旅でのゆるふわ哲学。「存在として愛されたいですか?」ニャンニャンの関係こそ.....の話。(山口旅フォト&音楽を添えて)
旅路で話していたことで面白かったことの記録です、ブログのようなエッセイのようなゆるふわ哲学レポートです🍋
『ニャンニャンの関係』どうぞご活用ください(ΦωΦ)
「存在として愛されたいですか?」と聞かれたら、みんなYESと答えてしまうのでは?!という話になりました、人類80億人共通の願いなのかもしれないねと。
存在でいるということは、どういう状態なのでしょうか、無理をしてない状態ともいえそうで、いまいち的を得ないなと。
僕らなりの考えは、存在でいることは他者ありきでなんだな〜とおもったエピソードがあります、それが猫です。
タカマツ家には保護猫がいます、彼は元野良猫で超マイペースで甘えん坊、驚くほど運動神経が鈍い、推定5歳のオスです。家の裏が交通量の多い道路で、田舎なのに放し飼いができない環境です。元野良だったからか外が好きな彼は、家の中でトイレをしたがりませんし、毎日決まった時間に外に出たがります、ものすごい主張力で。でも放し飼いにはできません、そこで生まれたワイフワークが、犬のようにリードをつけて散歩に行くことです。これを1回40分〜1時間、1日3回以上連れ出してるのです。
旅族の視点では、お世話がなんて大変なんだ....という感想を持つのですが、観察してると両親は大変そうでもなく、完全にライフワーク化してるのです、しかも楽しんでる。
そこから猫と両親を観察してると、両者の間にある関係性がとても尊いなとおもったのです。猫がただ存在として生きていると、両親に役割(仕事)が生まれます、散歩にいったり、ごはんや水を用意したり、トイレ掃除したり、撒き散らされた毛を掃除したり、猫のおもちゃで遊んであげたりと、まぁまぁ忙しい。両親がいることで、猫はサバイブの必要から開放され(それがいいか悪いかは置いておいて)、ただの存在として生きることができます、猫にとって両親は(きっと)欠かせない存在です。
そんな観察をしていて、心から尊いなーと閃光が走ったのが、「生きるだけで、人に喜びを与える、その相互関係」が成立していることです。
私たちは、これを「ニャンニャンの関係」と名付けました。
Win-Winの関係には相互の努力が含まれてますが、ニャンニャンの関係は努力はいりません。存在として生きてたら相手に喜びを与えちゃってた、そんな関係です。きっとパズルのピースのようにハマってしまうのです。
もうひとつ観察から感じたことがあります、最初からハマることもあるのかもしれませんが、猫と両親の関係を数年みてて、収まるとこにとこにたどり着いていくイメージでした。はじめは完全にフィットしてないのですが、2年くらいかけて阿吽になっていった感じです。
それで思いました、関係性は無理につくりにいかずとも、調和するどこかにたどり着く、そう思えてなりません。それが猫が家出をするという結末があったとしても、たどり着いた関係性なのだろうと。
「存在として愛されたいですか?」
この問いを投げかけられたら、まずは相手を存在として愛しましょう、と言われそうですが、僕らは猫に学んだ結果少し違う答えになりました。
まずは自分が存在として生きることからはじまる、そう思うようになりました、同時に相手が存在でいることもリスペクトをする。それを続けることで、自分を面白がってくれる人が現れたり、関係性に力みがなくなっていったりと、ピース同士がハマってしまう関係性がそこに現たりするのだろうなと。
自分の存在が誰かに喜びや役割を与えてるという目で世界を見てみたらきっとそう見えてくる、何者になろうとしなくても。
『ニャンニャンの関係』どうぞご活用ください😸
旅フォト:山口県の下関&豊浦
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僕らが訪れた場所でかかってた曲たちを集めたプレイリストです、予期せぬ音楽との出会いをお裾分けです!今回は山口旅編♪
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