25年ポッキリの墓/日本は遺灰ではなく遺骨の訳は?

葬儀場に勤める僕の日常 というマンガをKindle Unlimitedで読んだ。
焼いてる途中にもお仕事されて出した時に綺麗にお骨が並んでいるよう大変なお仕事をされてるとのこと。

火葬を嫌がって土葬になった祖母のことを思い出した。火葬は死んだ人が熱い熱いって起き上がるからヤダ と。

まさにそういうことが起こっており大きな肉体を骨になるまで焼くのは大変なことなのだなと。職員さんの大変なお仕事があってこそなのと知る。
………

(ところ余談 ばあちゃんのお墓なんぞみんな土葬で土饅頭があってそりゃあ怖かった。倒れ卒塔婆や割れ提灯もそこらにあって怪談の世界そのもの。きちんと手入れされてないというか昔からの、墓がごちゃついていて木々も鬱蒼としていた様な記憶。
大人は あそこ通ると足引っ張られるのよね(中の棺桶が腐って土饅頭がどさっと落ちる。区画整理も碌にされてないので子供がそこらの墓を踏んだりしたのかも)当然人魂も出たらしい。
ここで転ぶと破傷風になるから気をつけな!とか言われるし生きた心地がしなかった。

あの墓場はあれから整理されたのだろうか。)

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ところで 日本ではなぜ遺骨にこだわるのだろうか。
欧米での火葬は 遺灰になるまで焼く。
骨が残ってるのかもしれないが壺に納めるのは灰のみ。
のど仏が意味を持つなど後付けでもある。
火葬というのはお金のかかる方法だったゆえかつて多くの庶民は土葬だったはずだから。

チューリッヒ市では亡くなったら市民は無料の墓地の区画を一つ割り当ててもらえる。
25年間後同時期に埋葬されたその区画は整地され中の灰は捨てられる。壺も同様。この時自然に帰るようにチューリッヒ市では木製の灰壺を推奨している。とても良いアイデアだと思う。
遺族から追加料金が払い込まれた壺は墓石(企画がある)別の区画に移され、残りは区画全体を整地し新しく順番に埋まってゆく。
大金持ちはファミリーの墓コーナーなどを持っててまた話は別。
あとカトリックで土葬は今まで話した区画とは別の区画に埋葬されている。ただし土地が貴重なスイス(州によるかと思うが)では棺桶を縦に埋葬するのだそうな。カトリックの友人は無くなったら横になりたいと言ってたが…

ところで話は火葬に戻るが
灰になるまで焼くなら 職員さんは焼き加減などに注意を払う必要などもなかろうかと思われる。
ご遺体を焼いている状態を見る必要があるのか?骨である必要があるのか?

人はついにはいつか塵芥となり地球に帰ってゆく。人の余計な思惑が入らず遺灰の方が好ましく思われる。


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