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家族のこと『母』 (noteでおしゃべり)

・SAKAMO と ばたち で同じテーマについて話す『noteでおしゃべり』
・『弱い(全5回)』『好き(全5回)』『家族(全5回)』『仕事(全5回)』
・4つのテーマで全20回でお届けするシリーズとなっています。
・よろしければ、それぞれのnoteを覗きにきてくださいね。

世の中で一番尊敬している人は?って聞かれると、吉田松陰や松下幸之助を抑えて、母だと答えるだろう。

私にとっての母はそれくらい大きな存在だ。

とはいえ、幼少期に母と一緒にいた記憶はさほどない。休みの日は一緒にいてくれたのだろうが、私が特に母と一緒にいたいと思っていなかった。

母の何を一番尊敬するかというと、自分の人生を受けとめ生きているところにある。

母にとって、父との結婚は「ま、いっか。」
父が職を転々とするのも「ま、なんとかなるでしょ。」
父の家族との同居は「ま、大丈夫でしょ。」

くらい、楽観的なのだ。
あんまり考えてないと言ってもいい。

18歳で何の会社かも分からないまま就職した保険会社の事務の仕事も定年まで42年間働き続けた。

当時、育休なんてなかっただろうから、周りの風当たりは大変だったに違いないのに、学校行くみたいにあたりまえに会社に行ってたみたいだし、同居していた父方の祖母(母の姑)の20年間の介護生活をフルタイムで働きながらも支えていた。

夫の家族と同居して、夫は職を転々としてるから生計も支えて、介護もして、子育てもする。
母に自分の人生を楽しむ時間があったんだろうかってくらい、人のために人生の大半を使っていて、私は到底できないことを母はやっているなと思うわけです。

そんな母の何がスゴイって、そんな生活の辛さが一つも顔に出てなかったんよね。
いつも、キャッキャッしてる感じ、永遠に少女のように楽しんでるように見えていた。

私は、母に何かを直接教えられたことがない。(多少はあったと思うけど)

母は「ほっていただけ」というが、私はずっと母から「信じられている」という感覚があった。
だから母に何も相談せずに、進学も就職も全て自分で決め事後報告したくらいだ。

一緒に過ごした時間は、専業主婦の家庭からすれば少なかったのかもしれないが、私は母の影響を大きく受けている。

それは、母の自分の人生を生きようとする姿勢。
自分の人生を生きる背中をずっと魅せてもらったのだ。

・母が私を信頼することで、人としての距離を持って接してくれた。
・私を尊重して私に全てを決めさせてくれた。
・私の決断で起きる全ての出来事や感情に寄り添ってくれた。

だから、今の私があると思っている。
だから、私は母が私にしてくれたことと同じように、娘にも接していて、娘自身で人生を選択し生きてほしいと思っている。

親ができる唯一のことは
自分の人生を精一杯楽しんで生きる姿勢を背中でみせる。
ことなのではないだろうか。

母の存在が私に未来の希望をくれるように、
私の存在が娘の未来の希望になるといいな。

母がいてくれるだけで心強い。
そんな存在でいてくれてありがとう。

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