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自分の「♪」みつけ②

近頃は「個性」とか「自分らしさ」とかよくいいますよね。私も「これって俺の『個性』かな?」「これがひょっとして『俺らしさ』かな?」って思っていた時期があったのですが、最近はそれを思った瞬間になるべく「まだまだかな?」って疑うようにし始めました。

どうも「個性」や「自分らしさ」って言葉が上手く行かないこと、他人に理解されないことの「言い訳」になっているんじゃないか?って思い始めました。

周りの人から「その作品は『個性』的だね」とか「それって『お前らしい』感じだな」って言われたときは本当の「個性」や「自分らしさ」である可能性があると思うんです。

「可能性」っていう言葉をあえて用いるのは、ひょっとしたら「お前は基本的に周りに聞く耳持たないから好きにしろや(´-ω-`;)ゞ」って場合もあるからです。それだけ「個性」「自分らしさ」とは危うく、「自分勝手」と紙一重の時があるんです。


会社において自分としては一生懸命にやっているんだけどなかなか結果が出ない。上司にも怒られる…あ~ぁ…( ´Д`)

そんなときにたまたま目に留まった言葉…「自分らしさを忘れないで」…そうだ、上手くいくかどうかわからないけど今まで通りにやっていけばいいんだ…それが「俺らしさ」だ…よし、今まで通りにやっていくぞo(`^´*)…何となくいい話のようですがそうでしょうか?

組織に属している以上、組織から求められる行動規範は守らねばならないし、求められる結果は出さなければいけない。もし、求められる行動規範や結果が自分の思いと違う場合は変えてかなければいけないし、変わるまでは求められる規範や結果に従わなければならない。それが組織だし、耐えられないのであれば辞めるという選択肢はいつでも持ち合わせているのだ。

この場合の「自分らしさ」という言葉は、自分の価値観の拡大や転換、自分の成長を放棄したことの正当化に使われてしまっているかもしれないんです。


人は生まれてから1秒でも経っていれば少なからず何らかの「経験」というものがあるはずです。人それぞれ「経験」の内容や期間に違いがあるし、「経験」というのは「その出来事に対する反応・思い」も含めて「経験」だから、仮に全く同じ出来事に遭遇していたとしても真の意味での「経験」は人によって異なるはずなのです。

ただ、自分で「経験」できることは限られているので、人の「経験」を参考にして自分の意思決定をしていくことも沢山ある。

貴方がSNSでフォローをしている人の中に「この人は良いこというなぁ」「この人の言葉には説得力があってとても参考になる」「この人の言っていることに間違いはない」「さすが○○社長だ」「この人のお陰で俺の考え方は変わった」なんて理由でフォローして、毎回「いいね👍」をしている人もいるのではないでしょうか?

そんな感動的(と思える)言葉を見つけたときに一旦自分に問い掛けてみたいのです…「それは自分の行動を正当化するための言葉ではないですか?」「元々自分が思っていたことを上手くまとめてくれただけではないですか?」「自分に都合のいい言葉だけ選んでいませんか?」って。

人は自分が落ち込んでいるとき「貴方は悪くないですよ。周りの皆が悪いんですよ。」と慰められるとちょっと気が楽になります。もちろん、貴方がちっとも悪くないことも多々あると思います。そんな時だからこそ他人の言葉にすがるのではなく、落ち着いて自分の状況をあえて客観的に分析をする…自分に不足したことはなかったであろうか?周りの人はどう思ったであろうか?…自分に対する周りの人の評価をやたらと気にする必要はないと思いますが、自分がいたその状況について周りの人はどう感じたか?どう感じているか?は常に考える必要があると思います。それを「思いやり」というのではないかなと。周りの人に媚びへつらうのが「思いやり」ではなく、周りの人がした行動や言動に対して「何故?」と思いを馳せることが「思いやり」だと思うのです。

自分の考えが上手くまとまっていないと他人が言った言葉にすぐに飛び付いてしまうときがあります。とても抽象的な自分の頭の中の思いをまとめる機会というのは普段はなかなかないと思います。

なので私はSNSやこのnoteを使って頭の中でフワフワしているものを定期的にまとめているのです。

先程誰にでも「経験」はあるというお話をいたしましたが、人の言葉を探すより自分の言葉を探す方がまずは大事。もう少し自分の「経験」や「考え」を信じて大切にしてあげた方がいいと思います。特に30~40代の人はもうそれなりに「経験」しているのだから。

私もこのnoteを通じてビジネスの成功例を紹介しているわけでも、上から目線でビジネスのイロハを指導しているわけでもなく、日々の経験で感じたことをアウトプットしているだけなのです。ただ、ひょっとすればこれがどこかの誰かにとっては「へぇー、そんな考え方もあるのか」と価値観の拡大や転換に繋がるかもしれません。ただ、それはおまけなのです。

他人に自分の「♪」に共感してもらう…それは自分が目一杯「♪」を楽しんでいることのおまけなのです。

でも、「結局自分の『経験』や『考え』に固執してしまうと価値観は広がらないし何も変わらないじゃん?」って?

私が勧めているのは、自分の「経験」や「考え」を『大切』にすること…であって『固執』することではないのです。

自分の「経験」や「考え」を大切にする人は他人の「経験」や「考え」も大切にする。

私は「学校のテスト以外の世の中の問題は答えはひとつではない」「世の中の全てのことはナマモノ」「世の中の全てのことは変幻自在」だと常に思っています。仏教の教えだと「色即是空 空即是色」「諸行無常」とかになるんでしょうか。それを常に心の片隅に持っていると他人の考えも含め世の中の全てのことに対し自分の「学び」として積極的な姿勢で臨むことができます。


また、「逆もまた真なり」って言葉がありますがあえて反対側に振ってやることで自分の琴線というか自分の「♪」が明確になる場合もあります。さらにはそこで本当の「自分らしさ」に気づくかもしれません。

皆さんはよほどカメラに凝っている人以外は写真はデータで記録すると思いますので「レタッチ」という作業をしたことがあるかと思います。

「この写真はちょっと暗いかな」ってときは画像処理ソフトの明暗を調整すると思いますがどうやっています?

慣れていない人はじわじわとバーをずらし好みの明るさにすると思います。これをやるといつまで経っても「これでいいのか…?」の状態が続き、悩んだ挙げ句にいいと思って保存すると次に見たとき「?」ってなることが多いんです。

写真に慣れた人はまず一番明るいと一番暗いの両方に思いっきりバーを振るんです。極端な状態が分かると意外と次にピタッと自分の求める心地よい明暗度のところで止められるんです。

人間は自分の「♪」の反対の状態はあまり体験はしたくないものです。でも、自分の意に沿わないもの、「自分らしくない」ことを体感することによって、より「自分らしさ」「自分の『♪』」を研ぎ澄ますことができると思うのです。

「そんな失敗のような回り道は時間の無駄だ」と思うかもしれません。かのエジソンは「私は失敗をしたことはない。上手くいかない方法を知ったことがあるだけだ。」と言ったとのことですが、まさにその通り。

ただ、「遠回り」は自分の体とプライドとお財布がボロボロにならない程度まで…と条件をつけさせてもらいますがね(笑)

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