4月11日のことわざ日記
4月11日の一言は、
「心内に動けば詞外に現る」
こころうちにうごけばことばそとにあらわる
という言葉です。
【意味】
心中に思うことは、覚えずことばに現われ出るものだということ。
【由来】
「詩経大序」
(中国のもっとも古い、まとめられた文学論)
情動二於中一而形二於言一
こころ内(うち)に動(うご)けば詞(ことば)外(そと)にあらわる
精選版 日本国語大辞典の解説より
詩経大序
序の訳(講談社学術文庫:詩経:目加田誠訳)
詩は人心の発露したものである,人の心に在るのが志で、これが言葉に發露して詩となる。
心中に感情が動けば、自然と言葉にあらわれる。言葉にあらわしただけでは足りず,それ故に、之を嗟嘆し(なげき)、嗟嘆しても足らずに,さらに永く声を引いて歌う。
永く声を引いて歌っても足らず、知らず知らず、歌に合わせて手が舞い、足がリズムを蹈むに至る。
情が聲(せい)を生み出し,その聲は或いは高く、或いは低くと変化(文化)を成してこれを音という。
*聲(せい)は声、響き、音の意味。
良く治まっている治世の音は、安らかで樂しい。其の政(まつりごと)が和である故である。
亂世(らんせ)の音には、怨みと怒りの色がある。
其の政(まつりごと)が道から乖離している為である。
亡國の音は哀しく物思いが多いのは,其の民が困しんだ故である。
故に政治の得失を正し、天地や鬼神までも感動させることにかけて、詩に勝るものはない。
先の時代の王は是(詩經)によって夫婦を正し,孝敬を勧め,人の倫理を厚くし,教化を美とし,風俗を善に向かわせた。
こういうわけで詩に六義がある。
一に風,二に賦,三に比,四に興,五に雅,六に頌。
「風」=諸国の民謡
「雅」=天子が公事・宴席などで演奏させた楽歌
「頌」=朝廷の祭祀の時の廟歌
「賦」=心情を素直に表現するもの
「比」「興」=比喩を用いた表現方法
六義
ええっと💦
このことわざ、調べたら、なんだかすごく長い説明が出てきて、ことわざ日記をサボりたくなってます🙇♀️
それでもまとめると、
詩は人の心を言葉にしたもの。
それだけでは足りず、詩にリズムを付け歌い、踊り、音となり心を表現してきた。
その音は、その時代の歴史であり、その音はその時代の特徴をよく表している。
後々の世に、歴史や教訓を伝えることの始まりは詩からである。
人のまつりごとを正し、天地や鬼神までも感動させることにかけて、詩に勝るものはない。
という感じかな?
*
大昔から、人は自分の心を外に出さずにはいられない生き物で、「なんか私、いいセリフ思いついた!」と思ったら、詩にして残してきたんですね。
なんというんでしょうか・・・
文学者の手にかかると、当たり前のことが、もっともらしく、今発見されました✨みたいな仰々しい文面になることがありますよね😅
「心内に動けば詞外に現る」
ということわざも、心に思ってもないことが言葉になるのは、嘘つきか詐欺師で、だいたいの人は心に思うことが言葉になるのが当たり前で、そりゃそうでしょ!って思ってしまいました😅
いけませんね💦
昔の人の教えをありがたく学ばせていただこう。
*
4月11日の二十八宿は「房(ぼう)」でした。
我が家のお墓は山の地形を活かしたつくりになっています。
こちらが掃除前。義母が写っています。
掃除後。悲しいかな、外側から写真を撮ると、あまり綺麗になった感じが分からない😭
お隣のお墓は最近お墓参りに来ていない様子。
うちも一年お墓参りに来なければ、同じ状況になります💦
お墓の草むしりをできるとこまでで終えて、お弁当にしました。
手羽先は夫が食べたくて追加購入しました。
うっかり少し食べてしまい、食べ散らかしを手羽先で隠しています。
かけがわ西の市という産地直売所でお弁当や野菜を買うのが、いつものお墓参りの流れになっています。
わらびと筍が安くて、買いました🎵
次の日のアク抜き後。
義母はわらびの頭が嫌いなので、別にしておきます。
わらびは発癌性物質があると言われていますが、アク抜きをしっかりすれば大丈夫だそうです🙆♀️
お墓参りの帰り道、おでんと子育飴が名物の、昔からあるお店に寄りました。
息子がリアルにクレヨンしんちゃんでした。
隣の席の20歳前後のお姉さんに変顔を披露して、「可愛い💕」と言われてご満悦の息子。
何度もアピールするから「優しいお姉さんたちで良かったね。でも、お姉さんたちが落ちついて食べられないでしょう!」と言って、水飴に集中させました。
息子、変なポーズしかしない😅
あ、靴しっかり履いてない💦
その後の帰り道、前の車が前方不注意で衝突事故を起こしました。
追突された車が反対車線に弾き出されて、あわや対向車と正面衝突😨
我が家は車間距離を十分にとっていたので大丈夫でしたが、良かった。
正面衝突なんてした事故現場を子どもが見ずに済んで。
子どもが遊んでなくて可哀想なので、興津で公園に寄りました。
国道1号線の横にある、ながーーーーい公園です。
息子が車で寝てしまったので、私は車に残りました。息子が全然起きなくて、私も少し寝ました。
大人はクタクタですが、子どもは元気にキャッチボールをして、走り回っていました。
すごい体力だなぁ。
富士川橋から見た富士山がきれいでした。
そうそう、お墓の脇にある弁天様のところで、めずらしい光景が見れました!
とんぼの羽化です。
あと大量のおたまじゃくしもいたけど、そちらは写真は載せないでおきます。(さわやかな写真ではないので)
長い日曜日でした。
今は草取りで、しゃがんだり立ったり、ハサミの使いすぎて、絶賛筋肉痛です。
*
うまくまとまらない記事でしたが、
このnoteの中でも、詩を書いて、作曲して、音にして楽しんでいる方もいて、
後々の世に、歴史や教訓を伝えることの始まりは詩からである。
人を感動させることにかけて、詩に勝るものはない。
というのは、ことわざ日記を付けていて、しみじみ納得する言葉でした。