家族のこと『祖父』 (noteでおしゃべり)
祖父は昔、バスの運転手だった。
現在99歳、ひーおばあちゃん(祖父の母)も100歳過ぎまで生きていたから、長生きの家系なんだろう。
私が物心ついた時に祖父はバスの運転手を引退し、観光バスの添乗員や、バスガイドの指導をしていた。
地元のバス会社だったので、私の中学校の修学旅行には祖父が添乗員として同行した。
修学旅行のお小遣いは決まっていたのに、旅行中に、祖父がコッソリ5,000円をくれた。
私は祖父に十分甘やかされて育った。
正真正銘のおじいちゃん子だ。
お風呂に入ったり、ご飯を食べてくれたり、両親が仕事で遅くなるので生活を祖父と一緒に過ごすことも多かった。
祖父は几帳面で面倒見のいい人だった。
指導するバスガイドさんたちに お父さん と呼ばれ頼りにされていた。
祖父は頼りにされることが大好きである。
私の面倒をマメに見てくれるあまり、私の爪を深爪しすぎて、キレイな女爪だった私の爪は見事なまでに短くなった。
祖父がマメに切りすぎる爪切り習慣が影響し、今でもちょっとでも爪が伸びると切りたくなる。
自分の爪を見るたびに祖父を思い出す。
祖父はバスの運転手だっただけあって運転が大好きだった。
私はいつも祖父の車の助手席に乗り、いろんなところに連れて行ってもらった。
連れて行ってもらったと言ったが、都合良く私に送迎させられていた。
おじいちゃんの運転が大好きだった。
まだ、運転できない私に、運転のコツを教えてくれた。
離合する場所は早め早めに確認しておくことや、2つ先の車がブレーキを踏んだらブレーキを意識することなど、今思えば運転の英才教育を受けていたのだと思う。
おかげで私は運転が大好きだし、運転が上手になった。(自己評価だけど)
高齢であることを理由に運転をやめるように家族から言われた時、最初は抵抗したけれど、最後は納得して運転をやめてくれた。
生き甲斐だった運転を取り上げられたように感じただろうし、辛かっただろうな。
祖父とあと何回会えるのだろうか?と考えることがある。
会えても耳が遠いから、長く会話ができないのだけれど、会うと、
「お〜元気しとったんか〜?」「旦那は元気か〜?」と必ず聞いてくれる。
「元気よ!」と言うと笑顔で喜んでくれる。
おじいちゃんの喜ぶ顔があと何回見れるのだろうか。
おじいちゃんは99歳。
会える時には会いに行こうと思う。
お礼をちゃんと言いにいこうと思う。
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