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甦るフランク・ロイド・ライト(4)Scarpa

<あらすじ>
65年の時を経て、フランク・ロイド・ライトが、もし現代に甦ったら何を語るか、というエッセイ集です。一人称の私は、甦ったフランク・ロイド・ライトです。今回(第4話)は、カルロ・スカルパについて、ライトに話してもらいます。

拝啓、カルロ・スカルパ様

ヨーロッパには、アアルトともう一人、親しい友がいる。カルロ・スカルパ Carlo Scarpa (1906 - 1978)だ。イタリア人だ。彼は、私の正当な後継者の一人だ。皆ご存知であっただろうか。

私は、その昔、恋人と駆け落ちをした。1910年頃だ。ドイツを経由しながら、行き着いたのは、イタリアのフィレンツェであった。滞在期間中は、自由に設計活動をした。イタリアは、私の地元ウィスコンシン州と違って、丘陵地帯が多い。丘陵で気ままに創作活動をしたことによって、後に地形を生かしたタリアセンIIIや落水荘のようなデザインを生み出す着想になっていたのかもしれない。
これが、私にとってのイタリアとの出会いであり、今でも第二の故郷のように感じている。

タリアセンIII フランク・ロイド・ライト 1925年 

その40年後の1951年に、私は、自らの展覧会(Sixty Years of Living Architecture: The Work of Frank Lloyd Wright)のため、再びイタリアを訪れる。ヴェネチアの空港に降り立った際、ヴェネチア大学の教授たちに囲まれ案内することを懇願されたが、私は言ってやった。
「君たちのうちの誰がスカルパだ?」
市の案内にスカルパを指名したのだ。スカルパは、私の住宅への論稿が素晴らしかったこともあり、既知だった。彼は戦争のせいでキャリアのスタートが遅れ、資格をもっていなかったようだ。実は、私も無免許なのじゃがな。似たもの同士、気も合った。

ライトの右奥の口髭の男がスカルパ君

私が死んで1年後に、スカルパ主導で、私の展覧会をヴェネチアで開催してくれた。私への追悼の意味もあったのだろう。彼に本当に感謝している。彼は私をこよなく愛してくれていたようであった。

Exhibition by Frank Lloyd Wright with installation by Carlo Scarpa 1960

ここで、彼の作品を振り返ってみる。
彼と私の作品は似ている。親子・兄弟みたいなものだ。
ただ、違いがあるとすれば、物質の扱い方だ。私は、アメリカの片田舎で育ったせいか、木材に親しみがあり、使い方も長けている。スカルパは、イタリア都市育ちだったからか、石・金属・ガラスのデザインについて、天才的であった。
空間の流れに物質を沿わせるというデザインは私と同一だが、彼は物質の声が聴こえているのだろうか、と思うほど、詩的で、空間がより響きをもっているのである。感動じゃ。

左がライトのストラー邸 右がスカルパの IAUV

まずは、わかりやすい上図からいこう。左は、私が設計したストラー邸だ。壁面のデザインが、右のスカルパ設計のIAUVのゲートと似ているだろう。

私は、連続性・造形性という概念を提唱している。自然の家(1954)という本にも明確に記した。空間は連続し、流れをもつ。
空間と物質・サーフェイスは一対一の関係なので、物質も空間のように振る舞うべきだ。
なので、私のデザインするサーフェイスは、一つの流れを持ちながら、3次元的に色々な方向に連続する。これを私は、造形性と呼んでいる。自由学園明日館の自在に連続する天井のモールディングや、グッゲンハイムの曲面が三次元的に連続する様が、造形性の具体例になる。
造形性という概念を、ストラー邸の立面の線の濃淡で表現していたのである。

そして、その私の概念を、見事に汲み取り、より物性の深みをもたせて表現したのが、スカルパだ。
大学のゲートなのだが、単なる壁面とせず、流れと奥行きを与え、美しい門に仕上げておる。

左はライト事務所のロゴ看板 右はスカルパ設計オリベッティ社ショールームの壁面

彼との類似点をあげるときりがない。私が生涯1000プロジェクト以上、携わったこともあり、何かしろ私以降の建築は似てしまうこともあるが、彼が私をリスペクトしてくれていたのは明らかだ。
上図のスカルパのデザインは、私が平面形でよく用いた風車型プランにもみえて、小気味良い。

左は落水荘階段 右はスカルパ設計オリベッティ社ショールームの階段

階段のデザインも似ている。私の階段は、踏板が宙に浮く。水平ラインを強調できるし、視覚的にも透け感がある。水平に空間は流れていく。

スカルパも同様だ。しかも彼の場合は、石という物性にも思考が行き届いている。分厚い石の踏板が少しずつ浮かび上がり、左右にずれながら、軽快にステップしているかのようだ。この物性に従いながらも、より新しい物質の演出を開発できるスカルパが、ルイス・カーンとも親交が深かったと聞くと、よりその理由が納得できるはずじゃ。

左はライトのモスバーグ邸 右はスカルパのカノーヴァ美術館

上の図で、私とスカルパの差異についても語っておこう。どちらの開口部も、造形性を問題にしているが、志向が違う。
左は私が設計したモスバーグ邸の開口部だ。ガラスの割り方に注目してほしい。自由学園明日館などの割り方も同様なのだが、長方形ではなく、斜めに割り、奥行きのある立方体にみえるよう工夫している。こうすることで、二次元であるはずのサーフェイスが三次元かのように認知させる操作を試みていたのだ。これも私が提唱する造形性の一種になるのではないかと考えている。コーリン・ローのいう虚の透明性にも繋がる概念設定だ。

スカルパの開口部も、私の造形性の考え方に基づいている。
造形性とは、三次元的に連続するサーフェイスの性質だ。
ただ、彼のガラスに対する物性の捉え方が、私の想像を超えている。私はガラスについて、フレームの形状の操作をモスバーグ邸で試みていた。
要はガラスをフレームで捉えていたのである。ただ、スカルパは、サーフェイスで捉えている。ガラス自体を彫刻するという発想は、私にはなかったのである。
彼はガラスという物質を、他のソリッドな物質と同様に、3次元的に連続させて、造形している。ガラスも金属もお構いなしに、彼にとっては、気心の知れた同じ物質なのだ。
彼には、ガラスの表面に造形を促す流れが見えているのであろうか。
物質に対する感性とディテールは、彼の方が私の何枚も上手であった。
この感性と技術力に賛美を送りたい。

スカルパは、私の後継者だ。しかし、現代の建築にスカルパ的なるデザインは継続していないようにみえる。あるとしたら、ズントーなどがこの系譜だろうか。
たしかに、私やスカルパのデザインはお金がかかる。コスパが悪いのだ。ただ、お金がないというのは単なる言い訳で、ただ皆やる気がないだけだ。スカルパを孤高な建築の詩人と形容し、憧れているのは甚だ幼稚で、彼のデザインの本質を自分の中に取り込み、スカルパが私のデザインをより推し進めたように、現代の建築家たちも同様に、成長に努めなければならないのだ。

以上、スカルパに対する思い出話と、私との相対化は終わりとする。
最後の写真は、スカルパと私の関係を示している写真じゃ。さらばじゃ

左はライトのヴェネチアでの計画案(Frank Lloyd WRIGHT Lithograph "Masieri Memorial)
 左はそのドローイングを展示用に設営するスカルパ


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