堆肥にして欲しいわけじゃない
アメリカのどこぞの州と州とで人間の遺体をかなりのスピードで堆肥にする方法が認可されたのだそうだ。アメリカは復活の日に備えて遺体にエンバーミングを施すことが多い。殺人事件がありました。墓を開けて再検査します、などとドラマにも良くある設定。なんというこっちゃ。そんなんでも復活の日にはイキイキピチピチな時代の姿で復活するのだろうか。そんな魔法があるのに肉体は保存されていなくちゃいけないの?
が、土葬で長い時間をかけて腐敗してゆくのも考えてみると嫌。腐敗ではなくさっさとコンポスト 堆肥化されるならその方がいい。人間の巨大なタンパク質と脂肪をすんなりとコンポスト化できるなら。
埋葬時に菌や植物の種を散りばめた服を着せて、森を作るというイタリアかどこかのコンセプトを読んだこともある。
その土で何か作物とか育てて欲しいとか再利用に回されたりしたいわけではない。ただ早く綺麗に土にかえれたら良いと思う。土の匂いのするもの。
ただ現代ではその堆肥化されたモノをどうするか、が問題になりそうだ。
これは人が持つロマンで遺族がロマンに呼応してくれた時にできること。キモチとカタチができて残されたものたちの傷ついたココロも座り心地の良い場所を見つけられるだろう。生きている間にそれを選べば、それも死にゆくものの慰めになるだろう。
私は昔は海に散灰して欲しかった。が、今はそんな面倒くさいこともいらない。自分がするならまだしも死んでいるわけだし。
灰でいい。雨に洗われ消え・空中の塵芥として。骨も残さず。
散灰もいらない。ゴミとしてそのまま焼却炉から捨てられてかまわない。
本当は死と共に銀の銃弾で灰になる吸血鬼のように 消えてなくなれれば一番良い。
大型動物は大変。人間は大型動物って漆原教授も言ってた。ほんとにね。