甦るフランク・ロイド・ライト(11)ゲーリー
拝啓、フランク・O・ゲーリー様
フランク・O・ゲーリー(1929年 - )は、ロサンゼルスを拠点としている存命の建築家だ。
同じアメリカの建築家であり、名前も似ている。現在、ゲーリーは95歳だが、91歳で死亡した私より長寿だ。
建築家は長生きするに越したことはない。なぜならば、一つの建築が建つまでに、長き時間を費やすからだ。建築家は、作品ごとに新たなる空間をめくり続け、己の空間を人生を賭けて追及しなければならない。まずもって人生が足らない。私はあと100年足りなかった。
前回は、ザハの中に宿る私について説明した。
今回は、ゲーリーの中に宿るフランク・ロイド・ライトを読者諸君にご紹介しよう。ゲーリーの中に宿る私の思想は、建築をつくる素材観(素材の内在性)だ。素材の内在性について、私の著書・自然の家で下記のように記している。
自然の家の中で、私はまず、空間の内在性を認めた。より空間は自由に広がるべきである。
そして、上記引用中で、私は、空間と同様に素材の内在性を認めた。建築は、素材固有の性格に従うべきだと。より素材は自由に振る舞うべきだ。
トップダウンで、全体の目的に従うのではなく、空間や素材といったボトムの主張を認める、実に民主主義的な価値観だ。私はこの価値観をもって有機的建築を推し進めた。
ゲーリーは、私の素材観を参照し、実験しまくった。素材に自由を与え、その可能性の世界を拡張させてくれた。彼の興味の趣くままに、素材の内在性・造形性を極限まで高めた。その結果がもたらす形態が突拍子もないので、その造形に気を取られるが、彼のデザインの本質は素材観にある。
私のキャリアでナンバリングされている作品数は433件だが、州ごとの件数を数えると、イリノイ・ウィスコンシン・ミシガン・カルフォルニア州の順で多く、カルフォルニア州は4番目に作品が多い州となっている。私は、カルフォルニアのスカッとした気候も自由な風土も大好きであった。30作品を超える数が現存している。
ゲーリーの建築も、実にカルフォルニアに馴染む。彼はこよなく木を愛しているが、カルフォルニアの気候と木利用は相性が良いのだ。
彼は、カルフォルニアのロサンゼルスを拠点として、1959年、30歳のときにキャリアをスタートさせ、ゲーリー自邸(1978)までに25作品ほどカルフォルニアで住宅設計をする。
まずは、彼の処女作Steeves Residence(1958-1959)から見てみよう。
左が私で、右がゲーリーのスティーブス邸だ。このスティーブス邸は、フランク・ロイド・ライトの影響を受けた住宅だ。見れば見るほど私だ。
ドローイングの描き方、リニアな平面形、ハイサイド窓の作り方、木架構の扱いについて、私からの影響が見られる。現代の巨匠ゲーリーのキャリアは、私からスタートしたのだ。なかなか良いではないか。
ただ、若手建築家は時代のトレンドに敏感なので、このようなことは良くある。ゲーリーの初期は、急にコルビュジエになったり、ルイス・バラガンになったりする。せっかくなので、ゲーリー初期の迷走っぷりも話しておく。
左ドローイングはコルビュジエのロンシャン礼拝堂がモチーフだろうか。ゲーリーは年に一度はロンシャンを訪れるほど、敬愛している。右写真はバラガンぽい。現代の彼のスタイルとのコントラストに驚く。
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こういった数奇のスタイルの変遷を経て、ゲーリーはオリジナルのスタイルに行き着く。
ゲーリー自邸(1978)だ。この住宅のリノベーションをもって、ゲーリーはポストモダニズムの旗手となる。この木架構のトップライトは、ジョン・ロートナーの匂いがするのは、私だけじゃろうか。
ゲーリー自邸の素材観を観察してみよう。
木と外壁のトタンが目につく。木は、カルフォルニアの気候に最も相応しい素材だ。金属の外壁は、ロサンゼルスの工業地帯の風景が参照されている。一見唐突なアバンギャルドな造形に目が行くが、素材に関しては、彼がいつも日常を共にし親しみのある素材を優先して使っている。ゲーリー自邸は、彼の造形の方向性は確定させた。
