。
人々が祝うと、今度は「これは不幸の元になるだろう」と言った。
すると胡の馬に乗った老人の息子は、落馬して足の骨を折ってしまった。
人々がそれを見舞うと、老人は「これが幸福の基になるだろう」と言った。
一年後、胡軍が攻め込んできて戦争となり若者たちはほとんどが戦死した。
しかし足を折った老人の息子は、兵役を免れたため、戦死しなくて済んだという故事に基づく。

単に「塞翁が馬」ともいう。
人間は「じんかん」とも読み、「人類」ではなく「世間」を意味する。

【出典】
『准南子』人間訓

【注意】
「が」は所有を表す格助詞だが、「塞翁の馬」とはいわない。
人間を「にんげん」と読むのは間違いで、正しい読みは「じんかん」であるとの指摘も多いが、どちらの読み方をしても「世間」の意味があり、「にんげん」が誤読ということはない。
ここでは、一般に多い読み方である「にんげん」を採用している。


【類義】
禍福は糾える縄の如し
幸福と不幸は表裏一体で、かわるがわる来るものだということのたとえ。
*禍福(かふく・不幸と幸福)

沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
人生には浮き沈みがあるということのたとえ。

参考 故事ことわざ辞典より


類義のことわざ、禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)は聞いたことがありませんでした。

糾弾の「糾」が"あざなう"と読むとは、すっかり忘れていて、久しぶりに漢字の勉強です✨

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禍福も普段使わない言葉なので、さりげなく、このことわざを使えたらカッコいいんじゃない?なんて、想像しました(笑)

この日は先に二十八宿から記事にします。

二十八宿は「亢(こう)」でした。

そして7月2日は大雨警報発令により休校でした。

この日の夜、夫は不在でした。

2週間前から、中学生来の友人と会う約束をしていたので、大雨の中、出かけて行きました。

夜の世話はワンオペ。
そういう日に限って、下2人のケンカが激しくて。

「私は悪くない!」
「〇〇のせいだ!」
「絶対許さない」
「もう一生一緒に遊ばない」

と言い合って、全然寝ない。

「ママは今から家出したい気分だよ」
絶対とか一生の意味の重さも知らないで簡単に言わないで」
「どちらも悪い」
「何も喋らず、もう黙って寝て!あと10分で寝ないなら、ママは家出する。ばあばがいるから何か起きても大丈夫だよ」

と言って子どもを寝室に放置しました。

長女はエアコンがよく効いた義母の部屋にいて、我関せず。
やっと下2人が寝たと思ったら、長女が居間に映画を見に来て、おまえも寝てくれ!と思いましたが、思っただけ。
私、そこまで口は悪くありません。
ちゃんと名前を付けたので、子どものこと、どんなときも"おまえ"とは呼ばないようにしています。


夜11時頃、帰宅した夫に、寝かしつけが大変だったと話したら、軽く「まあ、そんな日もあるよね。お疲れさま」と言われました。

ここ数日、姉弟のケンカが激しくてウンザリしていた私は「夫にもこの苦労を味合わせてやりたい」と思いましたよ💢
軽く「そんな日もある」とか人ごとのように言わないで💢

子どもたち、夫の前では激しいケンカをしないから、苦労を知らないんだわ。
「それは大変だったね💦」と言って欲しい気分でした。


でもね、昼間はケンカしつつも、平和な時間もあったんです。

クッキーを作ったり、切り絵を楽しんだり。

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私がそばにいないと、子どもだけで仲が良い時間は30分が限度です。(ネットを見ている時は例外で仲が良い)

もう、日記を先に書いてしまいたいくらい、イライラした日でした。

ことわざの内容に戻ります。

人生は、幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからない。

この日の姉弟ケンカも、将来的には幸せな思い出になる?


全ての不幸が幸せに転じてくれるなら、不幸も悪くないですね。

逆に幸福が不幸に転じるのは誰だって嫌です。バブル崩壊みたい。(バブルは身をもって経験はしてないけど、イメージで)


安易に喜んだり悲しんだりするべきではない。

これは難しいこと言いますね。

安易じゃない喜びって何でしょう?
頑張ってきた結果で喜ぶのは良くても、宝くじが当たって、単純に喜ぶのはダメみたいなこと?

宝くじは人生が変わると言いますし。
喜ぶよりも、何にお金を使うか、誰にそれをうち明けるか、悩むのかもしれないですね。


安易な悲しみは、想像がつかないです。

弁当の箸を忘れるとか、足の小指をタンスの角にぶつけるとか、安易だろうと、悲しいですよね。

それが幸福に転じるのは難しそう。

塞翁の息子の場合は、怪我の功名みたいな話ですね。

だいたいのことは、時が経てば思い出になります。

思い出になれば、辛い記憶も「それも経験」と言えますが、思い出す暇もなく、悩んで、もがいている時は辛いし苦しいです。

そんな時には、「塞翁が馬」。
この苦しみも幸せに転じるかもしれないと思って前を向いていたいと思います。

タイトル画像は束の間の平穏な時間、クッキーの写真にしました。


この記事が、会話を盛り上げるきっかけになったら嬉しく思います😊

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みかんママ
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