「地域おこし」考③
「移住してきた人が一生懸命にやっている」
こういう書き方をすると「よそ者に対する差別的な見方だ」と鬼の首を獲ったように反論および反論に対する同意を囃し立てる方がいらっしゃいますが、そんな方へまず提案…「人の話を文章の最後まで読んでみましょう」→「その人がなぜそのような考えに至ったか、もう一度文章を最初から最後まで読んでみましょう」→「自分の考えと同じところはどこでしょう?自分の考えと違うところはどこでしょう?」→「さぁ、貴方のお考えをお話しくだされ」…すみません、また話が逸れました。
別に他から移り住んだ人が「地域おこし」をやっちゃいけないと言っているのではありません。「地域おこし」をやっていることが多いと言っているだけなんです。
でも、少しこの言い方には皮肉も混じっているんです。
まず1つは、元々その地域に住んでいる人達はわざわざ「地域おこし」なんて看板を上げない人も多い。
例えば道路脇の無人野菜販売所。出荷しているおばさんは「地域おこし」なんて考えず、小遣い稼いで孫に何か買ってあげることを考えているだけだったり、地元の歴史に詳しいおじいちゃんは「地域おこし」のために詳しくなったわけではなく、長い間住んでいるから詳しくなっただけで、黙っていれば詳しいかどうかも分からないのに、「あんたらが聞くから知っていることを答えているだけ」なんて場合もある。
もう1つは、元々の地元の人が何か新しいことを始めるときは必ず地元の有力者だったり、口うるさい人だったり、「後々文句や意見を言われそうな人」に根回しをする。田舎では「物事には順番」があり、この順番を間違えると上手くいくはずのことも進まないこともある。
新しく移住した人はこのステップを踏まない場合がある。こんなときに地元の煩方(うるさがた)はすぐに「なにやってんだ😠」とは言わない。近所の人に「○○に最近越してきた△△さんはど~ゆ~人だい?」とことある度に聞きまくる。「△△さんがどうかしたんです?」と聞き返すと「いやっ、そ~ゆ~わけじゃねぇが、何か新しいことをやってるようだもんで…」と詳しくは答えない。しかし、聞かれた側は△△さんが何か新しいことを始めたということ、△△さんは煩方には話をしていないということが分かる。煩方があっちこっちで話すし、煩方に聞かれた人がまた他の人に話すからあっという間に話が広がる。ちょっと賢い人なら煩方が聞き回っている話が耳に入ったと同時にその人とのコンタクトを何気なく取るのだが、この「田舎律」を知らない人はそのまま放置。この間違えた順番は元には戻せないのだ。
移住してきた人が「地域おこし」に取り組んでいると「地元の人の協力をいただいて…」と必ず言うのですが、その協力してくれている人が「元々移住者」または「地元で生まれ育ったが変わり者で地元の人が相手にしていない人」がナゼか多いのです。この協力者自体が本当の意味での「地域との繋がり」が薄いこともあり、せっかく移住者の方が一生懸命取り組んでいる地域のための活動が単なる収益事業、趣味の延長で終わってしまうことも少ないないのです。
中には、
「地元の方と関わると『しがらみ』って言うんですか?…かえって煩わしいことになるので、自由に活動するためには私の考えに賛同してくれる方達だけの関わりでいいんです。情報はSNSで配信しているし、協力してくれる人も隣の街など県内からも来てくれているし」…って方は地元の人にはその活動が全く知られていなくても構わないという人もいます。
人との関わりを「煩わしい」と思う人は基本的に「地域おこし」活動、さらには商売はできないと思っております。
地域の人が関わらない事業、知らない事業は、事業主の人にとっては自身の「商売」にはなるかもしれませんが、地域が関わらない以上「地域おこし」には全くならないのです。
さらにはサービス業だけでなく製造業も農業も、販売チャネルが店舗でもネットでも最終的には人との繋がりが事業の継続性には不可欠です。
これを「煩わしい」「面倒だ」と感じる人は従業員が自分1人だけであれ、10,000人であれそもそも経営者になる素質はないと思います。
~つづく