そして、彼の素材観の方向性もこの住宅で決定的なものになったのだ。
彼は、人間と素材の親密な関係をデザインすることを、この住宅で宣言している。
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私の素材論のベースになるのは、このコンクリートブロック積みにある。テキスタイルブロック構法と呼んでいる。鉄筋が縦糸・横糸のようで織物みたいだからそう名付けた。当時安価だと蔑まれていたコンクリートブロックを、素材の内在性に従い、美しい造形に導くことを目的としている。ロサンゼルスのストラー邸でこの試みをスタートさせた。その試行錯誤の到達点が、下写真のデイビッド・ライト邸になる。
ディビッド・ライト邸は、私と彼の素材観が合致していると確信させる作品だ。私は、テキスタイルブロックを住宅に多用した。その積み方の研究も怠らなかった。デイビッド・ライト邸のスロープは複雑な形状をしていたため、積み方に苦心した。ただ、私は部分と全体の連続を重視し、スロープ本来の目的に従い、コンクリートブロックを斜めに積んだ。
このブロック目地が、ゲーリーのパネル割に参照されている気がしてならない。実際、ゲーリーに会って聞いて見たいところじゃ。
私のテキスタイルブロックの発想(安価な素材の固有な性格の発見)は、ゲーリーに受け継がれている。例えばゲーリーのダンボール製の家具だ。彼は家具の全体像など二の次だ。まずもって、ダンボールの安価さ・加工のしやすさが大好きだ。ゲーリーは、ダンボールと人間の一番親しみのある関係を家具でデザインしている。
彼は世界で一番ダンボールと親しく、仲が良い。
この素材と人間の親密な関係こそが、ゲーリーの素材観そのものである。家具だけではなく、彼の建築においても同様だ。
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さて、私とゲーリーの素材観の類似について説明したが、私とゲーリーの決定的な差異とは何か。
彼の脳裏には、常に魚が泳いでいる。彼にとって、建築は魚であり、空間は魚が泳ぐための水中ということになる。ザハのときにも話したが、この理屈でいくと、ゲーリーも私と同じ実体的空間を捉える感性をもつ建築家とみなすことができる。ゲーリーの空間は水だ。ただ、建築の造形が、私に似てこない。ザハの方が私に似ている。私とザハは、空間を一つの流れで捉え、建築も同様に一つの流れになることをイメージしていた。私は樹木と巻貝であり、ザハは大河だ。
ゲーリーの感性はそれを許さなかった。空間を流れで捉えているが、流れが一つではなく、乱れ、時には飛沫をあげる。その方が自然だとした。
また、ゲーリーは、水をスムースに泳ぐ魚には鱗があることを知っている。鱗は、流体の抵抗を減らし、魚が泳ぎやすくなることを彼はよく理解している。なので、ゲーリーは建築がより空間を泳ぎやすくなるために、建築に鱗を纏わせた。
その方が建築がより自由になるだろうと考え、そして実際自由になった。
この飛沫や鱗による建築の分節が、良いギミックになった。建築に適正なスケールを与える肌理と言えばいいのだろうか。この肌理の由来を深掘りすると、私の素材観(素材の内在性)の思想に基づいている。
ゲーリー固有のギミック(素材性)をもった一見不可思議なデザインは、世界中の人に愛され、彼は現代を代表する巨匠になったのだ。
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ゲーリー編を終えて、一通り各巨匠について私の一人語りは終わってしまった。さて、次回からはどうしようか。他人の事ばかり語っていて、自分の作品のことを語りたくなってきた。私の思い入れが強い作品を重点的に、ご説明させて頂こう。
乞うご期待じゃ!
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