仕事のこと『営業編① ダメダメ期』 (noteでおしゃべり)
新卒で入った大手エステサロンを、プレッシャーに負け、3ヶ月であっさり退職した私は、半年間アルバイトをした後、母の勤めている保険会社で職域担当の営業として再就職をした。
フラフラしていたので、母がいろいろ掛け合ってくれて決まった就職先。
何も分からず就職してしまった保険の営業。
入って3ヶ月目から現実を見ることになる。
私が所属したのは、職域専門の営業部。
平均年齢22歳。チームリーダー以外は、ほぼ新卒〜3年目くらいの若い女性たちの集団だった。
職域営業とは、担当企業を持ち、その企業に訪問して個人(従業員)への保険営業をしていく営業方法。
大手の企業、官公庁などを割り当てられ、お昼休憩に食堂などに赴き、営業するスタイルだった。
保険の営業をするには資格が必要のため、試験に合格する必要があったが、資格を持っているだけで、社会経験の少ない私たちを信用して契約してくれる人は少なかっただろう。
大事な保険を任せるには、私たちは青く若すぎた。
それでも、私たちにしかできない営業スタイルで、信用をもらい契約してもらう必要があった。
入社して1ヶ月は試験に合格するために、内勤をしながら勉強。
合格したらリーダーに営業同行してもらいながら、担当企業に訪問を始めた。
そして、3ヶ月目からは、一人で営業にまわることとなる。
当時まだ21歳だった私。
最初は、営業先で何もできなかった。
ただ、時間中ずっと食堂の空きスペースに立ち、1時間過ぎると営業所に帰った。当分、何もできなかったな。
そのうち、飴を配るようになった。
営業するときに飴を配ることで、会話の糸口を作るというやり方をしていた。
個包装の飴に、イラストと私の名前が書いてあるメモをホッチキス留めして渡した。
飴を配ると、そそくさと営業所に帰った。
飴を配れるようになって3ヶ月経ったくらいだろうか、営業もせず、ただひたすら飴を配る私を気にかけてくれた、担当企業の女性従業員の方が「保険の話を聞かせてください。」と声をかけてくれた。
そのかたが、保険契約第一号になってくださった。
これを見てお分かりのとおり、営業なんてまともにできていなかった。
特に最初の半年は、自分のプライドとの戦いだった。
休憩中に保険の営業に人から声かけらるのが嫌な人は多いだろう。
私は、その嫌な人をやらなければいけなかったのに、嫌がられるポジションにいる自分が恥ずかしくて、それに、ただひたすら耐えるだけしかできなかったのだ。
いつも仕事を辞めたかった。
営業なんて嫌な職業だと思った。
大して必死に営業もやっていないくせに、私は偉そうに営業を批判していた。
本当は営業するのが怖かっただけだ。できない自分を見たくなくて逃げていただけだった。
でも、そんな私でも、
ただ、食堂に突っ立っているだけの私にも、
気にかけ契約してくれる人が現れたのだ。
その機を境に、私は青臭いまま、私なりに必死で営業をしようと思うようになった。
続く
仕事のこと『営業編② イケイケ期』
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