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人の困りごとに弱い(noteでおしゃべり)

・SAKAMO と ばたち で同じテーマについて話す『noteでお喋り』
・『弱い(全5回)』『好き(全5回)』『家族(全5回)』『仕事(全5回)』
・4つのテーマで全20回でお届けするシリーズとなっています。
・よろしければ、それぞれのnoteを覗きにきてくださいね。

人の困っている姿を見ていると助けずにはいられない衝動になる。

バスの中から外の景色を見ていたら、おばあちゃんが道端で困っている姿を見て、目的地でもないのにバスを降りて助けに行きたくなる。

結局は助けに行かないのだけれど、その後何日か、「あのおばあちゃんは大丈夫だったのだろうか?」「私が行動していたら何か助けになっただろうか」と思考の大半がおばあちゃんのことでいっぱいになる。

街で困った人を見ていると助けずにいられない衝動を感じながら、私は結局大半は助けに行かない。

おそらく、助けに行く率3割だ。

7割助けにいかないのには理由がある。

  1. そもそも、その人が本当に困っているかの確証がなく、こちらが勝手に困っているかもと心配し過ぎている時。

  2. 私がその人の全てを助けることができないと判断した時。(中途半端にその人に関わることで、逆に迷惑をかけてしまいそうな時。)

  3. その人を助けることによって、私が助けたいと思っている他の人を助けられなくなる時

そんな時は、助けるというアクションは取らないようにしている。

逆に助ける時には、『相手にとって余計なお節介かもしれない。助けることが返って相手を苦しめるかもしれない。それでも自分は助けに行こうとするのか。』と自問自答してから行く。

不器用かもしれないが、私はこのスタイルを貫く。

時には冷淡で、時にはあつくるしい私になる。
どちらも同じ私であり、結局どちらも人が困っていることに目を背けられない。

助けても、助けなくても、人が困っている状況を目にすることは私にとって辛いことなのだ。
だったら、人と関わらなかったら良いんだけど、私は人が好きだから、関わらない選択はできないでいる。

私は永遠に人の困りごとに弱いままだろう。
弱いなりに、相手のことを考え自分のことを考え、自問自答し、そしてあれで本当によかったのかと振り返る。

命尽きるまで、人の困りごとに向き合うことになりそうだ。
でも、そんな自分ごと愛してあげるよ。私。

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